#4-2.エルフの姫君と酒を飲む
セシリアの部屋は意外と飾り気がなく、亜人とはいえ姫と呼ばれる年頃の娘の住まう部屋とは思えない質素さであった。
「なんにもない部屋で、退屈かもしれませんが……」
照れたように眉を下げながら、変わらない笑顔で魔王を部屋に通したセシリアは、部屋で待機していた侍女に指示を出し、手際よく酒の用意を進めた。
「慣れてるようだね」
「はい、森に居た頃は、よく姉妹や他の娘達とお茶会をしていましたから」
「ほう、そうなのか」
「はい」
そのまま魔王を席へと案内し、自身も席に腰掛ける。
かすかにいい香りのする木で出来た椅子とテーブル。
それに限らず、部屋には植木など、緑を感じさせるオブジェクトが多かった。
そう掛からずに侍女は酒の入ったボトルを用意し、二人の前には木のコップが。
更にテーブルの上にはいつの間にかクロスが敷かれ、皿まで用意され、ポテトチップスが盛り付けられていた。
「……どういう魔法かね?」
突然何も無い空間にコップとテーブルクロスと皿とチップスが現れたのだ。魔王は唖然としてしまう。
「この子、こういう事が好きなもので」
苦笑しながら、セシリアが侍女からボトルを受ける。
「さあ陛下、お先にどうぞ」
「おや、すまないね」
腰掛けていたセシリアがすっと立ち上がり、魔王の席まで歩いてきて、その波々入った蜂蜜酒をコップに注いでいった。
ごぷり、ごぷりと小さな音が静かな部屋に響き、魔王は心地よい気分になる。
程なくして小麦色の液体で満たされ、セシリアも自分の席に戻る。
「では私も失礼して」
自分はというと、そのボトルをまた侍女に返し、侍女に注がせていた。
「君は酒は強いのかね?」
「さあ、どうでしょう。そもそもあまりお酒は飲まないものですから」
「そうか」
まあ、侍女もいるし問題ないだろうと、魔王は気にせず飲む事にした。
「ああ、陛下、こういう時は――」
「うん?」
コップに口をつけようとしていた矢先、セシリアはまたも立ち上がり、そして――
――コンッ
自分のコップを魔王のコップと軽く当て、小さな音が部屋に響いた。
「……これは?」
「これが蜂蜜酒を誰かと飲む時の作法ですわ」
「そうなのか」
「はい」
何が楽しいのかニコニコと笑いながらコップに口をつけるセシリアは、とても満足げであった。
魔王もそれに続き、口をつける。
「……飲みやすくて美味いな」
甘くてふわふわとした、それでいてさらりとした喉越しに、つい一気に飲み干してしまう魔王。
「そうでしょう。蜂蜜酒は私達エルフの森の特産品ですから」
「エルフは養蜂もするのかね」
「そんな事しなくても、森は私達に何でも与えてくれますわ」
それが森の恵みですから、と、変わらぬ笑顔で返すセシリアは、二口目を飲み下す。
一気に飲まない辺り、飲み慣れていないとはいえ、人との飲み方は熟知しているという事なのか。
コロコロと笑いながら、ちょこちょことコップに口をつけ、可愛らしく飲んでいた。
「あ、陛下はもう飲まれたのですね。流石に殿方は飲むのが早いです」
すぐに侍女が魔王の傍まで寄って、空いたコップに蜂蜜酒を注いでいく。
ごぷり、ごぷりと心地よく注がれ、二杯目も満杯になる。
「チップスもどうぞ。これは人間世界で広まっているものらしいですが……」
「ああ、私も食べた事はある。これは中々酒に合うんだ」
解っている組み合わせに、素直に感心し喜ぶ魔王。
子供のようにチップスを素手で取り、そのままかじる。
パリッという心地よい音が響き、魔王もセシリアも幸せな気持ちになった。
「――良い音だ」
「――はい」
二人とも幸せだった。適度な塩味が酒の甘さを際立たせる。
「私、この音が好きで」
「奇遇だね、私もだよ。こんな不思議な食べ物があるのかと驚かされた」
薄く切ったジャガイモを油で揚げただけというシンプルこの上ないポテトのチップスは、人間世界で大流行している酒のつまみだった。
人と関わりの深かったエルフもその影響は受けており、更にはエルフを通して魔界にも人気が広がり始めているらしい。
「お酒はあまり飲まないんですけど、美味しいのでこれだけ食べちゃったりしてます」
――パリッ
「気持ちは解るよ。私も本を読んでる合間に食べたりしてるが、これは中々……」
――パリッ
二人して、しばしチップスで幸せになっていた。
「陛下は、お人形や書物を集めるのが趣味だと聞いたのですが」
ふと、セシリアはチップスをつまみながら、魔王に話題を振る。
「ああ、まあ、確かにそうだが」
魔界での自分の趣味の評判があまりよろしくない魔王は、この手の話題を振られるのはあまり好きではなかった。
楽しく過ごしていた飲み会であるが、少しだけ魔王のトーンも下がってしまう。
「人間達の書物って、陛下から見て面白いですか?」
「面白いね。彼らは私達とは全く考える事が違う。新しすぎる。その差異がたまらない」
新しい発想。斜め上な努力。価値観の差異。才能の為せる奇跡。
人間の作るクリエイティヴな世界は、異種族の魔王から見てとても新鮮であり、最高の娯楽だった。
「そうですね。私から見ても、人間は面白い事してるなーって思いますもの」
「エルフから見てもそうなのかね」
「はい、彼らは新しすぎます」
魔王の言葉の端を取り、同じように返すセシリア。
「ふふっ、はははは――」
してやられた気持ちになった魔王は、たまらず笑ってしまった。
「くす……」
セシリアも、魔王に釣られてか、小さく微笑んだ。
「妹達、と言ってたが、他にも兄弟姉妹はいるのかね?」
次の話題を振ったのは魔王だった。
セシリアは静かに微笑みながら、コップに唇をつけ、一口飲み下した。
「妹が三人、兄が二人、弟が……幼い子を合わせて四人います」
懐かしそうに、思い出すように少し上を見ながら。
「やはり王族ともなると中々兄弟姉妹も多いんだな」
「そうですね。普通のエルフなら、兄弟姉妹はいても二~三人っていうところでしょうし」
不思議と困ったように上目遣いできょろきょろ動かし、落ち着きなくなる。そしてすぐに戻った。
「王族、それも第一王女なんだろう君は。魔王の妾になどなっていいのかね?」
「それに関しては、先日も言いましたが、これが私共エルフの誠意と思ってくださいまし」
誠意という一言で済まされる人身御供に魔王は少なからず同情も感じていた。
彼女のみならず、その妹達も、遠からず同じように室に出されるのだ。
その相手が自分のようならまだしも、そういう相手ばかりではないのは誰でも分かる。
それは彼女達にとって不幸な事なのではないかと、酒の所為か、そんな余計な事を考えてしまうのだ。
「君自身はどうなのかね」
「私は、覚悟ができているからここにいるのです」
一族の全てを背負い、この姫はここに座っていた。
その覚悟を、どうして一介の中年魔王に捻じ曲げられようか。
「……そうか」
「はい」
静かに、しかしどこか悲しそうに微笑み、彼女は変わらぬ笑顔で魔王を見つめていた。
「いや、中々に美味い酒とつまみだった。ご馳走になったね」
「いえいえ。陛下。もしよろしければまたいらしてくださいませ」
ニコニコと微笑みながら、部屋から出た魔王をセシリアが送る。
ここまでで結構、と魔王が制止すると、セシリアは部屋の入り口で立ち止まり、ペコリと頭を下げた。
「ああ、機会があったらね。それから――」
魔王は背を向けたまま、階段へと歩いていく。
「安心して良い、私は別にグロリアやエクシリアにも、無論君にも手を出すつもりは無い」
そのまま、ずっとうっすらと感じていた違和感の答えを彼女に伝えた。
「意図がはかりかねますわ」
「そう思うならそれでいい」
「はい」
応えた彼女は変わらず笑っていたのだろうか。
その姿すら見えない魔王は、しかし、やはり喰えない娘だと思いながらも、ふ、と楽しくなって小さく笑った。