#9-1.悪夢から始まる歴史
氷の嵐が吹き荒れていた。
山頂は雪が積もり始め、ダイアモンドダストが空をも白に変えていく。
白に浮く黒色と金色の対峙。
彼女は、そこでただ見ているだけだった。
ほどなく、戦いが始まる。
先制とばかりに金色の竜が吐いたプラチナのブレスは、しかし黒い外套を羽織ったその男にはほとんど効果がないらしかった。
だが男はリーチの差で中々間合いを詰めることが出来ず、ただ一方的に繰り出される攻撃をいなすだけに留まる。
そうしているうちにいつの間にか攻撃を受けたのか、男の左腕がなくなっていた。
どちらが有利かなど見れば解るような状況で、それを見ていて彼女は胸が高鳴るのを感じていた。
(勝てるわ、養父さんが勝つ)
自分の養父の勝利を確信し、頬を緩めた直後だった。
意を決してか飛び込んだ男が、竜の腹に手をあて、酷い悪党面でにやけていたのを見たのは。
その後、男はすぐに離れたが、金色の竜は倒れ伏し、酷く苦しみだす。
何が起きたのか解らないまま、娘は倒れた養父の名を叫ぶ。
しかし彼女の養父は、それに応えることもできず、呻き……そうして、腹の中から複数の人形に突き破られ、動かなくなった。
最強の力を誇る巨大な竜は、その巨大さ故に体内に転移の魔法で潜り込まれ、耐久の低い内臓を直に攻撃されて敗北したのだった。
男は笑っていた。万事やることをやったとでも言わんばかりに。
一仕事終えたかのような男の顔に、娘は酷い憤りと恐怖を感じた。
そしてその顔を、彼女は良く知っていたのだ。
その男は――
「……っ!!」
彼女が目を覚ますと、そこはいつもの寝室だった。
壁には麓で採れた花が佇み、窓辺では小さな山鳥達が楽しげに歌う。
陽射しもうららかな初秋の晴れ日。
そんな中、彼女は酷く暗い表情で、静かに息を整えていた。
胸の鼓動が悪い方向に高鳴っていたのを抑えつつ、なんとか冷静に現実を見据える。
「……なんだ、夢か」
言葉にして、ようやく先ほどのそれが悪夢だったのだと自分で納得でき、大きく溜息をついた。
そうこうしている内にも、段々とその嫌な夢の内容もうろ覚えになってきて、どうしてそんなことになったのかなど解らなくなるのだが。
ともあれ、嫌な気持ちを振り払うように頭を振り、養父の顔を見ようと起きる事にした。
「居るのは解るんだけど、それでも会わないと不安になっちゃって」
祭壇にて。養父の腹をさすりながら、今のこの現実というものを実感する。
『嫌な夢を見たようだな』
「養父さんが魔王に倒される夢よ。ほんとロクでもないったら」
聖竜エレイソンは、そんな義娘カルバーンのふくれ面を見ながら笑っていた。
口元は裂け、幾重もの鋭い牙が並ぶが、目は優しい。
まるで夢に怯えた子供のような、そんな愛らしさを感じていたのだ。
「何より、私がただ見てるだけだったっていうのが腹が立つわ。私、そんなおとなしい子じゃないもの」
『そうだとも。お前と私が共に居れば、負けることはあるまい』
目を細める。エレイソンとカルバーンの間に血の繋がりはないが、その信頼は絶対の物であった。
「でも、なんであんな夢を見たのかしら? 今までそんなこと、一度もなかったのに」
ストレートの金髪をくるくると弄りながら、カルバーンは不思議そうに呟く。
彼女的に、どうにもそれは不思議な感覚らしく、ただの夢で済ませる気にはなれないらしかった。
「それに、季節も真冬みたいだったし。ほんと、変な夢だわ」
『カルバーンには、未来を予知する才能があるのではないか?』
延々不思議がる義娘に、エレイソンは一つの解を示す。
「だとしたら、そんな未来変えなくちゃ。あんな奴、私と教団の手で倒してやるわ」
ぐぐ、と握りこぶしなどを作ったりする。
その仕草がコミカルながら、ほほえましいと思ったのか、竜は口を開き、静かに「ククク」と笑っていた。
「教主様、聖竜エレイソン様、おはようございます」
カルバーンらが朝食を済ませた辺りで、見計らったように彼女らの信徒、ナイトリーダーのバルバロッサが現れた。
「おはようバルバロッサ」
『おはよう』
「秋も始まりとはいえ、うららかな日々が続いております。このディオミスも、今のところは機嫌がよろしいようで」
傅きながらも、祭壇から山々を仰ぐ。
「ディオミスの山々が荒れ狂うのはもうちょっと先だわ。もう、結界で覆わないとすぐ雪まみれになるんだから」
ほんと冬って面倒だわ、と、カルバーンも苦笑した。
そうして、空気が変わる。幾ばくか引き締まる。
「良く戻ったわね、バルバロッサ。帰還の報告は聞いていたけれど」
二人は、バルバロッサの帰還の報は受けていたものの、直に彼と会うのはこれが初めてだったのだ。
「遅くなり申し訳ございません。不在の間の引継ぎをしないでは、ご挨拶もままなりませんでしたので」
頭を下げるバルバロッサに、聖竜は『かまわぬ』とばかりに手を振る。
『合間の手紙により、南が不穏な動きを始めたのは知っている……詳しい説明を待っていたのだ』
「かしこまりました、では詳細な説明を――」
エレイソンの求めに応じ、バルバロッサは近年の南部諸国、とりわけ教会組織の動向を説明していった。
「なるほど、つまり貴方の支持していた良識派が勢力を失って、ろくでもない奴らが主権を握ってしまったのね」
「いかにも。良識派のカリスマであったグレメア大司教が暗殺され、その後を務めた中心メンバーであったエレナ司教も何者かによって行方知れずになってしまい、最早組織はがたがたと言ってもいい状況です」
南部に侵攻していた魔王軍は大きく後退したものの、南部の中枢を握る教会組織そのものが腐敗していった為、何をしでかすか判らなくなっている、というのが彼の報告の大きな所であった。
「これまで教会組織が表向きには他宗教を攻撃しようとしなかったのは、良識派の働きかけが大きかったのもあります。その為、私は教団と教会との関係がどこかしらに軟着陸するのを願い、良識派に組していたのですが……」
『場合によっては、教会が我が教団……異端者に対し、実力行使に打って出る可能性もあるという事か』
「都合の悪いことに、ゴーレムという強力な兵器が完成してしまい、南部での魔王軍の脅威は薄れましたから」
元々教団としては、頼りない教会から支持者を奪い取ってきたという自負もあり、その辺り対立してしまうのは仕方ないという意識もあった。
これまで対立が決定的でなかったのが良識派のおかげというのなら、これから先は初期の見通しどおり教会との明確な対立が始まる、というだけの話なのだろうが。
問題はそれだけで済むものではない、というのも、三人にはわかってしまっていた。
「……中央が巻き込まれるわね」
言いながら、カルバーンは情報魔法で勢力図を作り出し、睨む。
『うむ……というより、勢力図的に、中央が真っ先に狙われる』
「はい、それに海を挟んで魔王軍とにらみ合っているゴーレム軍団が北上すれば、丁度大帝国帝都……アプリコットへと続く道に繋がります」
バルバロッサも地図に指差しながら、今後の状況を推測する。
「おなじ地続きでも西部は既にそのほとんどが我ら教団の元あると言っていい状態ですが、中央は無神論が続いておりますので――」
『奴らが動くとして、最初の目標は……アップルランドか』
「大帝国が崩れれば、その下に収まってる多くの小規模国家は混乱に陥るわ……無神論になってから国民の精神不安を抑えきれない国家もあるみたいだし、教会の庇護下に収まりたがってる国も出てくるかもしれない」
建国から今日に至るまで最前線で魔王軍と戦い、これを抑えている大帝国ではあるが、昨今ではその影響力の強さがあだになってきている部分も見受けられた。
特に近年のシブースト皇帝による宗教排斥は、確かにその当時は支持されたものの、周辺国民にとっては完全にとばっちりであり、突然宗教を奪われた人々は心の安定を失ってしまう。
ただでさえ不安定な政情が精神安定剤たる宗教まで失ったことでより悪化し、多くの小国では国民が国家に対し反旗を翻したり、その予兆らしきものを見せたりするようになっていた。
このままいけば、そうかからずに内部から崩壊する国家も出てくるに違いないとは、彼らに限らず多くの国の元首達は考えていたのだ。
「でも、そんな事をして大帝国から反撃を受ける可能性はないの? 教会が勢力を盛り返したと言っても、大帝国単体でもかなりの国力よ?」
何せ世界最強とも言える軍事力を持つ国家である。
通常兵力のみならず、魔法兵力や対竜兵器などの戦術的価値の高い戦力も他国とは比べ物にならないほど保持している。
経済力もかつてはカレー公国に遅れを取っていたものの、現状では中央において最も高く、世界全体で見て経済に優れる西部国家に引けをとらない。
長期間の戦争にも堪えられるだけの経済基盤と、輸出入を寸断されても生き永らえるほどの耕地資源・鉱物資源にも恵まれている。
更に西部において影響力を持つラムクーヘンと固い交友関係を持っているのも強みだ。
南部も資金力にはかなり余裕があるだろうが、それでも大帝国を撃ち破れるだけの国力には至らない可能性がある。
勝てない喧嘩など売る意味が無い。
「奴らも馬鹿ではありません。勝算のない戦いは挑まないでしょう」
バルバロッサは静かに答える。
「……勝てないから戦わない、じゃなく、勝てると思ってるから挑むって事?」
話を聞いて尚、それでもカルバーンには理解しかねる話だった。
人類圏最強ともいえる国を相手に喧嘩を売るなど正気の沙汰ではない。
「ゴーレムの破壊力・耐久性は非常に強力です。これまでの戦争の概念を破壊しかねない程に」
『……魔法も効かぬ事があるらしいな。お前の報告書どおりならば、材質によって性能が違うのだとか』
「はい。ミスリル製のゴーレムには魔法が一切効きません。引き換えに耐久性は若干低くなっておりますが、そうは言っても鉱物ですから……」
なんとも恐ろしい兵器である。
これまで人類には止める手段がほぼ存在しなかったヴァンパイアの軍勢を撃ち破り、これを撃退したというのだから、その威力は並大抵ではない。
「何より、今現在、中央の魔王軍が侵攻を開始したことにより、中央諸国の多くでは優秀な将軍や勇者といった『国の有事の抑えになりうる人材』が前線に出払ってしまっています。今に限りませんが、このタイミングで奇襲を受ければ――」
バルバロッサはそこで言葉を切ってしまった。
状況の恐ろしさ、今がどれほどに危険な状況下であるかというのが、その場を凍りつかせたのだ。
誰の物であったか、静かなその場に、ごくり、と、唾を飲み込む音が聞こえた。
「人類同士の戦争が、近いうちに起こる……?」
「ありえない話ではないでしょう。人間の敵は魔族ではなく、自分の利を害する人間、そう考える人間も少なからずいるのです」
そう、人は気づいてしまったのだ。隣人に背を預けることの危険性に。
隣人を攻撃することの有益さに。
『……大帝国が攻撃を受けた場合、どれほどの期間堪えられるのだ』
「なんとも言えませんが、帝都に対してのみの奇襲で皇族を狙って攻撃するなら、最悪は一日で片が付く可能性もあります。大帝国は皇室あっての国家ですから、これが失われれば……」
頭を失った国家がどうなるかなど、考えるに容易い。
完全な形で奇襲が決まれば、どれだけの大国であろうと案外簡単に崩れ落ちるものであった。
「ここで大帝国に何かあれば……計画が崩れてしまうわ」
教団によってまとまった人類による対魔族戦争。魔王を撃ち破るという目的。人類の平和という目標。全てが崩れ去る。
それは、大帝国という巨大国家が存在するからこそ打ち立てられたプランであり、その大帝国がなくなればそんなものは何の意味も成さなくなってしまう。
自然、教団の存在意義も薄れてしまう。そんなことはカルバーンには許せなかった。
「バルバロッサ、ここをしばらく任せるわ」
だから、彼女は行動する事にした。
教主の言葉に、聖竜は立ち上がり、尾を動かす。
カルバーンはそのまま器用に養父の膝や鱗などを跳び、その背中に腰掛けた。
「有事に備え戦闘の準備を。グラナディーア三個軍団を中央方面に動かして。とりあえずは中央を刺激しないように隠密行動で」
「かしこまりました。どうかお気をつけて」
ブン、と、突風がうねる。翼が動き始め、祭壇は風に包まれる。
目も開けられぬほどの強風の最中、金色の竜はホバリングしながら、徐々にその高度を上げていった――