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第四章 「やさしさが間に合わなかった日」をどう生きるか


「間に合わなかった」は、ずっと胸に残っている


大人になると、“間に合わなかったやさしさ”をいくつか持つことになる。


たとえば、もう少し早く声をかけていれば…とか、

もっと連絡しておけば…とか、

あのとき「ありがとう」をちゃんと伝えていれば…とか。


私にもある。ささいなことだが、

実家で暮らしていた頃、母が風邪気味の日に、

「あとで薬持っていくね」と言いながら、仕事にかまけて忘れた。

その夜、母はこっそり自分で病院へ行き、点滴を受けて帰ってきた。


「大丈夫だったよ」と言われたとき、私は申し訳なさより、なぜか恥ずかしさを感じた。

自分の「口だけだった優しさ」が、

裸で立たされているみたいな感覚。


別に怒られたわけじゃない。

でも、“やさしさが不発に終わった”という、じわじわとした後悔が、

今でもふとしたときに湧いてくる。


人は、自分の甘さより「やさしさの不足」に傷つく生き物かもしれない


不思議だけど、人生でいちばん悔やむ瞬間って、

振り返るとわかると思うけど「失敗したこと」

それよりも、「やさしくできなかったこと」だったりする。


言い過ぎた、黙りすぎた、

気づかなかった、見ないふりをした。


あとから、「あれは多分、サインだったんだな」って思うこともある。

けれどそのときは、こちらも余裕がなかったり、

“これは踏み込まない方がいい”って判断してしまったりする。


でも、人ってそういうふうにできてる。

言い訳にしかならないかもしれないが、

常に正しくもやさしくもなんて、いられない。


だから私は、“やさしさが間に合わなかった自分”を、

そっと許せるようになりたいと思った。

それが、次のやさしさを間に合わせるために必要なことだと、

思い込みたかった。


悲しみには「消える」以外の居場所がある


誰かを失ったとき――

もう会えない人ができたとき――


悲しみは、自分の中に住みつく。

とても勝手に。許可なく。


最初の頃、私はそれを“追い出そう”としてた。

気晴らしをして、友達と会って、仕事に没頭して。

「乗り越えなきゃ」と思って、前に進むことに必死だった。


でも、悲しみって、意外としぶとい。

忘れたと思った頃に、突然やってくる。


駅のホームで見かけた似た後ろ姿とか、

好きだった音楽とか有名人とか、

LINEのトーク履歴の最後のメッセージとか。


どこまでも一緒にいるんだと思ったら、

受け入れないとなぁ、と思い直した。


だからそんな日には、「あ、いるな」って思うようにした。

心のどこかに、まだその人がちゃんといる。


追い出すんじゃなくて、

そっと一席あけておく感じ。

コーヒーの香りみたいに、ふと横にあるような存在にしておく。


それは、甘えるでも逃げるでもなくて、

「一緒に悲しみながら、生きていく」という選択肢。


やさしさを届けきれなかった分、自分にやさしくしてみる


あるとき、ふと気づいた。


「私、他人にばっかり“こうしてあげればよかった”って思ってるけど、

自分にはずっと“こうするべきだった”って怒ってばかりだな」って。


人にやさしくなりたいのに、

自分にだけはずっと冷たかった。

「おまえ、またやさしさ間に合わなかったな」って、

自分に小言を言い続けてた。


でも、もうやめようと思った。


やさしさが間に合わなかった分、せめて今、

自分にはちゃんと間に合わせてやりたい。


少し休む時間を、

小さなご褒美を、

声を出して泣ける夜を。


それを差し出せるのは、他の誰でもない、

たぶん自分だけなんだと思う。



悲しみを「隠さない」ことで、関係は深くなる


ある時期、身近な人を失った私に、周囲はやさしく接してくれた。

でも当時の私は、「悲しい顔を見せたら気を遣わせる」と思って、

なるべく明るくふるまった。

笑顔で仕事をして、飲み会では冗談も言った。


でも、帰り道ひとりになった瞬間、涙が止まらなくなる。

夜、布団の中で声を押し殺して泣いていた。


そんなある日、親しい友人にポロっと言った。

「最近、夜になるとつらいんだよね」

すると友人は、ただ「そうか」と言ってくれて、

しばらく沈黙のあと、「じゃあ今日は一緒に夜ご飯食べるか?」と提案してくれた。


何も大それた言葉はいらなかった。

ただ、悲しんでいる自分を隠さなくていい時間があっただけで、

あの夜はちゃんと眠れた。


悲しみを見せることは、弱さじゃない。

それは他の人が、自分の悲しみに居場所を作るチャンスをくれる行為でもある。


「忘れようとしない」ことで、少しずつ軽くなる


人はよく、「時間が解決してくれる」と言うけれど、

実際は、時間が解決するんじゃなくて、

時間と一緒に持ち歩ける形に変わるんだと思う。


ある日、亡くなった人の好きだった曲が流れてきたとき、

以前なら胸が締め付けられていたのに、

ふと記憶と一緒なの口ずさんでいる自分に気づいた。


あれは忘れたんじゃなくて、

思い出が“苦い痛み”から“やさしい重み”に変わった瞬間だった。


悲しみを早く捨てる必要はない。

むしろ、そばに置いておくことで、

少しずつ形が丸くなり、

日常に溶け込むようになっていく。


「やさしさのやり直し」はできる


もし、誰かに対して間に合わなかった優しさがあるなら、

それを別の形で届け直すことはできる。


たとえば、あの時声をかけられなかった後悔があるなら、

今、別の誰かに「大丈夫?」と声をかけてみる。

あの時伝えられなかった「ありがとう」を、

今日、身近な人に伝えてみる。


それは亡くなった人に届かないかもしれない。

でも、自分の中の「やさしさの記録」にちゃんと記録される。


そして、次に誰かを失うとき、

その記録があることで、少しだけ自分を許せる。


笑える日が来るまで、急がなくていい


人は、悲しみを抱えたままでも笑えるようになる。

でもそれは、がんばって笑うんじゃなくて、

自然に笑いがこぼれる日を待てばいい。


お葬式で、ふと誰かが思い出話をして、

会場が笑いに包まれる瞬間がある。

あれは、故人がそこにいた証拠だ。

「笑っていいんだよ」と言ってくれてるサインだ。


だから、泣きたい日は泣く。

笑える日は笑う。

どっちも正しい。

どっちも人間らしい。

今のあなたはそんな全ての経験で出来ているんだから、それでいいんだ。




次章では、笑顔を増やす生き方について


ここまで、悲しみや後悔をどう抱えて生きるかを書いてきたけれど、

私たちのゴールは「泣きながら一生を終えること」じゃない。


次の章では、自分の周りを笑顔で満たしていくための具体的な習慣を見ていく。


ちょっとした声かけで場を明るくしたり、笑えるネタを日常にストックしたり、何より自分の笑顔の回数を増やすコツ


悲しみを知った人は、笑いの意味も深くなる。

その笑顔は、きっと多人を救うのだ。



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