#E2-3.怒れる姫君
翌日、シブーストが城の庭にて昼寝をしていると、馬荷役の娘達がぱたぱたと忙しなく働いているのが目に入った。
「何してんだこんな所で?」
何をしているのかと眺めていたのだが、そんな彼に、後ろから声が掛けられる。
ゼガであった。
「お前、また城に入り込んだのか。衛兵にバレたら俺が大目玉喰うんだぞ」
そんな相棒に視線を向けながら、呆れたように半身を上げるシブースト。
「でもバレた事はないぜ。それより、あれはなんだ?」
全く悪びれない様子でゼガは笑いながら指差す。
その先、中庭の娘達は、大急ぎの様相で中庭の向こうから、こちらから、往来しながら駆け回っていた。
手には上等な布地やら山積のりんごが入った木箱やら食材袋やら、とにかく色々なものが運ばれていた。
「解らん。たまにやってるのは見るんだけど聞いたことはないんだよな。馬荷役の娘達がやってるって事は、城からどっかに運び込むための準備だと思うんだが……」
「運んでるものを見ると、前線への支援物資とかそんな感じじゃないよな。食い物や布やら食器やら……個々の量自体は大したもんじゃないけど、ほんと色々だな」
シブーストの隣にどかりと座りながら、ぼへぇ、と、よく働く娘達に感心したように眺めるゼガ。
「なあシブースト、俺さ、あれからずっと街で調べて回ってたんだけどよ」
視線はそのまま、顔を動かさず、ゼガがぽそり、語り始める。
「あの塔、『魔女』がいるらしいぜ?」
「魔女?」
随分おっかない言葉が出たもんだと、シブーストは眉間に皺を寄せ、相棒の顔を見る。
「ああ。魔女だ。人の道を外れた女がなるっていう、まあ、魔族化した人間だよな」
魔道を追及しすぎたが故に人道を外れたり、逆にあまりに人の道から外れすぎた生き方をしたが故、魔に溺れてしまったり。
様々な要因で、人間がそのような『魔族』へと変貌してしまう事は、シブーストも知識として知っていた。
「詳しい事はみんな語りたがらないんだけどさ、年寄りとかに話を聞く限り、どうにも国を挙げて封印してるらしい。よっぽど強いんかね?」
「魔女の封印か……そんな事、父上は一度も話してはくれなかったが……」
顎に手をやりながら、しばし思考。
しかし、何故それを父が教えてくれなかったのか、あの教育係が忘れさせようとしていたのかは謎のままであった。
「話したらお前、討伐に向かおうとするからじゃねぇか? 武勇伝、欲しいんだろ?」
「はん、お前が言うなよ。しかし魔女か。そうか、なら、遠慮は要らんな」
まして国を脅かすかもしれないというなら、そのようなもの、いないに越した事は無いはずだった。
「父上がほったらかすなら、俺がどうにかしないとな」
「ばーか、お前一人で魔法使い相手にどうするってんだよ。近づく前に魔法の餌食になって死ぬのがオチだぜ。それともチャームにかけられてアヘアヘしてるか?」
むん、と、気合を入れて立ち上がる相方に、ゼガは笑いながら付き合う。
「『俺達』で倒すんだよ。それでいいだろ」
「仕方ねぇなあ。仲間に入れてやるよ」
足引っ張るなよ、と、にやけながらに。
「俺が仲間になってやるんだよ。偉そうにすんな」
「偉そう、なんじゃなく偉いんだよ俺は。なんたってこの国の次期皇帝。第一皇子様だぞ」
「はっ、自分で言うなよ馬鹿皇子」
胸を張るシブーストに、ゼガはそう悪くない顔で悪態をつき、こつん、と、拳を分厚い胸に当てる。
「少しは気を遣えってんだ」
そうしてそんな相棒ににやにやしながら、シブーストも同じように拳をゼガの胸元に当てる。
「まずは、入る方法考えないとな」
「そこでだ。これはもう一つ手に入った情報なんだが――」
方針が決まった以上、入らなくてはならない。
そこをまず考えようとしたシブーストに、ゼガはうきうきしながら、何故か走り回る馬荷役の娘達を見やっていた――
「姫様、お城より、積荷が届いたそうですわ。これで新しい服が作れますわね」
夕暮れ時、年老いた侍女がほくほくとした顔で姫君に報告すると、姫君もにこにこ微笑みだす。
「そう、すばらしいわね。カーリーが縫ってくれるドレスはどれも素敵だけれど、私、こればかりが愉しみで――」
嬉しいわ、と、手を組み、祈るような仕草。
「――お兄様に、感謝しないと」
彼女にとって、兄とは既に神聖なる存在となっていた。
離れて久しいが、未だその顔、共に過ごした楽しかった日々は目を瞑れば思い出せるほどで。
だからこそ、パンナコッタは事あるごとにこうして祈りを捧げる。
もとより信心深い彼女であったが、今の彼女にとっての信仰の対象とは、よくあるところの女神リーシアではなく、兄シナモンとなっていた。
こうして秘密裏ながら定期的に帝都から届く積荷は、この塔から出る事の許されない彼女達にとっては生命線とも言える品である。
元々はカーリーを始めとした身の回りの世話役三名と女性の護衛兵六名がパンナコッタと共に暮らしていたが、病や怪我、精神的な問題が原因で脱落した者も多く、今ではパンナコッタとカーリーのほかには、衛兵が二人ばかり暮らしているだけであった。
二月に一度、必ず欠かさずに届けられる物資の中には、上等な布地や季節の果物、選りすぐりの食材なども入っており、幽閉されながらも、姫君が生活に困る事のなきよう、品性を落とす事なく暮らせるようにと、気遣いの品も多く収まっていた。
「――め様っ!! 姫様、お起きになってくださいましっ!!」
その日の、夜も深まっていた頃であった。
ベッドにて幸せに兄皇との夢を見ていたパンナコッタを、侍女のただならぬ声が起こす。
「んん……どう、したの、カーリー?」
今宵は塔の見回りの番はカーリーで、だから近くにいなかったはずなのだが。
そのカーリーが、わざわざ自分の部屋まで入ってきたのだ。
肩で荒げに息をしながらに。苦しげに胸を押さえながらに。
何事か起きたに違いない事は、ねぼけまなこのパンナコッタでもなんとなく理解できた。
「姫様、侵入者が――」
蒼白な表情をランプに照らしながら、主へと報告しようとする侍女であったが。
「――ここが、魔女の部屋かっ」
「まさか本当に入り込めるとはな」
侍女を押すように部屋に入り込んだ二人組の顔に、パンナコッタは驚かされてしまう。
最近塔の下で見かけるようになった、あの二人組なのだ。
「も、もうこんなところまで――姫様、どうかお逃げをっ」
混乱しているのか、侍女は振り返り青年二人を睨みつけながら、なんとか主を逃がそうとする。
だが、ここは塔の最上階である。
この上逃げるとするならば、窓の外をおいて他には無い。
「……いいわよカーリー。やめなさい。抵抗してもロクなことにはならないわ」
魔女の部屋、という言葉に思うところあってか、パンナコッタはひんやりとした雰囲気を纏ったまま、侍女の暴走を制する。
「し、しかし――」
「そこの貴方達も、無粋な剣などしまいなさい。失礼ですよ」
武器を構え、今にも自分の侍女に斬りかかろうとしていた二人組にぴしゃり、そう言い放つ。
「……なんだと?」
驚かされたのは、青年――シブーストとゼガの方であった。
魔女の脅しか何かを受けてか、定期的に塔に送られているのだという積荷に紛れて夜陰の中、上手い事塔に紛れ込んだ二人は、塔の中をうろついていた魔女らしき老女を見つけ、早速討伐しようとしたのだが。
大きな悲鳴に驚かされているうちに逃げられ、それを追いかけてようやく追い詰めたと思った先には、なんとも美しい、高貴な出で立ちの少女が立っていたのだ。
そして老婆は確かに言ったのだ。「姫様」と。
「ここは、魔女の塔だと聞いた。だとしたら、君は――?」
戦意が薄れていくのを自分でも感じながら、ゼガはベッドの前におわす少女を、どこか眩しいものをみるように見つめる。
「……ここは、確かに魔女の塔であっていますわ。ですが、魔女とはそこの侍女ではなく、私の事を指すのです」
久しくされていなかった魔女扱いに、パンナコッタは不機嫌さを露にし、冷たく言い放つ。
「魔女……こんな可愛い娘がか?」
信じられん、と、シブーストは思わず剣を落としてしまった。
「た、例え君がそうなんだとしても、国に災いをもたらす魔女を、生かしておくつもりはない」
目に見えて動揺しているらしい二人に、パンナコッタはそれを気にする様子も無く、近づいていく。
「な、何を――」
まだ剣を構え続けるゼガに、そのまま前に立ち、腕を振り上げ――
「あっ」
「姫様っ」
シブーストと侍女が驚く中、パン、と、ゼガの頬を張った。
「あ……え……っ?」
冒険者として、そしてシブーストの相棒として色んな事に首を突っ込み、その度怪我をしたりでもっと痛い目にあっていたはずだというのに。
その、何の事も無い、か弱い一回が、ゼガにとってはどんな魔族の一撃よりも重く、心を締め上げていた。
「謝りなさい。私の侍女、カーリーを追いまわし、刃を向けたことを。カーリーを見なさい。苦しげに肩で息をしているわ。カーリーは、あまり身体が丈夫じゃないの!!」
突然の事に目を白黒させていたゼガに、パンナコッタは激しい口調でまくしたてる。
「いますぐに謝って!! そして、二度とこんな事はしないと誓いなさい!!」
そうして、怒りの矛先は当然、シブーストにも向けられているらしく。
視線をそのいかつい身体に向けながら、ぎり、と、睨みつけていた。
「あ……えっと」
「ど、どうすんだよこれ」
全く予想外の展開。
どうすればいいのか分からず、若者二人は困惑の表情のまま、互いの顔を見合わせていたが。
「……」
いつまでもジロリと睨んでくるこの少女の気迫に負け、やがて膝を付く。
「ごめんなさい」
「なんか、やりすぎました」
そうして二人、頭を下げて素直に謝った。謝らざるを得ない空気であった。
二人はこの空気に抗えるほど、まだ大人ではなかったのだ。
「……うん、よし。許すわ。頭はそのまま、話だけ聞きなさい」
とりあえずの態度に、姫君は満足したらしく。
先ほどよりは柔らかい声質のまま、話を始める。
「私の名はパンナコッタ。兄に皇帝シナモンを持つ、アップルランド第一皇女……でした」
そのまま、少しは落ち着いたらしいカーリーの背を撫でてやってから、しゃなりとベッドへと腰掛ける。
「シナモンって――えっ、それじゃ――」
当然、シブーストはすぐにそれに気付き、顔を上げそうになるが。
「顔は上げない」
ぴしゃりと言って、それを封じる。彼女が、にやにやしそうになっている自分を隠すためであった。
「あ、すみません」
すぐにびくりと頭を下げ直す。「素直で大変可愛らしい」と、パンナコッタは笑みを浮かべていた。
「見ての通り、私はこのような外見ですが、実際の年齢は貴方達よりも遥かに上ですわ。そこにいる私の侍女カーリーは、この塔に共に入った時には私よりも年少の少女でしたから」
随分と時が経ったようですね、と、少し寂しげに眉を下げながら。
パンナコッタはシブーストへと視線を向けていた。
「赤髪の貴方、名前は?」
「シブースト……です」
「そう。素敵な名前だわ。アイリス様が名付けたのかしら?」
「いや、父上が……」
母の名を出され、どこかバツが悪そうに言葉に詰まる赤髪に、姫君はにこりと微笑む。
「アイリス様はリンゴのシブーストが好きでらっしゃったから、てっきりあの方がつけたものと思っていましたが」
そういう事でしたか、と、少し視線を逸らし、ぽん、と、手を叩く。
「顔をお上げなさい。お茶にしましょう」
何を思ったか、パンナコッタはそう言い放ち、寝間着のままに窓際の椅子へと歩き、腰掛けた。