#4-2.怒れる姉
「ラムクーヘンの王子がいらっしゃっていると聞きましたが」
皇帝の命を受け、報告の用が済むと、エリーシャは近況の確認をすることにしていた。雑談タイムである。
「ん? あぁ、俺がラムに行った際に、どうしてもトルテと会いたいと言ってきてな……」
先ほどよりは気が軽くなった風ではあるが、これは話題としてはあまり正解ではなかったらしく、皇帝はエリーシャから目を逸らしながら、頬をポリポリと掻いていた。
「……陛下、皇女は男性は――」
「いや、わかってる。解ってるんだって。だがな、聞けよエリーシャ。ババリア王と言いあのサバラン王子と言い、俺を罠に嵌めやがったんだ!!」
皇帝がどんな罠に嵌ったのかなどエリーシャに想像できるものでもないが、そんな事はどうでもよく、そんな事より大切な事があったのでエリーシャは皇帝の言い分を無視する。
「陛下。あの娘は男性が近づくと極端に不安がるの、知ってますよね? どのような罠だったのかは興味ありませんが、ご自身の娘に対して、余りにも浅慮ではありませんか?」
「え、いや、まあ、その……」
思わずしどろもどろになる皇帝であった。
しかし、エリーシャは容赦しない。
「サバラン王子がどういった方なのか私には解りませんが、トルテが苦しむような事を陛下が許すというのはどのような了見ですか!?」
エリーシャは、本気で怒っていた。
大切な妹分が、場合によっては肉体的、あるいは精神的な危機に陥っていたかもしれないのだ。
親だからと、そんな事を許して良いのだろうかと思ってしまう。
皇帝も、愛娘の事だろうに、男親というのは何故こうもデリカシーに欠けるのか。
色々と積もるものもあって、後先も考えず爆発させていた。
「いや、すまん……本当にすまん。お前に何の話も通さずこのようなことになったのは俺の責任だ。どうか許して欲しい」
果てには、顔を青くして皇帝が膝を折り謝罪までする始末であった。
「私に謝らないで下さい!! とにかく、トルテに会ってきますわ。怖がってなければいいけれど……」
怒りながら、『私って何様なんだろう』などと冷静になりつつある自分にある種の恐怖を感じながら、大それた事をその勢いのまま乗り切ろうとしているエリーシャであった。
ともあれ、皇女の部屋に向かおうとしたエリーシャであったが、部屋の前の回廊を歩いていると、トルテの部屋の前に違和感を感じ、足を止めた。
部屋の近くに用意された二人がけの椅子と小さめのテーブル。
椅子の片方に腰掛ける茶髪茶眼の優雅な美男子。そしてそれを守るように立つ護衛らしき男が二名。
「……」
考えるまでもなく、サバラン王子だろうとエリーシャは思い至った。
途中、侍女に話を聞いた所、王子らが来た事によってトルテは怯え、自室に閉じこもったまま出てこようとしなくなったのだという。
食事の運搬などで侍女が入ることは許されても、それ以外では決して開けようとしなくなったらしい。
無理も無い話で、ただでさえ男がダメなのに、王子は空気を読まず護衛まで男を連れているのだ。これでは不信を買っても仕方ない。
やっとの事、親しい者と一緒ならば外出できるほどにまでなったというのに、王子一人の所為で全てを台無しにされた気分になり、エリーシャは激しい憤りを感じていた。
再び、ツカツカと歩き出す。トルテの部屋へではない。この三人の違和感に向けてである。
「む……?」
エリーシャが近づき、王子がそれに気づくと、護衛の一人もそれに反応し、エリーシャの前に立つ。
「邪魔よ」
壁となり阻もうとしていたらしいが、エリーシャは一言の元、左の男を蹴り飛ばした。
「がっ」
男は突然の事に驚いたのか、腹を蹴られ、まともに受身も取れず吹き飛ばされる。
「このっ――」
相棒が蹴り飛ばされた事で明確な敵意を感じ取り、残された男がエリーシャに掴みかかる。
「うぉぉぉぉぉっ!?」
その時にはもう、エリーシャの右手はその男の頭を掴んでおり、壁に向けて叩きつけようとしている最中であった。
ズガン、という鈍い音と共に男は顔面から壁に叩きつけられ、首から下をビクビクと痙攣させていた。
「流石大帝国を代表する勇者殿だ。お強い」
一連の流れを見ていたサバラン王子は、その時こそ驚いていた様子だったが、ほどなくして楽しげに微笑んでいた。
「こんなのが護衛じゃ、殿下の身の安全は守れませんわよ?」
皮肉で返す。国際問題になりそうだとかそういうのは考慮せず、今ここに立っているのは、エリーシャという一人の姉であった。
「タルト皇女に会いたいという一心でここまで来ましたが、皇女は一目たりとも見せてくれません」
ふう、と溜息をつきながら王子は残念そうに俯いた。
「当たり前でしょう。殿下お一人でも会うのに勇気が要るでしょうに護衛が男だなんて。失礼ながら、人選を間違えておいでですわ」
「どうやらそのようだ。だが私は会いたいのだ。この想い、どうにかして伝えたい」
エリーシャの皮肉にも怒る様子はなく、サバラン王子は力なく笑っていた。
「……何故あの娘が?」
その執着に奇妙なものを感じて、エリーシャは問うた。
「一目惚れと言いましょうか。幼き頃にパーティー会場で一目見て、それ以来忘れられませんでした」
その頃を思い出してか、頬を少し染め、楽しげに語っていた。
「直接言葉を交わしたことはありません。皇女にしてみれば、顔も知らぬ男からのアプローチで迷惑と思う事もあるでしょう。ですが、私はそれでも――」
「実際にあの娘が会わないのが、殿下に対する皇女の返事だと考えた事はありませんか?」
男のそんな話など興味もないとでも言わんばかりに、エリーシャは語りだそうとしていたその鼻先を遮り、現実を突きつけた。
「……辛らつな方だ。一体、私が貴方に何をしたと言うのか」
流石に腹が立ったのか、王子は席を立ち、エリーシャの前に立った。
背丈は丁度頭一つ分王子の方が高かったが、エリーシャは気にせず下から睨みつける。
「言われないと解りませんか?」
実に腹立たしげに。口よりも先に手が出ていた。
「なっ――」
王子に向けられたかに見えた拳は、実際にはその後ろから王子を庇わんと割り込もうとしていた護衛の男に叩き込まれていた。
厳然たる八つ当たりの末、その物理的な怒りは護衛の失神を以て消え去った。
後に出るのは、言葉による罵倒である。
「突然押しかけ『愛している』ですって? 笑わせないで欲しいわ。あの娘のことを想っている? ならあの娘が今何を思って部屋に閉じ篭っているのか考えればいいでしょう? 貴方のやっていることなんて、自分の愛情押し付けてるだけだわ。そんな幼稚な感情で愛を語らないで下さる?」
「……あっ」
「貴方の元に嫁ぐと決まった時、あの娘がどれだけ悩んでいたか考えた事はあるの? 誘拐され、酷い目に遭わされ、挙句に結婚まで無かったことにされたあの娘が、どういう気持ちになったか理解できて? 今更押しかけている自分がどれだけ浅はかで空気が読めないか理解できて?」
まくし立てる。肩を掴み、強く睨みつけながら怒鳴り散らす。
憎悪すら孕み、ひたすらに怒りをぶつけていた。
「事件後、男が近寄るだけで身体を震わせ、吐き気を感じて、恐怖で叫んでしまう。夜中でも安心して眠れない。一人でいるだけで死ぬほど怖がって、十字架を見るだけでその時のことを思い出してショックで気絶してしまう!! それがどれだけ辛い事か解る? それを間近で見ていた人がどんな思いだったか、その一件でどれだけの人が苦労したのか」
「お、皇女が辛い思いをしているのは理解しているつもりです。男性が苦手というのもわかります。ですが、だからこそ私は――」
「だったらなんで来たの? 最近やっと男でも親しい人なら話せるようになってきたのに。親しい人と一緒なら男と会う事だってできるようになったのに。突然現れて怯えさせて引きこもらせて。貴方は何をしたいのよ!?」
王子の訪問は、悪気があっての事ではないのはエリーシャでも分かっていた。
別に、トルテを怯えさせたくて来た訳じゃないのも解る。
怒りで一蹴したけれど、それでも尚食い下がるほどには本気で皇女を愛しているらしいのも、感じられた。
だが、だからこそエリーシャは許せなかった。意味が解らなかった。
好きなら尚更段階を置くべきなのだ。慎重になるべきだったのだ。
『愛しているから』なんて押し付けがましい感情で動くのではなく、それを伝えられるように周到に準備しておくべきだったのだ。
そんな馬鹿なことを許した皇帝にも怒りを覚えた。
子供じみた感情で、折角回復しつつあった妹分を再びひきこもらせた王子には憎悪すら覚えた。
そんなにあの娘に入れ込んでいたんだ、などと自覚する位には冷静になりながら、それでいて激しい怒りを感じていた。
怒っているエリーシャ自身が、何故こんなに怒っているのかと自分でも驚く程には、激しい怒りであった。
「空気を読みなさい!! 愛している女が自分を避けている、その事実を受け入れなさい!! その上で、尚愛している、想いを貫きたいというのなら、相手に合わせて愛を語りなさい!!」
もうちょっと、空気を読んで欲しかっただけなのだ。
愛しているという相手の気持ちを汲んで行動して欲しかっただけなのだ。
それは、静かに諭す事もできたであろう些細な事で、こうして肩を掴み怒鳴りつけなくても、そう伝えれば相手に理解させられるであろう事である。
だけれど、我慢できない時というのはあって、許せない相手というのは居て、そして、このエリーシャという姉は、どうしようもなく感情の表現が下手糞な、不器用な人だったのだ。
辛くて泣きたい時にも泣けず、心の底から嬉しくて笑いたい時にも素直に笑えない。
今のように火がついたように怒る事なんて滅多になくて、大抵手が出て一言二言言えばそれで済ませてしまう。
だからこそ、その怒りは閉じたままの扉を開かせるだけの効果があり、そして、そんな恐怖に臆してしまった王子を驚かせるだけの希望を生んだのだった。