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レイがそれまでのことを説明しても、ダニエルは納得がいかないのか怪訝そうな顔をしていた。
「信じられないな。俺がヴァンパイアになったなんて。ああ、あれか。もしかして『ドッキリ』かなんかか?」
「鏡を見てくるんですね、ダニエル。さっきみたいに歯茎を押してみてください。俺が冗談を言っているかどうか、すぐに判ると思いますよ」
ダニエルはバスルームから戻ってくると、ベッドに腰をおろして深い溜息をついた。
「ああ。俺はこれからどうしたらいいんだ。ヴァンパイア役が本物のヴァンパイアになるなんて思いもしなかったよ」
「もうすぐ、あなたのマネージャーが来るわ、ダニエル。ああ、失礼。私はミーナ。レイ達の友人よ」
「そうか。まあ……話はそれからかな。それにしても、君は美人だな、ミーナ。最初の食事が君だったらよかったのに」
「俺も血を吸われたのは初めてですよ。いつもは吸うほうなのでね」
レイが目を青く輝かせてにやりと笑うと、ダニエルは少しの間、言葉を失った。
「君……ひょっとして」
「ええ、俺はヴァンパイアです。あなたよりずっと年上ですよ。どうです、美味かったですか? 俺の血は」
ダニエルはおおげさに両手で頭を抱え込んだ。
「ヴァンパイアが吸うのは美女の血と決まってるのに、よりによって男! しかも俺より年食ったヴァンパイアの血か! ああ、俺はつくづく運がないなあ」
レイは少しむっとした顔でダニエルに言い返した。
「年食ったって……。それなら返してくださいよ、俺の血。だいたい断りもなく咬み付いてきたのはあなたのほうですよ、ダニエル」
「俺からだって? そう言われてもさっぱり思い出せない。……いや、待てよ。なんとなく思いだしてきた。俺は金髪の美女に追いかけられて」
「俺は男です」
「ああ、失礼。さっきはそう見えたんだよ。で、そいつがあんまり美味しそうな匂いがしたから……」
ダニエルは立ち上がり、レイのすぐ横に座ると彼の首の咬み痕にゆっくりと顔を近づけた。
「そうだ。ここに咬みついて……血……を」
レイは次第に彼の吸血衝動が高まってきているのを匂いで感じ、身構えた。
「大丈夫ですか? ダニエル」
ダニエルの目が金色に光りだして鋭く長い牙が見えた瞬間、デビィはテーブルを乗り越えてダニエルに飛び掛かり、その顔を思い切り殴りつけた。
「いい加減にしろ! これ以上、レイを襲ったらただじゃすまねえぞ!」
ソファから転げ落ちたダニエルは頬を押さえながら呆然としている。
「ああ……すまない。血が欲しくて気持ちが抑えられなくなるんだ」
「仕方がないですよ。でも、苦しいのを我慢して衝動を抑えるように努力してください」
「それが出来なければどうなるんだ?」
「出来なければあなたの理性は消え失せて、ただの血に飢えたモンスターになるだけです。あなたを気の毒だとは思いますが俺には何もしてあげることは出来ません」
「そうか……判った」
ダニエルは立ち上がると、ソファに座りなおし、顔を覆ってしまった。
十五分後、ダニエルのマネージャーのリサがやってきた。茶色のパンツスーツを着た四十代半ばのいかにも有能そうな女性で、黒に近いブルネットのショートカットに淡い灰色の瞳の持ち主だ。細いメタルフレームの眼鏡が彼女をいっそう知的に見せている。背丈は160センチほどだろうか。日系人のミーナよりも背が低い。
「ホテルは大騒ぎになってるわ。ダニエルはいなくなってるし、窓ガラスは割られているし、通報を聞いて駆けつけた警察官は来てるし。で、事情を聞かれたから、ダニエルは酔っぱらって窓ガラスを割って、そのままホテルから出ていったことにしてあるの。行き先の心当たりがあるからこれ以上、騒ぎを大きくしないように頼んできたわ。で、もう少し詳しい話を聞かせてもらえるかしら」
彼女は落ち着いた様子でレイとミーナから話を聞き、ダニエルの牙を確かめた。
「判りました。とにかくこうなってしまったからには現実を受け入れましょう。でも、とにかく彼がヴァンパイアになったことは隠し通さなければね」
「それがいいでしょうね。とにかく今夜はここにいたほうがいい」
レイの言葉に、リサは少しだけ笑みを見せた。
「お願いします。でも明日はホテルに戻らないと」
「明日はロケの撮影があるんですか?」
「ええ。でもこの状態じゃしばらく休ませたほうがよさそうね」
ダニエルは今度はリサの首筋を食い入るように見つめていたが、慌てて首を左右に振ると立ち上がった。
「顔を洗ってくるよ」
ダニエルがバスルームに入るとミーナはボストンバッグから数袋の血液パックを取り出してリサに渡した。
「これはまだ試作品ですが培養血液のパックです。彼は今、非常に危険な状態なのでこれを飲ませてあげてください。でも、このことは他人には絶対に内緒ですよ」
「ありがとう。とても助かるわ、ミーナ。でもね、とりあえずメロディにはこのことを伝えるわ。彼女はダニエルの恋人なの」
レイが新しいコーヒーを持ってきてリサの前に置くと、彼女は軽く会釈してカップを手に取った。
「共演者のメロディですね。恋人という噂は本当でしたか」
「ええ。でもダニエルは女癖が悪くてね。共演の女優とはほとんどベッドインしてるの。今度だっていつまで続くか判らないけれど、彼女がダニエルの犠牲になるのだけは避けたいのよ」
「なるほど。それなら仕方がないですね」
「ねえ、レイ。あなたはヴァンパイアだって言ったわね」
「ええ」
「彼が人間に戻ることは可能かしら」
「それは無理です。残念なことですが」
リサはしばらくレイの顔を見つめたまま黙っていたが、やがて唇を震わせて呟いた。
「彼は本当にこれからなのよ。なのにどうしてこんなことに……。ヴァンパイアになったら生きていくことも許されないなんて」
レイはそっとリサの手を握り、手の甲に涙の滴を受け止めた。
「それはダニエル次第かもしれません。モンスターの権利を認めようという声は日増しに高まっているし、人気俳優が先頭に立って声を上げれば世論も大きく変わってくると思いますよ。だからあまり後ろ向きに考えないでください」
「……そうね。その通りだわ。ありがとう、レイ」
その後、ミーナがいったん家に帰ることになったので、デビィが送って行った。ダニエルをベッドに寝かせると、リサはしばらくベッドに腰掛けて彼を見守っていたが、疲れたのかそのまま横になって眠ってしまった。
レイは彼女に毛布をかけるとソファに座り、先ほどミーナが持ってきた本を読み始めた。やがてデビィが帰ってきた頃にはレイの首の咬み痕は完全に消え去っていた。
翌朝、ハリケーンは進路が逸れて、風も既に治まってきていた。まだ外が暗いうちにリサはダニエルを連れてホテルに帰って行った。レイは自分が万が一狩られた時のことを考え、ミーナやクロード医師と直接携帯で連絡を取ることはしなかったが、リサは自分の場合はいくらでも言い訳がきくから構わないと携帯の番号を交換した。
「昨夜はごちそうさま、レイ。君の血は美味かったよ」
「どういたしまして。でもスペシャル・ディナーは一回限りですよ」
「そうか。ちょっと残念だな」
ダニエルはせいいっぱい笑みを作りながら部屋を出ていったが、精神的にかなり参っているのは明らかだった。
やがて朝食が済んでミーナがやってくると、レイは例の女を探す手がかりを掴むための行動について打ち合わせることになり、デビィはリサに電話をして、ひとまずダニエルの部屋に行くこととなった。
デビィはホテルの前までやってきたが、昨夜の騒ぎを嗅ぎつけたマスコミの連中が大勢、ホテルの前でダニエル達を待ち構えているためにすんなりとホテルに入ることが出来なかった。
テレビカメラやマイクの隊列の前を通ることは、賞金首の相棒にとってはあまりにも危険だ。デビィは携帯でリサに連絡を入れた。
『裏口の前まで来て。私が直接開けるからそこで待っててちょうだい』
デビィは路地から裏口に回った。幸い、裏通りには誰もいない。数分後、ドアがゆっくりと開く。
「さあ、早く!」
二人は通路から昼食の準備が始まっている厨房を通り抜けてエレベーターの前に辿り着いた。誰も乗っていないかごに乗り込み、六階で降りると、ちょうど昨日のダニエルの部屋の隣のドアが開いて誰かが入って行くのが見えた。
「あら? 誰かしら」
リサは急ぎ足で部屋の前まで行くとドアを開けた。淡い臙脂の絨毯が敷き詰められたこの部屋は昨夜の部屋ではなかった。窓が割れてしまったから隣に移ったのだろう、とデビィは思った。部屋の奥、薄い茶色の革張りのソファにダニエルが座り、そのすぐ後ろ、背もたれに寄りかかる様に美しい蜂蜜色の長い髪の女性が立っていた。
「ああ、リサ。ごめんなさい。しばらく近づくなって言われてたんだけど心配になっちゃって」
そう言いながら見せる笑みの美しさ。トルコ・ブルーの瞳に透き通るような肌理の細かい肌。肩の開いた黒いカットソーに細身のジーンズ。デビィは初めて生で見たメロディの魅力に胸の高鳴りを押さえられなかった。
「大丈夫だよ、リサ。昨晩よりはずっと落ち着いたから」
「そう、ならいいけれど」
「リサ、その方は?」
メロディはまっすぐデビィの顔を見た。その症状には多少の警戒心が含まれている。
「初めまして、メロディ。デビィです」
「彼は昨日、ダニエルを助けてくれたのよ」
「そうだったの。ありがとう、デビィ。よかった。ハンターかと思ったわ」
リサはふっと眉を顰めた。
「私がハンターを? そんなことする理由がないでしょう?」
「それもそうね。ごめんなさい、リサ」
リサは表情を硬くしたまま何も言わなかった。
「……さあ、とにかく座れよ。今、何か頼むから」
ダニエルは立ち上がり、備え付けの電話の受話器を取った。
「リサ、あの血液パックはまだありますか?」
「ええ。昨夜、一袋飲ませただけだから今のところは大丈夫。今後はダニエルのかかりつけの医師に輸血用パックを頼むことにするわ」
「そうですか」
――ダニエルが人を襲えば相手をヴァンパイアにしてしまうか、殺すしかないからレイ以上に苦労しそうだが、少なくとも境遇は比べ物にならないほど恵まれている。問題はあの女だ。
やがて、ボーイがコーヒーとマドレーヌのセットを乗せたカートを運んでくると、たちまち部屋の中は最高級のブルーマウンテンの香りで満たされた。
ミーナはコーヒーのマグカップを二つと来る途中で買ってきたドーナツの袋を持ってレイの正面に座った。
「レイ。さっそくだけど気になる情報があったのよ。これはブラッドウッドの森の周辺の街の住人が書いたブログの記事なんだけど」
ミーナは持参したノートパソコンをバッグから引っ張り出してテーブルの上に置いた。
「ヴァンパイアの研究をしてるようなんだけどパスワード制限がかかっててね。侵入するのに手間取ったわ。連絡を取ってみようかとも思ったんだけど、敵か味方か判らないしね。ほら、見て」
レイのほうにパソコンの画面を向けるとミーナはドーナツを手に取った。
『……純血種であるジョセフ・ブラッドウッドとその仲間が殺害した「キロプテル」族はゆうに百体を超えていたが、そのうちの数体については棺桶自体が行方不明だという。だが杭を打たれた死体が蘇る可能性はない。彼らは凶暴極まりない一族だった。襲った人間は全て殺害し、別の種族のヴァンパイアは捕えて監禁し、血を絞り取り、最後には殺してしまう。実に恐ろしいが翼を持つヴァンパイアの姿はやっぱり魅力的だ。彼らの中には変身能力を持つ者もいたという。可能ならばぜひ会ってみたいと思う』
「棺桶が行方不明? これは気になるな」
「まあ、何処までが本当か判らないけれど、少なくとも生き残りがいたことは事実ね」
「誰かが棺桶の中のあの女を蘇らせた?」
「そういうことでしょうね。何が目的なのかは判らないけれど」
「ああ、まずはあの女が何処にいるのかを突き止めないと」
「そうね。ねえ、レイ。彼女がどっちの方向へ飛んで行ったか見当がつくかしら?」
レイは昨夜の記憶を辿っていた。女が駐車場から出ていった時、すぐに後を追ったが、見回す限りの天空に女の姿はなかった。強い風。ホテルを振り返って……壁と窓を……。窓……?
――彼らの中には変身能力を持つ者も――
レイはいきなり立ち上がった。
「ああ……しまった!……俺は何て馬鹿なんだ。すぐにデビィに連絡を取らないと」
――あの時、俺は確かに六階の窓の一か所が開けたままになっているのを目にしていた。あの強風の中でだ。あの時に気付くべきだったんだ。女がホテルの中に
隠れたことに。
メロディが注いだコーヒーを四つ、ガラステーブルの上に置くと、ダニエルは目の前に置かれたカップを取り上げて一気にコーヒーを飲みほした。
「妙な気分だな。昨日までは人間だったのに」
デビィには彼の気持ちが痛いほど判った。ゾンビに咬まれ、人間でなくなってしまった自分に気付いた時の恐怖と絶望感。あの時にレイがいなければ、自分は確実に単なる一体のゾンビとしてあのホテルで死んでいただろう。
「なあ、メロディ。俺は俳優としてやっていけるんだろうか」
「俳優なんかどうでもいいじゃない。あなたはあなたのやりたいことをやればいいのよ」
メロディは腕を伸ばしてダニエルの髪を撫でた。
「はは……どうでもいいって。何だか言ってることがよく判らないよ、メロディ」
「すぐに判るわ、ダニエル。それより空気を入れ替えましょう」
メロディは立ち上がり、窓に近づいていった。鍵を外し、窓を大きく開くとたちまち強い風が部屋に吹き込んできた。
メロディが戻ってきて、ダニエルの横に腰を下ろす。次の瞬間、彼の表情が歪んだ。
「く……苦しい。息が……」
胸を掻きむしりながら仰け反ったダニエルの手からカップが離れ、ガラステーブルにぶつかって円を描きながら床に落ちた。テーブルに倒れこもうとする彼の身体をメロディが素早く横から抱え上げた。
「ダニエル!」
リサが叫んで彼のほうに手を伸ばしたが、一瞬にしてメロディの身体はダニエルを抱いたまま床を蹴ってソファを飛び越え、窓のほうへと移動していた。
「メロディ! これはいったいどういうこと? 彼に何を飲ませたの?」
「大丈夫よ。しばらく気を失ってもらっただけ。リサ、今日から彼は私のものよ。私と一緒にヴァンパイアとして生きるの」
デビィはしばらく呆然と二人を眺めていた。メロディ・サンシャインがヴァンパイアだって?
「駄目よ! 彼を返して、メロディ!」
メロディの瞳が金色に光り始めた。髪の色がストロベリー・ブロンドに変わり、顔つきそのものが変化した。
「メロディじゃないわ、私はアンジェラ。ああ、それからあんた、デビィって言ったかしら、あんた達が邪魔をしなけりゃすぐにダニエルを連れて行けたのに。あのメロディとかいう女の部屋の窓の鍵が閉まってなかったから助かったけど」
「あなた、メロディをどうしたの?」
「さあ、どうしたかしら。自分で確かめてみなさいよ」
アンジェラはにやりと意味深な笑みを浮かべる。足元に置かれた丸いグリーンのペルシャ絨毯の上、彼女の背中から瞬時に黒い艶のある蝙蝠の翼が伸びた。その姿は魔方陣で呼び出された悪魔そのものだ。アンジェラは甲高い笑い声を上げながら羽ばたき、宙に浮いた。
そのまま窓の外に出ようとした時、デビィはアンジェラに飛び掛かり、左足をがっしりと捕まえてふくらはぎに齧りつき、肉を食いちぎった。
アンジェラは悲鳴を上げてデビィを蹴飛ばした。デビィがよろけて足を離した直後に彼女は窓から飛び去って行った。デビィは急いで窓から首を出し、飛んでいく方向を確かめた。窓枠にはアンジェラの血痕が残っている。下を見ると今起こったことに気が付いた何人かがこちらを指差して騒ぎ始めている。
「デビィ……あなたいったい?」
リサの震える声で振り向いたデビィはまだ肉を咥えていたことに気が付き、床に吐き出して口についた血を手の甲で拭った。
「ああ……驚かせちまったかな。まあ、今はこのことは気にしないでください、リサ。とにかくすぐにメロディの部屋に行って彼女がどうなっているか見てきてもらえませんか」
「そうね。判ったわ」
リサが部屋を出ていくと同時にデビィのジーンズのポケットの中で携帯が鳴りだした。
「ああ、レイか。……判ってる。昨夜のあの女がメロディに化けてダニエルを連れ去ったよ。とにかく早く来てくれねえか。表はマスコミ連中が張り込んでるから裏口から……ああ、頼む」
数分後、リサがメロディを連れて部屋に戻ってきた。白いシルクのパジャマの上に青いカーディガンを羽織ったメロディはすっかり憔悴した様子だったが、怪我はなさそうだ。
――やはり本物のメロディは美しいな。しかしあの女、昨日のような麝香の匂いがしてなかったからすっかり騙されたぜ。匂いを消すことも出来るんだろうか。
メロディはバスルームのバスタブの中で手足を縛られ、猿轡を咬まされて座っていたらしい。
「昨日、外の様子を見ようと窓を開けた後に鍵をするのを忘れていたみたいなの。テレビを見ていたら、いきなり蝙蝠みたいな女が窓から飛び込んできて……騒いだら殺すって。本当にびっくりしたわ。いったい何が起こってるの?」
リサが昨日からの出来事を説明すると、メロディは驚いて涙を浮かべた。
「そんな……ダニエルがヴァンパイアになったなんて」
「メロディ、一番苦しんでいるのは彼なんだ。出来たら支えになってやってくれねえかな。それより今は彼を救いだすことのほう大事だぜ」
「ええ……そうね」
それでもメロディの涙は止まらない。リサは彼女の肩に優しく手を回して囁いた。
「大丈夫よ、メロディ」
「そう、大丈夫ですよ。俺達が必ず彼を助け出します」
聞きなれた声にデビィが振り向いてみると、ちょうどレイとミーナが部屋に入ってくるところだった。
レイはまっすぐにメロディに近寄っていくと軽く会釈した。
「初めまして。レイです。こちらの女性はミーナ。どうぞよろしく」
「初めまして、メロディ。ミーナよ。私はこの街で書店を経営しているの」
「よろしく、レイ、ミーナ」
レイは窓に歩み寄って大きく開け放った。窓枠に手を掛けて少し目を細め、空気の匂いを嗅いでいる。
「これはあの女の血だね、デビィ。向こうの建物の屋根からも同じ血の匂いがしてる。南西の方向に逃げたようだけど、その方向に隠れるのにふさわしい建物はあるかな、ミーナ」
「そうね。カトリック系の廃教会ならあるわ。神父が数十年前に自殺してから一度取り壊そうとしたらしいんだけれど、何故か途中で中止になって今は誰も近寄らない。ええっと……実は一度入ったことがあるんだけどね」
「何だよ、死体でも捜しに行ったのか? ミーナ」
デビィの言葉にミーナは悪戯っぽい顔をしてちょっと肩を竦める。
「まあ、そんなところよ。中は長椅子が取り壊されてがらんとしてるわ。倉庫になってた地下室もあるし、誰かが隠れるにはちょうどいいところね」
「たぶん、そこだろう。屋根伝いに血の匂いを辿って行ってみよう。デビィ、すぐに行けるか?」
「ああ。大丈夫だ。ってか、屋根伝いかよ……」
「まあ、そのほうが早いからね、我慢してくれよ、デビィ。それから、リナ。もしも俺達が帰らなかったら警察に連絡してください。ミーナ、その時は君も協力してやってくれ」
「判ったわ、レイ」