#9-2.黒竜翁の死
「陛下、緊急でお伝えしたい報告が――」
魔王城にて。魔王が私室でのんびりとシエスタを過ごしていた時のことであった。
ドアがノックされ、ラミアの声が聞こえた。
「かまわんよ、入りたまえ」
魔王はベッドに横たわった姿勢のまま許可を出す。
ラミアの訪問自体は事前に絵画の少女の言葉によって告げられていた為、魔王はとっくに気づいていた。
「失礼致します」
魔王の言葉でラミアは恭しげに入室し、魔王に対面する。
「急ぎの用事らしいが、何か起きたかね?」
のっそりと上体を起こし、わざわざ部屋にまで押しかけてきたこの部下に問うた。
「はい。とても重要なことですわ。まず一つ。黒竜翁が亡くなりました」
夕べのことだそうです、と、とても冷静に、ラミアは老人の死を告げていた。
「……老衰かね? それとも腹上死か?」
魔王も眉をぴくりと動かしたが、さほど気にせず先を促した。
驚く程の事でもない、既にかなりの高齢だったのだから、いつ死んでもおかしくなかったのだ。
「下克上ですわ。長男のガラードによって、夜伽の際を狙われ討ち死にしたのだとか」
「ほう、それは面白いな」
黒竜翁自身には魔王もあまり興味がないというかむしろ嫌いですらあったが、その死に様は少なからず魔王の興味を惹いていた。
「ガラードが言うには、かねてより女狂いが酷く、その晩には黒竜姫の侍女にまで手をつけようとしていたので、一族の長たる器も感じられず、目に余り断罪した、とのことで」
話に聞く限りなんとも哀れな結末であるが、ある意味相応しい死に様であるとも言えた。
延々認めたがらなかった後継者によって断罪されるというのも、皮肉が効いていて面白いとすら魔王には思えた。
「まあ、あいつの女癖の悪さは昔から目に付いていたからな。しかし、黒竜姫の侍女に手をつけたからと何故断罪されたのだ? あの爺の事だから、今までありとあらゆる女に手をつけていただろうに、なんで今更――」
「黒竜姫の侍女……レスターリームと申しますが、彼女達は外見上、黒竜姫と似てなくもないですから。黒竜翁が娘の代替に抱こうとしたのを見て、兄としては、妹が犯されるような危機感を感じたのでは?」
あの子極度のシスコンですから、と、まるで残念な身内を語るかのようにラミアは眉を下げた。
「ろくでもない奴はろくでもない死に方をするっていう典型だな」
魔王は、事情を聞いて尚ろくでもない話だとつくづく思った。
「同感ですわ。黒竜翁自身は私も嫌いでしたし、死んでくれて清々すると言えるのですが。ただ、生憎と四天王に空きが出来てしまいまして」
ラミアとしては、黒竜翁の死そのものよりは、四天王が一人抜けてしまう事の方が問題らしかった。
何せ面倒この上ない黒竜族を取り仕切っていた黒竜翁だったので、その後釜をどうにかしないといけなかった。
「ガラードではいけないのかね? 一応後継者なのだろう?」
「あの子は器ではありませんわ。暫定的に黒竜族をまとめさせはしますが、その力もカリスマ性も父親に遠く及びませんから」
よくもまあそんな実力差で父親を殺せたものだなと、魔王はわずかなり違和感を感じた。
「四天王なあ……どちらかというと、君としては吸血族とのバランス取りに欲しいのだろう?」
魔王もラミアの言いたい事はなんとなしに解っているつもりだった。
軍内部で変革が起きた今、何故未だに四天王が必要とされるのか。
これは種族間のバランス取りとして大切なことなのだ。
「仰るとおりで。吸血王はアレで優秀な男ですから、黒竜翁程度にやりあえる者でなくてはバランスが取れないのです」
「なら黒竜姫をつけるしかないじゃないか。黒竜族だって、黒竜翁亡き今、彼女を除いてはガラードが最上なのだろう? 選択肢などどこにもないだろう」
ラミアも解ってて言っているのだろうが、魔王はまどろっこしさを感じていた。
「私もそうは思っていたのですが、それとなく打診した所、実に不機嫌そうに追い払われまして。彼女の性質上、この上は陛下に命じられでもしなければ、聞く耳も持たないのではないかと」
恐らく黒竜姫相手では一番親しいと思われるラミアが無碍に扱われるのだから、彼女としても困った末の判断であるらしかった。
「言質が欲しかったのか。はあ、面倒くさいな。まあいい。私としては黒竜姫の四天王任命を支持する。火急的速やかに必要な手配をしてくれたまえ」
「かしこまりました。それと、後になってしまいましたがもう一つ」
「まだあったのかね。何だ、早く言いたまえ」
魔王はもう面倒くさく感じ始めたので、再びベッドに転がってしまった。
「南部諸国のゴーレム軍……不審な動きを始めております」
「不審、なあ……」
傍にこしかける人形を手にとり、頬をぷにぷにとつつく。柔らかい。
「南部のスパイ活動はほぼ成功していると言っていいでしょう。教会の指導層はハニートラップにかかり、こちらの思惑通りに動いております」
「つまり、人間同士の戦いになる訳か」
「はい。遠からずそうなるかと」
人形を手に取ったまま、魔王は再び上体を起こした。
先ほどよりは真剣な面持ちで。
「同時に、中央諸国においても、私どもとは関係なしに不穏分子が国々を脅かしている模様ですわ。また、大帝国に対しても強い不満を抱く国家が多い模様です」
「……教団を引きずり出せそうかね」
「このまま混乱が続けば、あるいは」
魔王の目的は、ここにきて急激に方向転換されていた。
当初カルバーンを保護する為に教団について調べていた魔王であったが、今の彼はそんな事は考えておらず、別の目的によって突き動かされていた。
「結構なことだ。ぬかりなく続けてくれたまえ」
「……陛下。お話を聞かされても、尚私には信じがたかったのですが……その、アリスのお話は信用しても良いのですか?」
「無論だ。というより、アリスちゃん以外に信用に叶うものが存在しない。何せ皆わからなくなっているんだからな」
釈然としない様子でベッドに腰掛けるアリスを見やるラミアだが、魔王は自信たっぷりに頷いた。
「ですが……まさか、先代が人間だったなどと……」
「全く、信じがたいことだよ。だが、彼女の願いを果たす為には、私達はまだ、色々としなくてはいけない事が多い」
「存じております。それが先代の願いであったのなら。そして、貴方様の求める物であるならば」
ラミアの先代魔王への忠誠心は本物であった。
恐らく、彼女は代々の魔王に対して同じように誠心誠意尽くしていたのだろうと、魔王は考える。
アルルも魔王の後継者候補として優秀で見るところが多いが、ことこの件に関しては先代とも関わりの深かったラミアは重要な存在であり、魔王は真実を知るや、即座にラミアに打ち明け、自分の側に引きずり込んだのだ。
真相を知り、ひどく驚いていたラミアであったが、先代魔王の『本当の願い』を聞き、今ではそれを叶える為、魔王の意を汲んで行動していた。
それでも尚、時折こうして確認しに来る辺り、ラミアにとってもその事実はとてもショックなことだったのだろうと魔王は思っていた。
「状況を作っていかなければならん。そして同時に、この終わらない戦争を『終わらなくさせている』その元凶を叩かなければいかんのだ」
「……ネクロマンサーもかつて、似たようなことを言っていた事がありました」
不意に、ラミアの口から意外な名前が出てきたことに、魔王はわずかばかり驚かされた。
「君の口から奴の名前が出てくるとはな」
ネクロマンサーは、魔族としては実に珍しく政務に長けた男で、その結果軍事を司るラミアとは対立もしていた。
犬猿の仲というほどではないが、良好とは言いがたいという意味で。
「あの男は、口を開けば夢事のような訳のわからぬ話ばかりするのです。年下の癖に見下してきますし、正直嫌いでしたわ。ですが、私の母とは仲も良く、度々話を聞いていたようですが」
「ネクロマンサーがどの時点でこの世界の真実に気づいたのかは解らんが、結果として、奴は君以上に、この世界に関しては詳しくなった訳か」
ラミアをして訳が解らないと思われたその言葉は、もしかしたら彼としては極めて真面目な、本当に世の中のことを考えた結果出た言葉だったのかもしれない。
そう考えると、人の話とは中々、馬鹿にしたものではないなと魔王は思っていた。
自分が賢いからと、周りの意見に耳を貸さないと大切な情報ですら聞き逃すのだ。
「ですが、同時に私は恐ろしくもあります。もし仮にその『元凶』をどうこうできたとして、その後の世界はどうなるのでしょうか? 先代の望むような平和が、本当に訪れる事などありえるのでしょうか?」
ラミアは躊躇っていた。彼女には世界の流れは見えない。
それが彼女の限界であり、その世界に存在する創造物としての限界でもあった。
血が流れすぎている。互いの種族は憎しみきっている。現状から共存の道などありえないに等しい。
人間も魔族も、互いに憎しみ合い、殺し合い、増えた分を殺していく位しか共に生きる術を持たないのだ。
仮に根本的なルールを変えたとして、それが隅々まで行き渡るのにいかほど掛かるのか。そもそもブレーキになり得るのか。
ラミアには、それが不安に感じてならなかった。
何も意味が無いのではないか、と。既に手遅れなのではないか、と。
「解らん。もしかしたら何も変わらんかもしれん。その次の『魔王』が何を望むかによっても変わるだろうしな……」
魔王は断言できなかった。本当に解らないことは素直に伝えるほかない。
世界を見る事は出来ても、彼はもはや『魔王』ではなくなっていた。
「……」
言い知れぬ不安に、ラミアは身体を揺らす。
目の前の主が何を考えているのか、今一度確かめようとし、しかし何も言えず押し黙ってしまう。
魔王は、真剣な表情でラミアを見ていた。
自然、口元が締まり、言葉が出なくなる。
「それでも、何もやることがない世界よりずっと楽になった。きっと私達は、ここから猫を探し、猫が生きてるか死んでるか、それを確認しながら先に進むのだ」
「猫……? 陛下、それは一体……」
唐突に出た猫という単語に、ラミアは目を白黒させていた。
「どこの世界だったか。非常に科学の進歩した世界で一般論として広まっていた『猫学』の話だ」
「……申し訳ございません、訳が解りませんわ」
科学という言葉自体になじみの薄い世界であるが故、ラミアはそれについては全く理解できないらしかった。
「私も良く解らん。ま、何が起こるか解ってる世界は、何も知らないまま迎える世界より遥かに先を予測しやすい、という事らしいよ?」
「未来予知とかそういうお話ですか?」
「予知というか、選択肢の話なんだろうな。物事の間に見える、わずかな世界の選択肢……どれを選べばどうなるか、それをきっと、私達は無意識のうちに選択しているのだ」
魔王自身、話していてやや混乱しはじめていた。難しいお話だった。
「他に報告は?」
なので、さっさと話を切り上げ、シエスタに戻ることにした。
「いえ、これで以上ですわ。では、これにて失礼致します」
「うむ。まあよろしく頼む」
ラミアもそれ以上は話がないらしく、恭しげに頭を下げ、そのまま去っていった。
それを見届け、魔王は寝転がる。
「本当、何を考えてるんだろうなあ、あの娘は」
おもむろに呟きながら、手に取ったままの人形を元の場所に戻し、軽く目を瞑った。




