#11-3.教団の介入
それは、金色のドラゴンであった。
今まで彼が見た事もないほどの巨大なドラゴンが、真上をホバリングしていた。
立っていられないほどの強風に、思わず地に伏してしまう。
ゴーレムも風に煽られ、ぐらぐらと揺れ前に進めずにいた。
「大丈夫ですか、シブースト皇帝っ」
いつの間にそこにいたのか、ローブ姿の若い娘が目の前に立っていた。他ならぬ、教主カルバーンである。
「お前は……北部の――」
「すぐにこの場を脱します。お養父さん、後をお願い」
『承知した』
言うや否や、突然の事に状況を読めずにいる皇帝を抱きしめる。
「緊急離脱!!」
カルバーンの言葉と共に、二人の存在がぶれ、その場から消え去った。
『さて……南部のゴーレムがいかほどか、見せてもらおうか』
そのまま、二人の代わりにとばかりに地に降りたった金色のドラゴンは、四方を囲むゴーレムに襲い掛かった。
二人が転移したのは、皇帝にとっては見慣れた城のバルコニーであった。
街の中での最終決戦に備え慌しく駆け回っていた城の兵士達は、突然街壁の外に現れた巨大なドラゴンと、目の前に現れた皇帝たちに心底驚かされた。
「こ、皇帝陛下、ご無事で……しかし、その娘は……」
「気にするな。それより、ゴーレムへの対処を急げ。奴ら、街壁を突き破りやがった」
突然の事に戸惑う兵士達に、皇帝は考えを切り替え、指示を下していく。
「必要ないわ。ゴーレムは街へは入れない」
しかし横から入るように、教主カルバーンは口を挟んだ。
「必要無いだと? どういう事だ」
怪訝そうに睨む皇帝に、カルバーンは不敵に笑った。
「我らが象徴、金竜エレイソンが、ゴーレム達を蹴散らして差し上げますわ」
「あのドラゴンは……あれがエレイソンとか言うのか。なんという巨大な。ブラックドラゴンの比ではない」
城のバルコニーからも見て取れる程のその巨躯は、皇帝が今までに見たどのドラゴンよりも巨大で、そして神々しかった。
なるほど、見た目のみならば、その威光に惹かれてしまう者もいるのではないかと思えるほどに。その姿は異質であった。
「お前は、あのドラゴンを操る事が出来るというのか? あのドラゴンが、俺達の代わりに戦うと」
「操る……? 失礼な事を言わないで。彼は私の養父。私の大切な家族だわ」
皇帝の言葉に機嫌を悪くしてか、強く睨むように眉を吊り上げる。
「貴方には私達の戦略上、死んでもらっては困るから。だから助けに来たのです。これは布教の為ではなく、私達の営利目的による支援と思ってくれていいですわ」
「……支援だと」
皇帝は街の外を見る。カルバーンの言葉通り、金色のドラゴンはゴーレム達を次々破壊していった。
何せ数十メートルはあろう巨体である。尻尾の一薙ぎ、爪先の一撃でゴーレムは脆く崩れ去る。
その巨体に踏み潰されればゴーレムといえどひとたまりもない。強靭な顎に噛み砕かれるゴーレムもいた。
極めつけは眩い金色のブレスで、これに当てられたゴーレムは跡形も無く消滅していった。
あれだけ帝国軍が苦戦し、足止めすらろくにできなかったゴーレム軍団が、このドラゴンの前ではいとも容易く蹴散らされていったのだ。
「……なんという力だ。お前達は、一体何をしようと言うんだ」
末恐ろしくなった。ラムでは油断ならない小娘だと思っていたが、まさかこのような強力な力を保持していたとは。
皇帝は改めて、教団が油断ならない存在であると認識していた。
「私達の目的は変わりませんわ。偏に世界の平和を。そしてその平和に、戦争を続ける魔族は、魔王は、必要無い」
さきほどまでの不機嫌はどこへやら、教主は笑っていた。
己が力をまじまじと見せつけながら。それでいて、純粋な乙女のように平和を謳っていた。
「ですが、力のみでは何も変えられないのは解っているのです。宗教だけでもダメでしょう。世界を変えるには、世界の中心足りえる大国の政治力が必要ですわ」
「俺に、お前達の片棒を担げと言うのか。無神論を広めた俺に」
「神なんて居なくても良いのです。竜を信じろとも言いませんわ。さっきも言ったけれど、これは私達の教団にとっても都合のいい、営利目的の支援と思ってくださいませ」
その言葉がいかほど信用できるというのか。
しかし、現に金色のドラゴンは戦い、ゴーレム達を破壊せしめていた。
皇帝自身が一時は死すら覚悟した南部の侵攻は、ひとまずは収まったのだ。
彼女達の協力によってこの危機を乗り越えた。こればかりは、変えようの無い事実であった。
「……席を設けたい。何をどのようにするのか、それはこのような立ち話で決める事ではない」
皇帝は、もうこの小娘を見ていられなくなっていた。これ以上、己が不利を覚られたくなかった。
だから背を向け、背中越しに言うのだ。
「勿論ですわ。お互いによき関係となれるよう、最善を尽くして話し合いましょう」
カルバーンも、それ以上は無理に求めず、皇帝の要求に沿って話し合いの場を持つ事に賛同した。
この戦いによって、帝国軍の死傷者は二千名ほど、ベルン砦とその対竜兵器二十門、街壁前に設置した対竜兵器七門、カノン砲四門の全てを失った。
皇帝自身は生き延びたが、自分と共に指揮を取っていた防衛担当の将軍は戦死し、街壁前に陣取っていた主力のほぼ全員が戦死か再起不能の重傷者ばかりとなり、帝都防衛部隊の半数以上が戦闘不能に陥っていた。
南平野部に面する街壁も一部破壊され、これらの修復に相当の日数を要する事も予想され、防衛に成功したとはいえ甚大な被害を被っての、敗北に等しい勝利であった。
同日夜。無人のクノーヘン要塞は魔王軍によって奪取され、そのまま中央方面軍の拠点として利用される事となった。
これによりティティ湖周辺に陣取っていた魔王軍も要塞周辺に移動。
長らく対峙していた中央諸国連合軍とはとうとう本格的に戦う事なく、その進軍を停止することになる。
二度目のティティ湖での戦いは、魔王軍の情報操作と内部かく乱による『裏の手』によって、前線だけでなく、その後方の国家までもが翻弄される結果となった。
「ラミア様からの報告です。諜報員からの情報により、『ショコラ魔法国』『エルゲンスタイン公国』『アルゼヘイム王国』の三国、通称『ベネクト三国』が反アップルランドの同時声明発表を行ったそうです」
この人間世界の乱れは、内通者を通じて即座に魔王の元に伝わっていた。
「ベネクト三国というと、確か旧バルトハイム帝国の皇族が逃げ込んだ……」
「はい。当時のバルトハイムの属国だったものが、帝国滅亡の際に逃亡したベネクト皇帝一族によって再統治された国々です」
玉座にてその報告を受けた魔王は、さほど面白い報告でもなさそうに、憮然とした顔でその先を考えていた。
「南部の侵攻開始と共に反帝国を訴え、連合を離脱か。随分と無茶な事をするな」
「元々ベネクト一族にとっては、自分達に取って代わって大帝国を築き上げ、皇帝を名乗ったアルム家が邪魔でしたでしょうから……彼らの感情を鑑みるなら、それほどおかしな行動ではありませんね」
アルルはこう言うが、しかしその為の機会を窺っていたのだとして、これが好機と見えたのなら、それは浅はか他ならないとも魔王は思った。
実際問題、帝都はゴーレムに襲われたが、これは帝国と北部の教団を結びつけるいいきっかけになっただろうと魔王は考えた。
これにより帝国は持ち直せるはずで、いくらゴーレムが強かろうと数が多かろうと、長期戦になれば自分達のフィールドで戦える帝国の方が優位になるのは想像に容易かった。
そう掛からず帝国は息を吹き返し、裏切ったベネクト三国はバッシングを受け孤立してしまうだろう。
どうせ裏切るなら一緒になって帝都に攻撃でも仕掛ければよかったものを、わざわざ引きこもっているのだから世話がない。
「まあ、当初の予定通り、教団を中央の戦いに引きずり出せたから、多少の想定外はよしとしよう」
「ベネクト三国はいかがしますか? 一応、三国ともクノーヘンから強襲が可能な位置にありますが」
「無論、滅ぼせ。折角向こうから勝手に弱体化してくれたんだ。このタイミングを捨てる策は無い」
ショコラはその魔法技術の高さで中央諸国でも屈指の強国ではあるが、国土は狭く人口も少なく、国力そのものは帝国の足元にも及ばず、他の二国と合わせてもその兵員総数自体は少ない。
量より質といえば聞こえも良いが、本来人間の質は数を伴ってこそ意味のあるものであり、彼らの持つ質はアップルランドなどの大量の前衛兵力がいるからこそ活かせるものなのだ。
つまり、前衛を自ら捨てた今のベネクト三国は、ただの弱小国の集まりに過ぎない、と魔王は考える。
「まあ、作戦自体はラミアに任せる。例によって非戦闘員は傷つけず、街などはできるだけ無傷で手に入れるようにしてくれれば文句は無い」
「かしこまりました。ではラミア様に伝えておきますね」
魔王の言葉を受け、アルルは目を閉じ、静かに頭を下げた。
「そうしてくれたまえ。他に報告がなければ私はもう戻るが」
「ございません。どうぞ陛下のお気のままに」
「そうか。ならいい」
再度、恭しげに頭を下げると、アルルは謁見の間から去っていった。
「……ふぅ、エリーシャさんは怒ってるかな」
溜息混じりに、同胞の名を呟いてみた。顔が頭に浮かぶ。怒り顔である。
今回魔王が考えた策は、その全てが彼女にとって不都合極まりないものであったはずで、嫌われていてもおかしくないとすら思えた。
いや、元々魔族と人間という関係上、魔王と勇者という立場上、それは嫌われて当たり前のはずなのだが、なんとなしに、魔王は彼女に嫌われるのが辛かったのだ。
彼女はとても魅力的な人間である。話していて面白く、とてもリラックスできる。
何より自分と似ている気がして、まるで自分の娘か孫かのように感じさせられる。
彼女は否定したがるが、魔王はそうでもなく、彼女といる時間はとても楽しく感じられたし、離れていれば相応に寂しくも感じられる相手であった。
自分で選び進んだ道ながら、これができなくなるというのはなんともつまらないものであると、自分でわずかばかり後悔して。
魔王はもう一度大きな溜息をつくと、玉座から立ち、自分の部屋へと戻っていった。
その後、ベネクト三国を除いた中央諸国連合は、盟主である大帝国の提案により『聖竜の揺り籠』と協力関係を結ぶ事を採択した。
これにより帝国は、諸国に強いていた無神論法を解除、精神安定剤としての宗教に飢えていた小国の国民は教団の教義を受け入れ、結果として多くの国の治安が安定していった。
教会組織がもくろんだ大帝国の討伐とそれによる周辺国の取り込みは失敗に終わったものの、人間世界は再び疑心暗鬼にまみれ、人類国家同士の戦争という負の連鎖の最初の一歩を歩み始めてしまっていた。