#E2-4.そして賢皇へ
「私たち皇族や貴族は、ある時を境に、土地や赤子の名前に食べ物の名前をつけるようになったと聞きます」
奇妙なお茶会。魔女を討伐するため侵入した二人は、今では居心地悪そうに、少女めいた皇女様の言葉を聞いていた。
「そちらの貴方は、シブースト殿と一緒にいるという事は、貴族か何かなのかしら?」
きら、と、優しげな瞳をゼガへと向ける。
それだけでゼガは慌てた様子でなんとか視線を逸らしながら、ずず、と、茶を啜りだす。
「……ゼガっていいます。貴族でもなんでもない、ただの冒険者志望ですよ、皇女様」
どうにも苦手に感じてしまっているらしく、いつもの威勢よさもなく、言葉もつたない。
「そう、ゼガというのね。まあ、このように、王侯や貴族と民衆とでは、命名の方法も大分違うようになっているのです」
噛み締めるようにその名を呟きながら、また、パンナコッタは二人を等しく見やる。
「俺の名前が食い物の名前っていうのは、母上が関係するんですか?」
今度はシブーストが、お茶会が始まる前に出た母の話に興味を感じ、その顔を見つめていた。
「ええ。それも、歴史を動かすとても素敵なエピソードが関わっているのです」
その質問が嬉しいのか、パンナコッタは華やかな微笑を向ける。シブーストは赤面していた。
「大体……アップルランドという国が成り立つようになってばかりの頃かしら。ある国の皇帝が、恋をした貴族の女性に、『君の好きな物をなんでも与えてみせる』と言って、口説いたらしいわ」
ちら、と、カーリーを見ながら、その手に持つお茶菓子を直接受け取り、テーブルへと置く。
「貴族の娘は、『それならば、私の好きなものでこの国を満たしてください』と、試すように言ったらしいの。そして皇帝は、『君の好きな物は?』と問うた」
「……まさか」
「そのまさかよ。娘は、『ガトー・クーヘン』と答えたらしいわ。チョコレートケーキの事ね。そうして翌日から、その国は『ガトー・クーヘン』となった」
まさかの隣国の話であった。いや、正確にはかつての隣国の国名であった。
「……今は、ガトーとラムクーヘンに分かれてますが……」
「シブーストの親父さんが介入して分かれちまったんだよな」
折角の楽しげな雰囲気であったが、男二人は空気を読まない。ぶちこわしであった。
「……えっ、えっ」
そんな事知りもしなかったパンナコッタは、不安げにカーリーに視線を向ける。
「――こほん! 姫様は、近年の事は何もご存知ではありません。お笑いにならないように!」
空気を落ち着かせるべく、カーリーは堰をしてみせ、笑いそうになっていた二人に釘を刺す。
「す、すみません」
「黙ってます」
途端、二人は大人しくなった。
パンナコッタもほっと息をつき、また優しげな視線を二人に向ける。
「ともかく、このような事が、当事の王侯や貴族たちの間で話題となり、一種の流行として広まったらしいですわ。今の『好きな物の名前を、自分の大切なものにつける』という伝統も、これが元になったらしいのです」
「その……叔母上も、やはりそのような?」
「ええ。パンナコッタはお母様の好きだったデザートですわ。お兄様は、お母様がシナモンミルクティーが好きだったので、そう名付けられたと聞きました」
姫君は、どこか誇らしげであった。
「そも、アップルランドというのも、初代国王であらせられるブラックピール皇帝が、愛する妻の好きな物として考えた国号らしいですし。特産品のリンゴも、この初代王妃に合わせて広められたものらしいですわ」
「子供に奥さんの好きなものの名前つけるのは解かるが、国にまでとなるとやりすぎな気がするな……てか、うちの村の名前とかそんな理由でつけられたのか」
驚かされたような、呆れたような、なんとも複雑そうな表情のゼガ。シブーストはだんまりであった。コメントに困るらしい。
「シナモン村やサフラン独立領、カレー独立領、ジュレなど、貴族の領土などもそういった経緯でつけられたものは多いですね。土地土地の貴族の方々も、やはり妻にする女性の好きな物は必ず確認してから娶るのだとか」
私はその前にここに来たので詳しくは知りませんが、と、どこか楽しげに語りながらも、表情には影も残っていた。
「当然、シブースト殿も、妻となる女性の好みはきちんと調べないといけませんよ? 皇子や皇女に変なオリジナリティ溢れる名前なんてつけたら、中央では笑いモノにされてしまいますから」
人差し指を立てながらに楽しげに説明する姫君。
「俺は最初にシブーストの名前聞いたとき笑っちまったけどなあ……『うわこいつこんな外見で食い物の名前かよ』って」
ゼガは、考え込むように額に手をやっていた。口元はどこかにやりとしていた辺り、いつもの調子が戻ってきたらしい。
「懐かしいな……あの時は酒場で朝まで殴り合いしてたな」
対してシブーストは頭を抱えていた。
「人の名前を笑うだなんて、いい事ではありませんよゼガ。素敵な名前ですのに」
「うぐ……すんません。今は仲良しの親友なんで、許してください」
ゼガはパンナコッタのちょっと厳しめの口調に抗えない。
それを見て、シブーストはぷっと笑い出す。
「お前が素直に謝るところ、ここにきてはじめて見たな」
笑いが堪えられないらしく、口元を押さえてはいるものの、声が出てしまっていた。
「シブースト。貴方も、皇族だというのに、随分と荒れた生活をしていたようですね? 酒場で入り浸りですって? 感心しませんわ」
そしてとばっちりは当然シブーストにも飛んでいた。
「うげっ……あ、いや、その。城の中にいただけでは、解らないことだらけですし、もっと、世情というものを知りたく思って――」
途端に焦りだす。目と目が合ってしまい、思わず逸らそうとするのだが。
「それはとても大切ですわ。私もかつてはお兄様と二人、一般の方に化けてお祭りの夜に混ざったりもしましたが――酒場は、とても怖いところだと聞きました。そういったところに出入りするというのは、心配ですわ」
大丈夫なのですか、と、不安げに上目遣いにシブーストを見る。その表情。
「――っ!!」
それが、堪らないとばかりに、シブーストは真っ赤になり、そっぽを向いてしまった。
「……? 聞いているのですか? シブースト殿?」
気付けないのか、パンナコッタは不思議そうに首をかしげていたが。
「くっ、くく……パンナコッタ様、そんなに見てやらないでくれよ。こいつ……ぷっ、くくっ」
逆に、今度はゼガが笑いを堪えながらに、シブーストの背中をばんばん叩いていた。
「いてっ、うわ、や、やめろって」
怒るに怒れず、シブーストは困った様子で、しかし正面も見られず、ふわふわとした様子であった。
結局、それから小一時間もお茶とお喋りをして、帰る事になった二人。
塔の入り口は当然鍵がかかったままだったのだが、上手い事持ち込んだロープを手に、姫君の部屋の窓からそれをぶら下げ、するすると下りていってしまう。
そうして見る見るうちに二人は入り口へと降り立ち、心配そうに上から見ていたパンナコッタに手を振っていた。
「すごいわ、あんな簡単に降りてしまうなんて。二人とも、鍛えられているのですね」
心底驚かされた様子で、感心ながらにほう、と息をつく。
「今日は、とっても楽しかったわ。驚かされてしまったけれど」
二人に向け手を振ってやりながら。風が、亜麻色の髪をふわりと撫で、パンナコッタの眼をくすぐる。
「ですが姫様、ここまでです」
折角部屋から繋げられたロープであったが、侍女はそれを外してしまう。
そして、窓の外へ、落とす。落ちてしまう。
「あっ――ええ、そうね。久しぶりに沢山お話が出来ただけ、よかったと思わなくちゃ」
これ以上関わるのはよくない。そう思いながら。
姫君は、落ちたロープと、それを見て唖然としている青年らに背を向け、ベッドへと寝そべった。
「……あーあ、なんか、疲れちまったなあ」
落とされたロープをしばし眺めていた二人であったが、やがてゼガが呟きながらに立ち上がり、肩をぐるぐると回し、塔を見上げた。
「魔女を討伐する為に積荷に紛れ込んだつもりだったのに、待っていたのは年老いた婆さんと可愛いお姫様だなんて――シブースト?」
「……叔母上」
ゼガが視線を向けると、シブーストはまだぽーっとしたまま、ロープを眺めていた。
「本気で惚れたのか?」
マジかよ、と、頬を引きつらせるゼガ。
だが、若き皇子には気持ちの分別などなく。
「……俺は、あんなに綺麗な人を初めてみたんだ」
ときめく胸を抑えながらに、シブーストはほう、と、苦しげにため息。
――恋する青年の顔であった。いかつい事を除けば。
「正気かよ。いや、確かに可愛かったよ? 綺麗だったさ。多分、見た目まんまの歳の娘だったら数年後が楽しみだなーって、ちょっと位気が強いのも我慢して口説いちゃってたかもしれんが――」
「ばか、お前、あれは……触れちゃダメだろ。見てるだけ。触ったりとか口説いたりとか、そういうのはダメな人だよ」
「お前の叔母だぞ? 親父の妹だぞ? 実年齢で考えたらウン十歳の婆さんだぞ?」
「だが、振る舞いは美しかったぞ。お前、あの人より楚々とした女性を知っているか? 今まで会った、どんな貴族の娘よりも……素敵だったんだ」
ゼガなりに止めようとはしていたが、そんなものはシブーストには届いていないらしく。
「やれやれ……マジかよ。お姫様に会ったと思ったが、魔女の魅了にかけられてやがる」
やがて諦めてか、その背をぽん、と、叩き、そのまま歩き出した。
「――帰るぞ。ロープ落とされたって事は、もう俺たちが中に入るのはダメってこったろう。お前の恋も、始まったばっかで終わりだよ」
相棒だからこそ、冷たい言葉をぶつけていた。
「お前、そんな言い方――」
かちんときたシブーストであったが、肩を掴んで振り向かせたゼガの顔は、真面目なものであった。
「……すまん。そう、だな」
馬鹿にしていた訳ではないのだ。
実際問題、塔側で警戒を密にされれば、今回のような手は使えなくなる。
一度限りの侵入経路を使ってしまったようなもの。
ならば、もう入れないも同然なのだから。
「帰ろう。ああ、もっと話したかったな」
「綺麗な人だったよな。ちょっと怖かったけど」
主に怒られるばかりだったゼガは、正直苦手なままだったらしく。
そこだけが、シブーストにとってはありがたい、気分の良い事柄であった。
それから、シブーストとゼガが塔へと赴く事はなかった。
内々で気にはしていたものの、国内でも魔族の攻勢が始まり、それどころではなくなっていたのもあった。
シブーストは、父であるシナモンにそれとなく叔母のことを聞いて探ろうとしたが、結局崩御するまでの間、一言も妹の事を彼に語ることなく、貫き通していた。
シブースト達が、パンナコッタを取り巻く事情と、彼女が謂れなき迫害によって幽閉された身であった事を知ったのは、シブーストが皇帝として戴冠して少し経ってから。
城の書庫にて死蔵されそうになっていた先皇の日記によってはっきりとしたのであった。
だが、時既に遅く。その頃には既にパンナコッタも、幽閉された塔の中、終わらない眠りについていた。
先に逝ってしまった侍女の亡骸を傍に置いたまま、ベッドの上で安らかに眠りに付いたのだと聞き、シブーストは、事の発端となった教会組織に、思わず怒りをぶつけそうになったが。
大臣ら側近に止められ、感情のままの暴走は、ひとまずは目先の魔族へとぶつけられる事となった。
その後、初恋の叔母の死を悼み、少しでも健やかに、寂しくないように暮らせるよう、シブーストは塔の周囲に町を作った。
水源地帯も近く、塔の屋上からの風景が絶景であった事から、シブーストはしばしば家族を引き連れ、この塔で休息を取るようになる。
代々の『魔女』を幽閉し続けた呪われし塔は、シブーストの代になり、ようやくその寂しげな空気を払拭し、温かな、平穏な世界に置かれるようになったのである。
この塔の名は、『トネリコの塔』と呼ばれていた。