風花の奇跡
冷たい風が、むき出しになった素肌をさする。髪が揺れ、微かな光を受け止めて、また肩に落ちた。
首筋が寒くてしょうがない。こんなことなら、マフラーを持ってくればよかった。家を出て歩き始めた途端、そんな後悔が頭をよぎった。
今日は、曇りのち雪。最低気温はマイナス7℃。
天気予報で爽やかなお兄さんがそういっていたような気がする。けれど、外に出てみれば想像以上に暖かかった。というより、生ぬるかった。
これなら、そこまで厚着しないでいいか。幸い、寒さには強い体質だし。
そう思ったのがいけなかったか。徐々に徐々に冷たくなった風は、コート一枚羽織っただけの体に容赦なく吹き付ける。
「寒いよー」
声に出しても、余計に寒くなるだけで。そんな自分が、逆にみじめになった。
並木道を一人で歩く。
今日の学校では、何があるだろうか。今日は、学校で誰かと話せるだろうか。
もともと誰かとの会話が苦痛で、上手く話題に乗れない私は、クラスでも一人にされがちだった。教室の隅で置いてけぼりにされている、興味をなくされた金魚のようで。もっとも、皆は最初から私に興味なんて持っていないのだけれど。
この並木道を一人で歩くのは、今日で一体何回目だろう。高校に入学してから、一回くらい誰かと話しながら歩けると思っていた。けれど、
「そんなの、夢物語だったなー」
ほうっと、ため息にも似た息を空に向かって吐きだせば、真っ白になった息が空の青を曇らせる。
もともと、自分が悪いのだ。相手との接触を極度に意識して、全く人と関われない。もう高校での一年も終わりを迎えている。
これからどんどん進級していくのに。もうそろそろ誰かに勉強を教えてもらわないといけないのに。そんなことを頼める相手さえ、まだ見つけられていない。
もう一度、深く長いため息を吐きだす。朝から重いことを考えていると、体まで重く感じてしまう。自分ではどうしようもなくなって、空を見あげれば
「あ、雪」
ひらりひらりと、雪が舞ってきた。空は目が痛くなるくらいの青さ。雲もあることにはあるが、雪が降るほどの厚さのものは見あたらない。
風花。
ふと、そんな単語が頭をよぎる。
こんな雪を、風の花と書いて『かざはな』と呼ぶらしい。晴天にひらひらと、高い山の方から風に乗って降る雪。
手をかざせば、風花が手のひらに落ちる。そして、溶ける。じんわりと温かくなった雪の残骸は、なんだかとても寂しく見えた。
ぼんやりとその様子を見つめていれば、ちらりと真っ白な結晶に自分が写り込んだ。
「え」
ふと気がつけば、いつの間にか辺りの景色が変わっていた。
眩しい光と共に舞い落ちる、淡いピンクの花びら。
あ、桜だ。もしかして、春なのかな。そんなことを思う間もなく、また景色が変わる。
降り注ぐ明るい日差しが作る、柔らかな木漏れ日。寂しげに散る赤い葉が風に巻き上げられた途端、今度はふわりふわりと真っ白な結晶が落ちてくる。
春夏秋冬、一年の景色の中には、私の小さな背中がポツンと一つだけあった。たった一人で、俯いて歩いていた。
これは、未来だろうか。それとも過去だろうか。
この一年、こんな風にこの並木道を歩いてきた。そして、また次の一年も同じように一人なのだろうか。
私はずっと、人と関われないままなのか。
そう思うと悲しくなって、少しだけ涙が出てきた。
私はずっと、意気地なし。弱くて脆くて、それでいて意地っ張りで。人に助けを求められなくて、人から求められていないものに必死になって。いつもいつも、空回りして。
こんなんじゃ、人と関われるわけないじゃないか。友達なんて、できるわけないよ。
泣きたいような、喚きたいような、自分を下卑するような笑いが込み上げてきた。今なら、何もかもをめちゃくちゃにできる気がする。
複雑で、わけのわからない感情を抱えつつ、そそくさと教室に入る。手を擦り合わせていると、寒さで指先が真っ赤になっていた。感覚もないし、これじゃあ鞄のファスナーさえ開けられない。
どうしようもなくなった自分に、なんだか笑いが込み上げてきた。アホらしい。ついに、私はおかしくなってしまったか。
「ねぇ。ファスナー、開けてくれない?」
破れかぶれで前の席の子に言ってみれば、
「手袋、すればいいのに」
そんな言葉と共に、ファスナーが開く。
なんだ、私、人と関われる。人に、ものを頼む事が出来る。今までできなかったんじゃなく、やらなかっただけじゃんか。
そのことにやっと気付いて、何だかおかしくて、嬉しくなって。ありがとうと、笑顔を返した。