1. 隠れ聖女に転生
「セラフィ、今日もありがとうね。あなたは村の光よ」
腰の曲がったお婆さんが、私の手を取りながら皺くちゃの顔をほころばせた。
私はにっこりと微笑んで、「お大事にね」と返す。
診療所の窓を開けると、爽やかな風と共に、焼きたてのパンの香ばしい匂いと、干し草の匂いがふわりと流れ込んできた。
ここは、アルカディア王国の最果てにあるポポロ村。私の大好きな場所だ。
「セラフィ、次は商店街のポルタさんが腰痛の湿布を取りに来るわよー」
奥の調合室から、お母さんの明るい声が飛んでくる。
「はーい、もう準備できてる! あと、お父さんが頼んでた解熱草の乾燥も終わったから、棚に置いておくね」
「おっ、もう終わったのか? さすがセラフィ。調合の手際が良すぎて、父さん商売あがったりだな」
薬草をすり潰していたお父さんが、眼鏡の位置を直しながら嬉しそうに笑う。
そこへ、裏口からドタバタと足音が響いた。
「ねーちゃん! 俺、畑の水やり終わったぞー! 腹減ったー!」
「こら、また泥だらけにして! 手を洗ってきなさい」
泥んこになった弟が飛び込んできて、私は苦笑しながらタオルを投げてやる。
薬屋を営む両親と、わんぱくな弟。
この騒がしくも温かい場所が、私の家だ。
私はセラフィ。村で薬師見習いをしているごく普通の少女……というのは表向きの姿。
実は私には、前世の記憶がある。
ここは私が前世でやり込んだ乙女ゲームの世界。私はヒロインで、しかも「伝説の聖女」の生まれ変わりという、とんでもないスペックの持ち主に転生した。
本来なら、この力は国中に知れ渡り、キラキラした王子様と恋に落ちる……はずなんだけど……
(絶対に、嫌!!)
私は心の中で絶叫しながら、庭に出て薬草を天日干しにする作業に戻った。
なぜなら、この王国の王太子ルートは――**別名『即死ルート』**だからだ。
攻略対象の王太子は、確かに顔も性格も最高だ。
けれど、彼と結ばれるルートのバッドエンド率は驚異の90%。
聖女の力がバレた瞬間、隣国の呪術師に狙われたり、王位継承争いで毒殺されたり、魔力を吸い尽くされて枯れ木のように死んだり……。
せっかく大好きな世界に転生したのに、死ぬなんて絶対嫌!
美味しいものを食べて、のんびり昼寝して、大好きなこの世界を楽しみ尽くすために……私は「スローライフ」を固く決意しているのだ。
しかし、このアルカディア王国では、ヒーラー職は『国家の至宝』扱いだ。
その力があまりに貴重なため、才能の片鱗が見つかれば年齢なんて関係ない。成人の儀を待たずに即座に国に『保護』――実質的な強制連行をされてしまうのだ。
私が6歳で記憶を取り戻し、自分がヒーラーだと気づいてから早10年。
ここまでバレずにこれたのは、ひとえに両親の必死の隠蔽工作と、村のみんなのおかげだ。
実家はこの村で唯一の薬屋。
幼い頃、薬だけでは治せなかった弟の大怪我を、私がこっそりと癒やしの力で完治させてしまったことがあった。
両親は私の正体に気づいたけれど、決して国には通報しなかった。
『セラフィが聖女だろうとなんだろうと、大切な娘であることに変わりはない』
『あなたが王都に行きたくないなら、全力で隠しましょう』
そう言って、私の秘密をずっと守り続けてくれている。
それだけじゃない。
私がこっそり薬効成分に「ヒール」を上乗せして作ったポーション。
その効き目が異常に良いことに、村の人たちも薄々気づいているはずだ。
それでも誰一人として、役人に告げ口したりはしなかった。
『セラフィちゃんの薬は魔法みたいによく効くねぇ』
『やっぱり家の娘にするならセラフィちゃんだな! ガハハ!』
みんな、そうやって笑って受け入れ、私の秘密を「見て見ぬふり」してくれている。
そんな優しい家族や村のみんながいるからこそ、私はこの温かい場所を離れたくない。
だが……タイムリミットは迫っている。
もうすぐ16歳。国による全魔力検査を行う「成人の儀」の日だ。
私の作戦はこうだ。
聖女の黄金の魔力を極限まで薄め、ありふれた「水魔法(しかもチョロチョロしか出ない生活魔法レベル)」だと偽装する。
そうして不合格となり、この村で平和に暮らすのだ。
「……よし、イメージトレーニングは完璧」
庭の片隅で、指先から一滴の水を出そうと唸っていると、生け垣の向こうから呆れたような声が降ってきた。
「お前さぁ、今度の成人の儀、マジでヤバいんじゃね?」
ひょっこりと顔を出したのは、赤茶色の髪を短く刈り込んだ少年、レオ。
同い年の幼なじみで、この村には珍しい「火の魔力」の持ち主だ。
「何よレオ。人の練習を覗かないでよ」
「いや、覗くもなにも……お前、魔力ダダ漏れだぞ。水を出すフリして、周りの草花が異常成長してるって」
レオが指差した先を見ると、私の足元の雑草がジャングルのように生い茂っていた。
……しまった、抑制しきれてない。
レオはヒラリと柵を飛び越えてくる。
彼はゲームの攻略対象の一人。将来は王都で「魔剣騎士」になる夢を持っている、熱血かつ将来有望な男子だ。
そして、私の「正体」と「行きたくない理由」を知る唯一の協力者でもある。
「はぁ……やっぱり王都行き決定かなぁ。」
「お前みたいなヒーラーは稀だからなぁ……ま、諦めて王都行けよ。俺も騎士団の試験受けに行くし、向こうでも守ってやるって」
レオはぶっきらぼうに言うけれど、その耳が少し赤い。
彼は昔から私の世話を焼いてくれる。気安くて、一緒にいて楽な相手だ。
私は土についた泥を払いながら、頼もしい幼なじみの横顔を盗み見た。
王太子ルートみたいな派手さはないけれど、彼となら、私が望む穏やかな毎日が送れる気がする。
「……こうやって、レオとずっとのんびり過ごす未来も、悪くないかもね」
「あ? なんだって?」
聞き取れなかったらしく、レオが不思議そうに顔を近づけてくる。
「なんでもない、こっちの話!」
私が平穏な未来を想像してニヤニヤして答えると。
「なんだよ、気持ち悪いな」
レオは呆れたように笑って、持っていた木剣を肩に担ぎ直した。
……そうだよ。こういうのでいいのよ、こういうので。
私が求めているのは、ドキドキハラハラのロマンスじゃなくて、こういう安心感なんだから。
そのとき…
『――グオオオオオオオオオッ!!』
村の空気を引き裂くように、大気を震わせる咆哮が響き渡った。
レオの表情が一瞬で騎士の顔に変わる。
「なんだ今の声……魔獣か!?」
村の入り口が騒がしい。私たちは顔を見合わせ、音のした方へと駆け出した。




