#6-2.幽閉された皇女の話
「その本、結構真面目に読んでるみたいだけど、面白い?」
「えっ? あ、はい。色々参考になる事が書かれていますわ」
「そう、良かった」
突然の問いにおっかなびっくり答えたトルテではあるが、それを見てエリーシャは満足げに笑っていた。
(お姉様、きっとまだ私達が血の繋がりがあるって知らないんだわ……)
トルテもあくまでこの本を読んだ事によってそれを知ったのであって、それがなければ知りえない事実であった。
実際問題、勇者ゼガがアップルランド皇室の傍系にあたる存在だったなどと知れれば、これは今の時代においてもセンセーショナルなニュースになりかねない。
政治に関しては慎重な父皇のこと、たとえゼガの娘であろうとそれを漏らしたりはしないのではないか、とトルテは思ったのだ。
それは、幼少からこの姉に気があるらしかった実兄の様子からも考察できた。
ああ見えて、兄のシフォン皇子は実直な人で、昔から生真面目だと言われていた。
そんな真面目過ぎる兄が、恋する相手が仮に同じ血筋の者だなどと知れれば、どんな気持ちになるか。考えるより容易かった。
つまり、父皇は、自分だけでなく兄にもそれを教えなかったに違いないと、トルテは思ったのだ。
皇室の一部とそれに関わる者にしか知らされていない事実なのかもしれない。
俄然興味が湧いてきてしまった。そんな事を知っているこの本の著者は一体誰なのだろうか、と。
「お姉様。あくまで仮定の話ですけれど、お姉様がもし私と同じ血筋の方でしたら、どうなさいますか?」
「どうもしないわよ。皇室の血が私を縛ったりしない限り、私は何も変わらないと思うわ」
実にこの姉らしい、とトルテは笑ってしまった。
「何がおかしいのよ。変に驚いて見せたり、難しそうな顔したり、いきなり笑ったり。変な子」
「ふふ、ごめんなさい。お姉様らしいなあって思ってしまって」
「さて、もうそろそろ終わりにしましょ。夕食の案内が来るはずよ」
「あら、もうそんな時間でしたか……集中すると時の経つのが早いですわ」
エリーシャに促され、トルテが壁に掛けられた時計を見ると、確かにもう夕食の時間に近づいていた。
「じゃあ、私はもう戻りますわ。お姉様も、夕食、ご一緒に――」
「ああ、ごめんなさい、私は用事があるから、一旦家に。部屋までは送ってあげるから」
いつものように夕食に誘おうとするも、それはにべもなく断られてしまった。
トルテは出鼻を挫かれしょんぼりしてしまう。
「残念です……」
「ごめんね。また明日も来るから」
本当に申し訳なさそうに眉を下げるエリーシャに、トルテはそれ以上我侭も言えず、「解りました」と目を伏せた。
その後、エリーシャに送られて部屋に戻ったトルテは、夕食の案内に訪れた侍女に連れられ、食卓の場に向かっていた。
「おう、トルテじゃないか。一緒に行こう」
「あら……」
ふと、T字路になっていた通路で父皇と鉢合わせになり、一緒に歩く事になった。
「お父様、ちょっと気になる事があったのですが」
「なんだ、言ってみろ」
一緒に歩きながら、トルテは食卓の間までの長いような短いような距離を、先ほどの疑問をぶつける事で紛らわそうとしていた。
「先ほど、お城の書庫で気になる本を見かけまして。その中でいくつか……」
「おうエリーシャから聞いたぞ、何でも勉強を始めたとか。いい事だと思うぞ俺は」
エリーシャ同様「気になる事があるなら俺に聞け」といわんばかりに分厚い肉胸を張る皇帝であった。
「一つは、パンナコッタ皇女という……お父様の叔母上、私の大叔母に当たる方の事です。もう一つは、お姉様が、私と同じ血筋の方であるという――」
「どこでそれを知った」
空気が変わったのは、さほど敏感ではないトルテにもありありと感じられた。
見上げるとその表情は硬く、厳しい面持ちだった。
「ですから、書庫で見つけました」
「それが記されてるのは……デルフィニウムの著書か」
「ご存知なのですか?」
「城で抱えてる歴史学者だ。内容を閲覧して世間に知れてはまずいとしまい込んだが、まさかそれを見つけ出すとはな……」
父皇の難しそうな顔に、トルテは「この話題は触れてはいけないものだったかもしれない」と感じていた。
それでも尚知りたいから聞くのだが、やはりというか、あまり良い顔はされないらしかった。
話している内に、とうとう食卓の間へと着いてしまうが、話は終わらない。
「……席を外してくれ」
「かしこまりました」
トルテの疑問に答える前に、父皇は侍女達を外す。
二人席に着き、皇帝は「さあ何から話すか」とばかりに顎ひげを弄りだす。
「――叔母上はとても美しく、そして可憐な女性だった。俺が子供の頃から、そして亡くなられるその時まで変わらずな……」
まず話として出たのは、パンナコッタ皇女の事であった。
「では、あの本に書かれていた事は、本当に……?」
「何一つ間違いは無い。叔母上はお前と同じ位の年の頃、俺の父によって幽閉され、死するその時まで皇室においてその存在は禁忌として触れる事を許されなかった」
「……私と同じ位なら、外見的にはそんなにおかしくは……」
自分や姉を鏡で見れば解るが、年齢からして外見的にそんな異常なほど若くはないのではないかとトルテは思ってしまっていた。
「バカを言え。お前は世間を知らないからそうは思わないだろうがな、お前位の娘は、化粧をしないとそろそろ皺が怖くなってくるし、肌のつやも次第に衰えてくるのだ。筋力も徐々に弱まってくる」
その、まるで「お前と一緒にするな」と言わんばかりの言われように、トルテは少しばかり傷ついてしまった。
「まるで私が人と違うみたいな言い方しますのね」
「人と違うと思うぞ俺は。最近、そう思うようになった」
そして皮肉はばっさりと斬り捨てられた。
「お前は、恐らく叔母上と同じだ。どれだけ歳を重ねようと、それ以上身体の歳は取らん」
「あの、それって……」
「……俺が教会組織を中央から追い出したのには、三つ理由がある。一つはお前の誘拐事件があったからだ。そして二つ目、それは――」
トルテは、目の前の父がどこか見知らぬ、怖い存在であるように感じていた。
男性だからではない。自分の知らない父がそこに居たからだ。
それは、父としてでも為政者としてでもなく、一人の人としての父だった。
「叔母上を魔女と罵倒し、迫害し、周辺諸国を煽り、父に叔母上の幽閉を迫ったのがあいつらだからだ」
怒っていた。教会組織に対する怒り。それが自分だけでなく、それより遥か昔から父皇が抱いていた憤りだったのだと、トルテはこの時初めて気づいたのだ。
「そして、仮にお前が叔母上のような症状を発症した場合、それがお前にまで振りかかる恐れがあった……それが、三つ目の理由だ」
「私が、大叔母様のようになると……?」
「あのまま教会をのさばらせて置けば、遠からずそうなっていた可能性がある。俺は、自分の判断が間違っていたとは思わん。最近それを確信した」
トルテは想像する。自分が魔女だと疑われ、大叔母のように、一人寂しく幽閉されて暮らすのを。
それがどれほどの孤独か。どれほどの苦痛か。考えただけで身震いが止まらなかった。
「安心しろ。幽閉など俺がさせん。俺はな、叔母上の亡くなられた様を見て思ったのだ。『こんな事は繰り返させてはならん』と」
胸をドン、と叩き、震える娘を安心させるように力強く笑って見せた。
「……お父様」
「……腹が減ったな。血筋の事は、飯を食いながらでもいいだろう」
少し涙ぐんでしまったトルテであったが、気恥ずかしいのか、皇帝は頬をポリポリと掻きながら、部屋の外に控える従者に食事の用意を促した。