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 レイの肩に腕を預け、ふらふらと歩きながらエレベーターに乗り、部屋に辿り着くと、ダニエルは広いベッドにそのまま倒れこんだ。

「畜生。頭がふらふらする」

「少なくとも気絶する程度の血は失われてます。少し休んだほうがいいでしょう」

レイはダニエルの身体に毛布を掛け、真っ白な革張りのソファに軽く腰を下ろした。デビィは向かい側に座り、部屋の隅に置いてある大画面のテレビのリモコンを手に取った。

「デビィ。勝手にテレビをつけるんじゃないぞ!」

「判ってるって。ええっと、テレビをつけてもいいですか? ダニエル」

「ああ。ただ音は小さくしてくれよ。頭に響く」

 レイは立ち上がり、バスルームから水で濡らし、折りたたんだタオルを二枚持ってくると仰向けに横たわったダニエルの額と首筋に当てた。

「ありがとう。しかし……驚いたな。あの女、俺を狙って来たんだろうか」

「最初に声をかけたのはどちらですか?」

「あの女だ。ダニエルさんですね、と言ってたから最初から俺だと判っていたのは間違いないね」

「そうですか」


――有名な俳優を狙って殺すことにはリスクが伴う。それをあえて実行したのは……いや、まだ結論を出すのは早すぎる。


「……とにかくリサと相談して……ああ、彼女は私のマネージャーなんだ。いや、いや……待てよ。ヴァンパイアに噛まれたら、その人間はヴァンパイアになってしまうんじゃなかったか?」

「ヴァンパイアの血があなたの血管に入らない限りは大丈夫です。その場合でもなる確率は低いです。ただ、あなたを襲ったヴァンパイアは普通ではありませんでした。彼女には蝙蝠のような翼が生えたんです。ですから、あなたの身体が変化しているかどうかは何とも言えないんですよ」

 ダニエルはレイの言葉に顔を強張らせた。

「ひょっとしたら俺はもうヴァンパイアになってるのかもしれない。だとしたら……俺はどうなるんだ」

 震える手で不安そうに首筋を押さえて呟く。

「知りたいですか?」

「教えてくれ」

 レイは不安そうな目で自分を見ているダニエルを冷ややかな目で見返した。

「ヴァンパイア化した人間は人間としての権利を剥奪され、ハンターの狩猟対象となる。あなたは自分がヴァンパイア役なのにそんなことも知らないんですか?」

「そんな馬鹿な……」

「それならあなたが現時点でヴァンパイアになっているかどうか一応確認しましょう。この部屋に刃物はありますか?」

 ダニエルは上半身を起こして、広い部屋の角を指差した。そこにはオーク材のカウンターのついた小型のバーが設置されている。

「あそこにソムリエナイフがあるはずだ」

 レイはバーからナイフと金属のトレーを取ってくるとベッドの端に腰をかけ、起こしたナイフの刃で左の掌に傷をつけた。そしてダニエルのすぐ目の前に左手を差し出すと、指をなぞりながら真っ赤な血がトレーの上に滴り落ちた。

「さあ、ダニエル。この血を見てください。これを飲みたいと思いますか?」

「……いや。思わないな」

「そうですか。それじゃあ次は口を開けてもらえますか?」

 ダニエルが口を開けると、レイは素早く人差し指を伸ばして左の犬歯の上の歯茎を強く押した。

「痛っ! 何をするんだ!」

 ダニエルは左手でレイの手首を掴んで乱暴に引き下ろした。

「牙があるかどうか確かめただけです。大丈夫。今のところあなたは人間ですよ」

 涼しい顔で言い放つレイの顔をダニエルは苦々しそうに見ている。

「今のところか……そうだ、リサに連絡して医者に診てもらおう。そうすれば……」

「無駄ですよ。医者にはヴァンパイア化を止めることは出来ません」

 ソファに身を沈めてテレビを見ていたデビィがレイに声をかけてきた。

「レイ、ミーナに聞いてみたらどうだ? 彼女なら何か知ってるかもしれない」

「俺もそう思ってたところだよ。ダニエル、あなたの携帯をお借りしたいんですが」

「ああ……構わないよ」

 ダニエルが携帯を手渡すと、レイは軽く礼を言って立ち上がった。

「……ああ、ミーナか? こんな時間にすまないけれど『シルバークロス・タウン・ホテル』のロビーまで来てほしい。緊急事態なんだ。それから蝙蝠の翼を持つヴァンパイアに関する資料があったら持ってきて欲しいんだ。……ああ、待ってるよ」

 レイは電話を終えるとデビィに声をかけた。

「デビィ。俺はロビーでミーナを待つことにする。ダニエルを頼むよ」

「ああ、まかせな」

 レイはデビィのソファの後ろを通る時に彼の耳元に口を寄せ、ダニエルに聞こえないように呟いた。

「いいか。彼が出て行こうとしたら全力で止めるんだ。他の連中に知られるとやっかいなことになる」

「全力で、だな?」

 デビィはちらりとダニエルの顔を見ると、にやりと笑った。


 レイが部屋を出ると、ダニエルはまた横になった。

「何だかだるくなってきた。しばらく寝ることにするよ」

「判りました。ゆっくり寝てください、ダニエル」

 デビィが答えたか答えないかのタイミングでダニエルが寝息を立て始める。

 テレビではバラエティ・ショーが始まり、デビィはダニエルの身体の中で急速に始まった変化にまったく気が付かなかった。


 三十分後、ロビーの喫茶スペースでジャケットを脱ぎ、ワインカラーのシャツと薄茶色のスラックスという服装で雑誌を捲っていたレイの傍に近づいてくる人物がいた。ミーナだ。

 相変わらずのボブカットをハロウィン・カラーのオレンジとグリーンの二色に染め分け、黒いニットのロングカーディガンにミニスカート、黒のサイハイ・ブーツという黒ずくめの彼女は大型のボストンバッグを持っていた。

「ハイ、レイ。どうやらまた厄介事に巻き込まれたみたいね」

「図星だよ、ミーナ。コーヒーは?」

「ええ、お願い」

 レイはウェイターにコーヒーを二つ頼むと、今までに起こったことをミーナに話して聞かせた。

 ミーナはダニエルが女に噛まれたことを知ると、ふっと表情を曇らせた。

「レイ……言いにくいことなんだけど、あの種族はあなた達とは違うの。死ぬまで血を吸いつくされずに中途半端に血を吸われた人間は全てヴァンパイアになってしまうのよ」

「何だって? それじゃあ、ダニエルは……」

 その時だ。ホテルの外からガラスの割れる高い音が響いてきた。床から天井近くまである大きなガラス張りの窓の向こう、街灯の下に季節外れの雪のようにガラスの破片が降り注ぎ、続いて何かが落下してきて歩道に身を屈めた姿勢で着地した。レイにはそれがSF映画の一場面のように見えた。

 その何かはゆっくりと身を起こすと、ガラス越しにホテルの中を睨みつけた。琥珀色の髪のその男の瞳はぎらぎらと金色の光を放ち、その口には鋭い二本の牙が見える。そいつは両掌で窓ガラスを割れんばかりの勢いで叩きながら獣のような叫び声を上げた。ロビーにいた客が悲鳴を上げる。

 

――あれは――ダニエルだ。


「ミーナ。ここにいて!」

 レイは素早く立ち上がってドアへ向かって走り出した。奴が入ってきたら大変なことになる。ミーナは驚いてレイの後を追おうとした。

「待って、レイ! 駄目よ!」

 だが、すでにレイは自動ドアの外に出て、ダニエルと対峙していた。突然吹きつけてきた強い風にレイの髪を結んでいたリボンがはらりと解け、長い金髪が街灯の光を受けて輝く。

 ダニエルはレイの姿を見ると唸り声を上げてレイに背を向け、歩道を凄まじい速さで走り出した。レイは後を追った。今、ここで彼が誰かを殺してしまったら、それで終わりだ。何としても彼を取り押さえなければならない。

 ダニエルは狭い路地へ逃げ込んだ。いくつか角を曲がり、ついに袋小路で彼は追いつめられ、塀の前で立ち止って身体の向きを変えた。黒いジャケットに仕立てのいい白シャツと黒のスラックス。牙を剥き出したその立ち姿は彼が映画で演じている役柄そのものだ。彼の身体からはあの女のように麝香の匂いがする。レイはまっすぐにダニエルの眼を見据えた。その途端、あの言いようのない恐怖感が戻ってきたのだ。気を抜くと足が震えそうになる。

「ダニエル。大人しく俺と一緒に来るんだ」


 そんな言葉が通じる状態ではないことは自分でも判っていた。レイはぎゅっと唇を引き結んで恐怖心を追い払うと、素早くダニエルに襲いかかり、鳩尾を殴ろうとした。だが、ダニエルは瞬時に身をひいてレイの攻撃をかわし、レイが腕を引いた瞬間、驚異的な速さで真正面から左手をレイの首を抱え込むように回し、右手でレイのシャツの襟を掴んで引き千切った。レイが抵抗する間もなく、露わになったその白い首筋に食らいついた。長い牙がゆっくりとめり込んでいく。

「あ……ああっ!」

 レイはダニエルから逃れようと必死にもがいたが、左手ががっしりと身体に回され、まったく身動きが取れない。その姿は蟷螂に捕えられた蝶のようだ。

 抑えていた恐怖心が一気に湧き上がり、反撃する力を奪っていく。血を啜るおぞましい音が耳に響く。身体中の血が凄まじい勢いで奪われていく。足の力が抜け、次第に意識が遠のいていく。


「貴様、レイに何してやがる!」

 突然、聞こえてきた叫び声にダニエルの力が一瞬緩んだ。レイは腕を振りほどいてダニエルを突き飛ばし、鳩尾を殴りつけた。呻き声を上げてダニエルが倒れると同時にレイもがくりと膝を折り、地面に座り込んでしまった。

「レイ! しっかりしろ!」

 目の前にデビィの顔があるのに気が付き、レイは弱弱しい声で呟いた。

「ありがとう。大丈夫だよ」

「ちっとも大丈夫じゃねえだろ! しかし、こいつは何だ? ヴァンパイアが同族の血を吸うなんて信じられねえな」

 レイはダニエルのほうを見た。彼は気絶しているようだ。

「デビィ、お前、ダニエルの変化に気が付かなかったのか?」

「ああ……その……テレビを見てたんでね。まさかヴァンパイア化するなんて思わなかったし、気が付いた時には窓を割って飛び降りてたってわけだ。すまなかった」

「仕方ないさ。それよりこれからどうするかだ」

「あなた達のアパートに連れて行ったほうがいいわ。ホテルじゃ大騒ぎになってるし。一応、彼のマネージャーには連絡を取って本当のことを話したほうがいいでしょうね」

 いつの間にかミーナがレイ達の横に立っていた。

「レイが無事でよかったわ。ああ、まあ……あまり無事とは言えないけど。この種族は別の種族のヴァンパイアの血も好物なの」

「なるほど、そういうわけか。とにかく早く帰ろうぜ」

 デビィはレイの腕を引いて立たせるとダニエルの身体を抱え上げ、アパートに向かって歩き始めた。


 部屋に到着すると、デビィはダニエルをベッドに寝かせ、レイはいつものソファの定位置に身を沈めた。 疲れ切った表情のレイをデビィは心配そうに見つめている。

「ミーナ。さっきは中途半端になったけど、この一族のことをもう少し説明してもらえるかな」

「いいわ。ちょっと待ってね」

 ミーナはレイの隣に座ると、ボストンバッグの中から黒い表紙の古いハードカバーの本を取り出した。

「これは三十年以上前にヴァンパイアの研究家が書いた本なんだけど、ここにはあの一族のことが書かれているの。それと……あなたの一族のこともね」

「俺の……ブラッドウッド家のことか」

 レイはミーナが開いたページを読み始めた。

「あの一族、『キロプテル』の出身地はフランスね。アメリカに入ってきたのはイングランドを出身地としているあなた達の一族のほうが早かったの。ブラッドウッド家の歴代当主は広大な森を含む土地を所有していて、他の同族のようにフォレスターの血をもらっていたんだけれど、米軍がフォレスターを滅ぼした第一次大戦以降は、近隣の住民からときおり血をもらう見返りに町に多額の寄付をしたりしていたらしいわ。血を吸われると軽い病気は治ることもあって、むしろ積極的に血を提供する人もいたみたい。今から七十年ほど前に『キロプテル』の連中が大勢の人やヴァンパイアを襲って殺した事件があってね。その時、彼らを撃退し、壊滅したのがブラッドウッド家の当主、ジョセフ・ブラッドウッド。あなたの父親ね、レイ。そういうこともあって、今でもブラッドウッドの森の周辺の人々はヴァンパイアといい関係を保っているそうよ。とはいってもこの本が書かれた当時のことだけどね」

 デビィがコーヒーのマグカップを三つ持ってきてテーブルの上に置いた。

「なるほど。要するにレイの一族とは天敵同士ってわけだ」

 レイはマグカップを取ろうとしたが、何となく飲む気がせず、すぐに手を引っ込めてしまった。


――天敵か。なるほど、俺が感じたあの得体のしれない恐怖心は遺伝子に組み込まれたものだったのか。


「この本では彼らは壊滅したことになってるね。ということは生き残りがいたってことだろうか」

「ん~。そうね。他の文献も調べてみたんだけど、それ以降は出現の記録はないわ」

「だったら、あの女は何なんだ?」

「判らないわ。とにかく、何処かを根城にしてるのなら早く探し出さないとね。ああ、それとね、レイ。今日はこれを持ってきたの。試供品よ」

 ミーナが取りだしたのは栄養補給用のゼリーが入っているような銀色のパックだった。

「これは培養血液よ。試してみて」

 レイの沈んだ表情が急に明るくなった。

「これは……凄いな。いつ完成したんだい?」

「一週間くらい前だって。昨日、エルザから送ってきたのよ。明日にはあなたに連絡しようと思ってたの」


 一年半ほど前、レイ達はヴァンパイアが本能である吸血能力を抑制しなければならない現状を打破するために、培養血液の製造をすることをハリウッド女優であり、友人であるエレノア・アンダーソンに相談したのだ。彼女の娘で、今は新進女優として活躍しているリネットも協力してくれた。現在は対ヴァンパイア用の毒薬を製造している父親の製薬会社と縁を切ったエルザ・カートライトにも連絡を取り、有志を集め、資金提供して培養血液の研究が密かに始められていた。また、この件に関しての連絡は念のため、すべてミーナを通していた。


「本格的な製造にはまだ時間がかかりそうかな?」

 レイは握りしめたパックを愛おしげに見つめながら呟いた。

「一年先には取りかかれるみたいよ。よかったわね、レイ」


――そうだ。これさえあれば、人間との共存も夢じゃない。


 レイはパックを開けると中の血液を一気に飲み干した。

「悪くないね。輸血用の血液とは比べ物にならないよ」

 ミーナはレイにもうひとつパックを渡した。

「今日は特別。早く回復してもらわないと困るしね。ああ、そうそう、ダニエルのマネージャーに連絡を取らないと」

 ミーナは席を立つとダニエルのジャケットのポケットを探り、携帯を取り出した。

 デビィはレイの正面に座り、ダニエルのほうを見て頭を掻いた。

「やれやれ。何だか面倒なことになりそうだな」

「まあ、仕方がないさ。ハロウィンが近いから眠っていたモンスター共も目を覚ましたんだろうな。いや、冗談はともかく、早くあの女を止めないと大変なことになる」

 レイは二つめのパックを飲み干す。力のなかった瞳に青い宝石のような輝きが戻ってきた。

 ベッドのほうから呻き声がする。ダニエルが目を覚まし、思い切り顔をしかめながら起き上った。

「あ、あれ? 俺はいったいどうしたんだ?」

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