第五章 崩れる時の輪
視界が裏返った瞬間、蓮は眩しさに目を細めた。
さっきまで錆びていた観覧車の骨組みは新しく、塗料の匂いが風に混じっている。
園内には人々の声があふれ、金属が回転する低い唸りが空を震わせていた。
ポップコーンの甘い匂いと焼きそばの香ばしさが入り混じって漂う。
蓮の耳に飛び込んでくるのは、子供たちの笑い声、呼び込みのアナウンス――
そして、妹のはしゃぐ声だった。
振り向くと、美緒がいた。
あの青いリュックを背負い、手には観覧車のチケット。
「27番だって!」と笑いながら、係員に差し出している。
その表情は、記憶の中のままだった。
蓮は叫ぼうとしたが、声は喉の奥で固まり、代わりに観覧車の軋む音が大きくなった。
時が速まり、空の色が不穏に濃く染まっていく。
周囲の人々が笑顔のまま固まり、音が途切れ途切れになる。
美緒はゴンドラに乗り込み、扉がゆっくり閉まる。
係員の「お気をつけて」という声と同時に、蓮の足元がふらりと揺れた。
観覧車の動きが急に乱れ、金属が軋む悲鳴を上げる。
ユニコーンの蹄音が背後から響く。
振り向けば――そこはもう、事故直前の空気だった。
風は冷たく、太陽は雲に隠れ、何かが迫ってくる圧が肌を刺す。
ゴンドラの車輪が、低く悲鳴をあげた。
一瞬だけ風が走り、観覧車全体がきしんで揺れる。
人々のざわめきが波のように広がり、蓮の視界は美緒だけを捉えていた。
27番ゴンドラの中、妹は窓に顔を寄せ、何かを探すように園内を見下ろしている。
蓮は手を伸ばした。
けれど、足元は鉄板ではなく、深い空へと溶ける空間――踏み出せば消えてしまう境界線。
ただ、目と耳と匂いだけが、事故当日を引き寄せている。
ゴンドラが金属音を響かせて傾き、鋭い火花が空に散った。
悲鳴。
係員が制御レバーを引くが、回転は止まらない。
美緒の口が動き――「にい…」と、かすかな声が蓮の耳に届く。
次の瞬間、衝撃音が全身を貫いた。
ゴンドラの支柱が裂け、世界がスローモーションのように流れる。
美緒は窓越しに、必死で何かを投げた。
それは、あの青いリュック。
空中を舞い、陽光を反射して蓮の眼前に迫る。
蓮が思わず手を伸ばした瞬間――
光が弾け、音がすべて消えた。
静寂。
目を開けると、そこは朽ちた廃園の観覧車前。
リュックは足元に、まるで最初からそこにあったかのように置かれていた。
風が吹き抜け、キーホルダーのユニコーンが小さく揺れる。
ユニコーンは蓮の隣に立ち、ただ深く頷いた。
鼓動の音だけが、現実へ戻った証だった。