#6-1.アルム家とは
ある夏の日の事である。
大帝国は近年より夏季での急激な気温上昇が続いており、今年も例年以上の暑い陽射しが降り注いでいた。
カレー公国が存在していた頃、まだティティ湖やカルナディアスが人類の手にあった頃は、猛暑の厳しい夏にはこの水源地帯に避暑し、水浴びなどして遊ぶのが中央諸国の王侯や貴族の定番のすごし方であったが、今となってはそれも叶わず、アプリコットの皇城においては、猛暑への対処として各所に巨大な氷を設置する事により暑さを凌ぐ事となっていた。
「どうせならこの氷、オブジェとかにすればいいのにね」
「あら、それは名案ですわ。お父様に提案してみましょうか」
いつもの皇女の私室ではなく、城の外部にある書籍保管庫にて、エリーシャとトルテは雑談しながら本を手に取っていた。
保管庫などというが下手な街の図書館と相違ない程度には広く、また所蔵されている本もとても古い、一般に出回っていない書物がとても多い為、エリーシャは、まずはここを起点にトルテの為の本を探す事にしたのだ。
当初エリーシャは、先日言った通りにグレープ王国の図書館に行こうと思ったのだが、諦めの悪い事にラムクーヘンのサバラン王子はまだ帰ろうとしないらしく、トルテが不気味がったので離れる訳にもいかなくなり、このような近場で済ませることとなってしまっていた。
皇帝にかけあったりもしたが、サバラン王子は名目上は執政者として勉強する為に留学したという事になっていて、無理に追い返す訳にも行かないし彼自身もトルテに拒絶されたからとすぐ帰れないという事実が判明し、エリーシャとトルテに溜息をつかせる事となった。
「ねえトルテ、この本なんかどうかしら?」
それとなく手に取った本をパラパラと読み、内容に意味を感じたのでトルテに手渡す。
「あ、はい……『紀元前より続く血筋とその経緯』。なんか、すごい難しそうな本ですね」
「そんなでもないわ。解らないところがあるなら私も一緒に読むし。ぱっと読んだだけだけど、その本、皇室の事が書かれてるみたいよ?」
「皇室の……わかりました。ちょっと読んでみますね」
自分の家系に関わる内容に興味を抱いたのか、トルテは微笑みながら備え付けの卓へと向かっていった。
エリーシャも、他に何冊か関連書籍を手に取り、後を追う。
『紀元前より続く血筋とその経緯』
魔王歴ドール・マスター24年、今代における中央諸国の雄、アップルランド大帝国は、古より続く高貴な血筋によって束ねられている。
『アルム家』と呼ばれるこの血筋に始まる旧家は、この世界における紀元前、すなわち初代魔王の誕生した時点で、既に存在していたものと言われている。
幾億年もの長い年月を永らえたこの血筋は、始まりこそは『ピースリムル』と呼ばれる、現在で言うシナモン村近郊の小領地にて興ったものであるらしいが、時として王家の一員として名を連ねたり、大領主となったり、時代の強国の王となったりと、その世代によってその地位、その立場を大きく変えていた。
そういった経緯から、世界最古の王家と言っても差し支えないこのアルム家ではあるが、同時に少なくない歴史家や古国の間で『突然湧いた皇室』と揶揄される事もあり、全世界でその正当性を勝ち得ているとは言いがたいのも現状である。
紀元後のアルム家の初代当主アルフレッド・ザカード・アルムは、魔王誕生により荒廃しきった世界の中心に立ち、生き残った諸侯らと共に、人類を突然現れた魔物や魔族との戦いへと導いていった。
これにより始まった戦いは団結した人類側の圧勝に終わり、初代魔王ヴェーゼルは生き残ったいくらかの魔族と共に大陸の東部の僻地へと逃亡した。
アルフレッドはこれを追う事はせず、大陸極東部を魔族の世界とすることで不干渉を宣言し、現状の人類圏の安定を優先した。
程なくしてアルフレッドは病に倒れ、妹のリリア・フィルリース・アルムが領主の座につくと、それに安堵したのかすぐさま息を引き取ってしまったのだという。
紀元後の英雄アルフレッドは倒れ、世界の指導者はリリアが引き継ぐ事となったが、リリアはこれを良しとせず、指導者としての立場は他の同胞に譲り、自身はピースリムルに引きこもってしまう。
アルフレッドの同胞の諸侯らはいずれも優秀で、しばらくの間平和な世界が続いたが、対照的にアルム家の影響力は次第に衰えていってしまった。
その後、リリアは歴史に名の残っていない、いずれかの相手と子を作ったらしいが、その後幾世代に渡りアルム家に関しての記述は完全に途絶えている。
次にアルム家の名前が歴史の表に出たのは実に数千年後の事であり、この空白の期間の存在が、現代の歴史家達にアルム家の存在を疑わせる根拠となってしまっている。
しかし、私はこの書物を書き記しながら、アルム家は存在し、連綿と続いている血筋であると断言できると思っている。
アルム家の血筋の特異な点として、血統の女性は時たま、外見上肉体上、年齢を取り難くなるというものがあった。
これは二代目当主であるリリアにも見られたものであるらしく、『幾十年経とうともその美貌に変わりなく、十代の少女の様である』と多くの古代史の人物評にも記されている。
そして実際問題、現代までに続くアルム家の血筋の女性にその傾向が見られる事があり、それが現代のアルム家が、古代のリリアに続く最古の血筋であると言われる根拠と言える。
近代においても、先代皇帝の妹、現皇帝シブーストの叔母にあたるパンナコッタ皇女は、五十を超える歳になろうともその外見は十代後半のままであり、それが故、心ない者達から『魔女である』と、言われなき迫害を受けることとなっていた。
魔道を追求しすぎたが故に外道に手を染め、魔族へと堕ちた魔女は、確かに人の外見のままに歳を取らない。
だが、確かに代々のアルム家の血筋の中には魔法使いとして大成した者も居たが、少なくとも彼女には魔道の心得等なく、それどころか敬虔な神の信奉者であったと言われている。
しかしながら、自国の皇女が魔女であるなどと言うデマが内外に広まるのを恐れた時の皇帝は、事実とは関係なく皇女を幽閉し、その結果彼女は人生の大半を世間に知られる事なく、孤独のまま、少女のような外見のままその人生を終えたのだという。
皮肉な事に、魔族としては短すぎると言われる五十余年の歳月を以て死んだ事によって、彼女が魔女であるという疑いが晴らされ、その結果、彼女はようやくにして世間からこの国の皇女であったと認められたのだ。
だが、私は時の皇帝を責める事はしない。
何故ならば、それは代々の皇帝が、そのような症状を発症させた女性を例外なく幽閉し、世間の目から遠ざけていたからである。
先代の例に倣ってそれが行われていただけで、皇女に対してはむしろ哀れみや罪の意識すら感じていたと言われ、非道とも言えるその処置も、嫌々、仕方なく行っていたものと思われる。
実際問題魔女と疑われるまでは、皇女と皇帝は兄妹としてとても仲睦まじく、皇帝の妻も嫉妬するほどであったと言われていた。
それが故、パンナコッタ皇女の悲劇によって一番苦しんだのは、本人を除いては、他でも無い皇帝自身だったのではないかと推測できる。
話は戻るが、アルム家の第二の特徴として、一億年から五千年ほど過去の間に天より賜った二振りの宝剣がある。
聖なる宝剣『シュツルムバルドー』と、邪なる宝剣『ネクロアイン』である。
これらはかつて戦女神が使っていた剣であるとされ、持つだけならば誰でもできるものの、アルム家の血筋の者以外、無闇に扱おうとすればその魂を吸い尽くされてしまうと言われている。
宝剣についた宝玉にはそれぞれ強大な魔力が秘められており、シュツルムバルドーは古代魔法『グラビトン』が、ネクロアインには古代魔法『デスマーチ』が、遣い手の意思によって発動させる事が出来る。
かつては剛剣遣いと言われたシブースト皇帝もこの二振りを使って魔族の群れを単騎で蹴散らしたと言われており、その威力は絶大である。
現在においては同じくアルム家の血筋であり、遠縁にあたる勇者ゼガの娘、勇者エリーシャにシュツルムバルドーが貸与されており、シブースト皇帝はネクロアインのみを手元に残す形となっている。
「えっ……?」
ここまで読んで、トルテは驚きの声をあげてしまった。
「どうしたの? 何か変な事が書いてあった?」
顔を上げたトルテに、エリーシャは読書を中断し、優しげに微笑む。
「あ、いえ……あの、なんでもないです」
「そう。解らないことがあったら遠慮なく聞きなさいね」
これでも色々調べてまわってるから、とない胸を張るエリーシャだが、トルテはそんな言葉に返す余裕もなく、また本を見る。
読むのではなく、あくまで読む振りである。それどころではなくなってしまったのだ。
(お姉様、私と同じ血筋の方だったのね……)
途中まではパンナコッタ皇女可哀想と思ったりしていたトルテだったが、それ以上にエリーシャが、そしてその父である勇者ゼガが自分と同じ血統の人間だった事に驚いていた。
父皇はそれを知っていたらしいが、何故それを教えてくれなかったのかと言う憤りも若干覚えながらに。
「あの、お姉様の家って、どこかの領主か何かだった事はあるのでしょうか?」
そうなると、気になるのはこの目の前の姉である。
トルテは、エリーシャが自分と同じ血筋なのを知っているのか、知った上で妹扱いしてくれていたのかが気になってしまった。
「どうしたの急に?」
「いえ、その……そう、私、この本で自分のルーツみたいなのに興味を感じまして。お姉様のルーツはどうだったのかな、なんて」
もっともらしい理由をつけて、トルテは半笑いでごまかしながらなんとか話を振る。自分では上手いなあと思いながら。
「ルーツねぇ……うちは代々シナモン村の村長をやってたらしいけど、お祖父さんの代で突然冒険者稼業始めて、父が冒険者になろうとして何かの間違いで勇者になって、私は今の感じだわ」
あまり面白く無い話題なのか、エリーシャは少し考えるように口元に指を当て、さっぱりと答えた。
「あの、では、お父上とお父様とは、何故係わり合いに……?」
トルテはてっきり、エリーシャの家は何かしら皇室と関わりのある家なのかと思ったのだが、どうやらそれは違うらしく、混乱してしまっていた。
「んー、陛下に聞く限り、冒険者やってた父が、戴冠する前であちらこちら無頼のように遊びまわってた陛下と酒場で出会って意気投合したのだとか……」
トルテ的に、聞いても良く解らない話だった。
自分とこの姉との出会いも相当に良く解らないものであるが、彼女的にはそれは棚に挙げた上での感想である。
「酔っ払いの考える事って良くわかんないからねー」
「そうですわね……男の人の考える事はよく解らないです」
酒好きな父皇の事、きっと楽しく酒が飲める相手ならそれが親友となれたのかもしれない、とトルテは思うが、やはりその感性はトルテには理解の及ばない話だった。