#7-5.認識操作の例外
「……何度見ても、変わらんなあ」
大賢者エルフィリースの像は、以前見た時と変わらぬ姿のままであった。
変わるはずもない。像が姿を変えることなど無かった。
「当てが外れたか……? 何か浮かぶと思ったんだがな」
自分では割と自分の勘が鋭い方だと思っていたのだが、どうやらそれは外れたらしい、と魔王は踵を返そうとした。
「旦那様、お戻りですか?」
目の前にはアリスが立っていた。いつの間にやら控えていたらしい。
「……どうかしたのかね?」
「旦那様のお戻りが遅いので、様子を見にいった方が良いと、エリーシャさんに言われまして」
それでも声をかけずにいた辺り、どうやら気を利かせて黙っていたらしい。
「うむ、この像な……何か思い当たる事はないかと思って見に来たんだが、やはり何も代わり映えが無かった」
「はあ……そうなのですか。確か以前も見に来ましたよね」
「そうなんだ。こういってはなんだが、先代と同じ顔立ちだとは思うんだが、それ以外に何も無くてね……」
何も収穫なしではあったが、エルゼが友達と会えて幸せならそれで良いか、とそのまま立ち去ろうとしていた。
「あら、それでは、旦那様は気づいてらっしゃらなかったのですか?」
背中から聞こえたアリスの言葉は、魔王の足を止めるに十分なものであった。
「どういう……事かね? 何に気づいていないと?」
「ご先代の魔王と、この賢者の像と……トルテさんって、結構似てませんか?」
思いもよらぬ言葉であった。どくん、と魔王の胸が打たれる。
「どういう事だアリスちゃん。私には、あの娘と『彼女』が似ているなどとは――」
「だって、髪の色から顔立ちまで、そっくりですし。人間時代は知りませんが、性格も、そう考えると暴走しがちな所とか……」
魔王は酷く動揺していた。全く考えの及ばない話だった。
目の前の自動人形が一体何を言っているのか。
それが巡遅れで少しずつ飲み込めてくると、今度は激しい動悸がした。眩暈に、ついよろめいてしまう。
「旦那様っ」
「……大丈夫だ。すまない。状況が……私には、あの娘とこの銅像が似ている等とは思えないんだ。顔立ちから何から、まるで違う。それは、先代の時もそうだった」
心配そうに駆け寄るアリス。
魔王はなんとか持ち直すも、口から出るのは矛盾ばかりだった。
どちらが矛盾しているのかも解らない。よもや、誰がそのようなことに気づくというのか。
「先代魔王は、六翼の悪魔の羽を持つ、大人びた女性であったと思っていたんだが……ラミアも同じ意見だったし、様々な書物でもそう書かれていたはずなんだが……」
「六翼……? アリスには、旦那様が何を仰っているのか解りません。ご先代は、人間の女性と全く違いのない外見だったはずです。何度でも言いますが、トルテさんと良く似た、年若い女性だったはずですわ」
この意見の食い違い。アリスが嘘をつくような娘ではないのが解っているからこそ、余計に魔王を悩ませる。
「どちらが間違ってるんだ……何故、アリスちゃんだけが違うのだ……」
「いえ、あの……私だけじゃなく、ご先代の容姿に関しましては、私ども人形は、皆が同じ見解だと……初めてトルテさんとお会いした時に、皆にトルテさんの容姿を説明したら『まあ、まるで先代の魔王様みたい』と皆が言ってましたし」
魔王は困ってしまった。どうやら、人形達だけは全く違う見解だったらしいと。
ずっと傍に居たのに、魔王はそれに気づかず知らずにいたのだ。
主としての面目丸つぶれである。急に恥ずかしくなってしまった。
「あぁ……なんというか、私って結構、バカだったんだなあ」
頭を抱えてしまう。灯台下暗しというか。
クラムバウトという魔法が適用されたのが『その世界の生物』に限定されるなら、なるほど確かにアリスたちにはそれは掛からないのかもしれない。
あるいは、アリス達の持つ絶対的な魔法防御耐性がクラムバウトを無効化させたのかもしれないとも考えられる。
いずれにしても、自動人形はその認識を狂わせる事無く、正しくモノを見られている可能性があった。
少なくとも、魔王やラミアとは違うのは確実であった。
「だが、仮にあの娘が彼女と何らか関わりがあったとしても、少なくとも当人である可能性はなさそうだね。魔力は人並みにしかないだろうし」
「それは、そうですわね。エリーシャさんと比べてもトルテさんの持つ魔力はそこまで低くはないですが、それはあくまで人の範疇に収まっています。ご先代ほど常識はずれな魔力は持っていませんでしたから、当人である事は間違いなくありえません」
これに関してはアリスも魔王と同意見であった為、魔王は心底安心した。
まさかあの娘が先代の生まれ変わりか何かか、などと思ってしまったが、よくよく考えればそれは有り得ないと言える。
恐らくは、顔立ちから何からそっくりなだけの赤の他人、別人なのだろう。
もしかしたら先代が人間時代に生んだ子供か何かの子孫かも知れないが、そうだとしても彼女の血筋が世界に何らか影響を与えるようなものでもないので問題にはならない。
一応、魔王が彼女とした約束上、「私の娘」が子孫なども含めての事だったならば、確かにトルテを守る必要もあるかもしれないが、今の所トルテの身には危機は訪れていないし、エリーシャが傍にいる以上それもそう易々とは起こらないだろう事柄である。
いや、場合によってはその約束すらも、自分がそう思い込んでるだけでそもそも存在し得ないものなのではないかと思えてしまい、魔王は疑心暗鬼に囚われていた。
もう何が正しいのかも解らない状態である。
「いや、待てよ……あの時、確かアリスちゃんは私と一緒に居たはずだね?」
「はい……? あの時とは――」
核心に迫れるかもしれないと、魔王は思ったのだ。その時、確かにアリスは魔王と共に居たのだ。
魔王城に訪れる際に、必ず一緒に連れてきたのだから、もしかしたらそれすらも真実がわかるのではないかと。
「大切なお話中悪いけど、午後から用事あるから、私達ここで帰るわよ?」
いよいよという時には、邪魔が入るものであった。
「エリーシャさん。おお、もうそんなに時間が経ってしまったか。いや、すまなかったね」
いつの間にか後ろに立っていたエリーシャ達。
魔王はというと、おもむろに懐中時計を取り出し、時の経過を確認すると、大仰に驚いて見せた。
「悪いわね。真面目な話をしてたと思うんだけど、続きは他所でやって頂戴。ここってあんまり人は来ないけど、それでもたまに聖地巡礼で見に来る熱心な人がいるから」
「ああ、気をつけるよ。配慮に感謝する」
隣まで歩いてきて、「話は聞いてないから」と小さく耳打ちしてくれるエリーシャの配慮に感謝する。
「じゃあ、私達も帰ろうか」
「はい。あの、トルテさん、また――」
「はいっ、またお会いしましょう。今度は静かにお茶が飲みたいです。アリスさんも」
「ありがとうございますトルテさん。はい。また」
心なし、三人は再会した時よりも仲がよくなっているように感じていた。
特にエルゼとトルテは別れ難いのか、指先まで絡めてお互いの顔を切なそうに見つめる始末である。
危ないなあ、と思いながら、魔王は先ほどのアリスとの会話を思い出し、トルテをじーっと見ていた。
「あ、あの……?」
視線に気づいたのか、トルテは怯えるようにエリーシャの後ろに隠れる。
魔王は少し傷ついた。
「いや、別にいやらしい気持ちは微塵もないんだがね」
「おじさんが何を思ってこの娘のこと見てたのかは知らないけど、男嫌いだから勘弁してあげて頂戴」
エリーシャからじと目で牽制される。
どうやらそこも前と変わりがないらしい。困ったものである。
「ああ、気をつけるよ」
「うん。じゃ、そう言うわけだから」
右手をシュタッと挙げ、エリーシャはトルテを連れて去っていった。
途中、名残惜しげにトルテが何度も振り向いていたが、その都度エルゼは手を振って見送っていた。
結局、エルゼが傍に居た為にそれ以上先ほどの話をすることもできず、魔王らも程なくして魔王城に戻る事となった。
夏の昼つ方の話であった。