Memory .
「…奈緒…? なおぉぉぉぉー!!!!!!!!!!」
遥か遠い向こうで、ぼんやりと声がする。
「ごめん … 。」
私に向かって真っ直ぐ投げかけられる言葉。
… 誰 ?
何も分からない。なのに何故だか、酷く胸が痛む。
ねえ、そこで「奈緒」と叫ぶあの子は。
ねえ、そこで「ごめん」と呟く貴方は。
一体。 誰だと言うのですか…?
でも、これだけは分かるの。
私は、「奈緒」その言葉が、その名前が。
嫌で嫌でたまらなくて、酷く苦しいの。
ねえ、お願い。
その名を口にしないで… 「奈緒」なんて、聞きたくないわ…。
そして、ぼんやりとする意識の中で、
私は再び、眠りについた…
―高澤 奈緒
カタカタカタ。
キーボードを叩く音が、部屋全体に跳ね返って響き渡る。
「終わり…ですか。」
そう、切なげに女は呟いた。
「ああ…時が来てしまったんだね。
でも、終わっては居ないよ。
彼女の強さは … すごい。
なぁに、心配することは無いさ。
彼女はまだ … 使えるさ。」
ニヤリ。 そんな言葉が今の彼にはピッタリだった。
彼女はそんな彼を見て、
何だか、心の奥が締め付けられる、嫌な予感がした…
20××年。
彼女、「高澤 奈緒」は
この会社に勤める事になった。
だが、彼女が進んでこの事務所に入ったのではない。
彼女は ある人に進められて、見学に来たのだ。
その「ある人」とは、奈緒の彼氏だった。
彼との出会いは、大学だった。
奈緒が通っている大学のサークルに、
「花園サークル」と、何ともまぁダサい名前の
サークルがあったのだ。
好奇心旺盛な奈緒は、一度見学に行き、
そこで彼、高橋 和哉と出会った。
しかし彼は当時付き合っている女性がいたため、
奈緒は恋に落ちる事もなく、
何気ない日々を「花園サークル」で過ごしていた。
そんなある日の出来事だった。
「…付き合ってくれないか。」
「…え ? 今、何て…」
「…俺と!付き合ってくれ!」
ふいに、混じり合う視線にドキドキしながらも、
奈緒はこの時、初めて和哉を男として意識した。
和哉の真剣な眼差しに、迷いを感じる余裕などなく、
「…はい。」
そう、返事をした。
それからと言うもの、
奈緒と和哉は何気ない日々を恋人として
過ごした。
楽しいことも辛いことも
二人で乗り越えて、気づけば早一年が経っていた。
二人の間には強い絆が生まれ、
お互いを信頼し合い、将来まで約束する仲になっていた。
そんな日々の中で、
いつまでも大学に居るわけも無く、
お互い就職活動をするようになり、
お互いの時間も少しずつ少なくなっていった。
そんな現状に少しずつお互いズレを感じ始めていた。
なかなか就職の決まらない奈緒は、
焦りを感じ始めていた。
まだ何をしたいのかも分からず、
周りに置いていかれてる気がして、奈緒は
不安でたまらなかった。
自分だけ置いていかれるのではないか。
自分だけ、ぼんやりとした日常を送らねば
ならないのではないか。
そんな不安が、彼女の中を取り巻いていた。
そんなある日の出来事だった。
ピロリロリン♪
「あ、和哉…!」
久しぶりの和哉からのメールに思わず声をあげる。
『今日、会えない?
てか、会う。16時に駅前のカフェな。」
「…ほんっと、強引なんだから… ふふ///」
たった数行の何の変哲もないメールだというのに、
嬉しくてたまらない。
不安でたまらなかった奈緒にとって、
和哉からのメールは「幸せ」そのものだった。
約束の時間、16時。
ザワザワとするカフェの中で奈緒は一人、
静かに座って紅茶を飲んでいた。
「…っとに。
時間にルーズな所は、何一つ変わってないのね…。
こーんなお洒落。してくるんじゃなかったわよ…」
少し気合を入れすぎた自分に恥ずかしさが漂い、
着替えたくなる衝動に駆られ、
奈緒は席を立とうとした。
―その時。
「…奈緒!」
聞きなれた、愛しい人の声。
「…かずやぁ…!」
何故だろう。
さっきまで時間にルーズな彼に、
こんな時まで遅い彼に、
怒っていたはずだったのに。
来たらビンタでもくらわしてやる!
そんな勢いだったはずなのに。
彼を目の前にして、彼女は涙を堪えられずに
思い切り、泣きついてしまった。
「…って、え?! どした? 何があったんだよ?!」
「ごめ、ちょっと安心しただけよ、気にしないで!」
「ビックリさせんなよー…焦るだろ?」
和哉が本気で心配していたのがひしひしと
伝わってきて、
奈緒は余計に涙が溢れてきた。
…ここまでが、私の「幸せ」だった頃の、話である 。