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第三章 笑って許せる人は、人間関係の勝ち組


「完璧な人」より「やらかす人」のほうが、結局モテる


失敗に対して笑えるようになるって、実はけっこうレベルが高いスキルだと思う。

少なくとも私は、長いことできなかった。

なんなら、「ミスした人を見ると、なぜか軽くムカつく」という、

地味に面倒くさい体質だった。


たとえば、飲食店でオーダーを間違えられたとき。

本当は「タルタルソース抜きのチキン南蛮」を頼んだのに、

思いっきりタルタルたっぷりで来たとき。


店員さん:「あ、すみません。すぐ作り直します」

私:「…あ、いえ、もう大丈夫です(冷笑)」←本当は全然大丈夫じゃない


でもそのあと、店を出たあとも小さなイライラが残る。

そのくせ、数時間後には「まあ、言えばよかったよね俺」って自己嫌悪に落ち込む。

“他人のミス→我慢→イライラ→自分にダメ出し”の無限ループ。

もう疲れるったらありゃしない。


ミスを責める人は、自分にも厳しい(そしてだいたい疲れてる)


後からわかったんだけど、

私が「人のちょっとしたミス」に敏感だったのって、

単に自分にもめちゃくちゃ厳しかったからだった。


完璧にこなさないとダメ。

誰にも迷惑かけちゃいけない。

丁寧で、正しくて、落ち度ゼロの人間でなきゃ。


そんなふうに、自分の中に細かい“正しさのルール”をいっぱい持ってたんだと思う。

だから、目の前でそれを守ってない人を見ると「え?」ってなってた。

自分は必死でやってるのに、なんであなたはそんなゆるくていいの? って。


でもその感覚って、すごく息苦しいし、孤独なんだよね。

誰かのミスに寛容になれないってことは、

自分がミスしたときにも、誰の優しさにも甘えられないってことだから。


だ か ら こ そ 


自分のミスが「笑い話」になった日、私は少しラクになった


転機になったのは、自分がものすごいミスをして、笑ってもらえたとき。


あれはたしか、入社3年目のときだった。

取引先との打ち合わせで、初めて司会進行を任された私は、

前日から資料を練りに練って、入念にシミュレーションをした。

「緊張してるように見えないしゃべり方」とか、「会釈の角度は15度」とか、

謎のこだわりを詰め込みまくって、本番に臨んだんだけど――


なぜか当日、私のノートPCだけZoomに入れなかった。


「Wi-Fiが…!認証が…!」って慌てているうちに、

打ち合わせは始まり、司会進行は上司に交代され、

私は会議の後半に電話のスピーカー越しで参加する羽目になった。


それだけならまだしも、

緊急対応でスマホを片手に階段を上ってたら、

転んで膝をすりむき、血が出ていた。


終了後、社に戻ると、上司がこう言った。


「いや〜今日は伝説だったね。Zoomも入れない、進行もできない、しかも流血。次回は救急箱も持ってこようか?」


みんなで大笑いだった。

あのとき私は、「やらかした」自分を責める準備満タンでいたのに、

まさか「笑ってもらえる」なんて思ってなかった。


なんだ、それでよかったのか。

完璧じゃなくても、生きてていいんだ。

むしろ、失敗したことが人と人を近づける瞬間って、本当にあるんだな。


その日から私は、人のミスにも自分のミスにも、

ほんのちょっとだけ甘くなれるようになった。

↑受け入れれるまではすごい葛藤もあった。


甘くなるって、“目をつぶる”ことじゃない。“目を細める”ことだ


他人のミスに対して「ま、いいか」って思えるようになると、

それまで自分がどれだけ『“重たい正義”を抱えて生きてたか』に気づく。


正しいかどうかって、たしかに大事。

でも、“正しさ”って使いどころを間違えると、人を簡単に傷つける。


「なんでちゃんとできないの?」

「どうしてそんな初歩的なミスを?」

「確認しなかったの?」


そう言いたくなるとき、私はいったん深呼吸して、

その人の顔をちょっと笑いながら見つめてみることにしてる。


大体、すごくバツが悪そうにしてたり、

めちゃくちゃ謝ってたり、

なぜかそのタイミングでお腹鳴ったりしてて、

もうツッコむより笑うしかない空気になったりする。


そしてそのとき、ほんの少しだけ心の目が細まる。

それは“見ないようにする”んじゃなくて、

“やわらかく見守る目”になる、ということ。


「笑って許す」は、結局いちばん手っ取り早いコミュニケーション


…と、ここまで話してきて思うのは、

人のミスを笑って流せる人って、結局、コミュニケーション上手なんだということ。


怒る、詰める、責めるって、意外と労力がいる。

でも、「あ〜やったね!」って笑って流すのって、意外とエネルギー効率がいい。


しかもそのあと、相手がめちゃくちゃ感謝してくれたりするから、

なんか得した気分になる。


これって甘さじゃなくて、もはや人生のコスパ戦略では?とすら思う。


失敗は“共有財産”にすると、空気があったかくなる


私が前にいたチームには、暗黙のルールがあった。

「やらかしたら、まず笑いに昇華せよ」ってやつ。


たとえば、Aさんがクライアント名をうっかり間違えて送信。

そのときの謝罪メールをチームに共有してきたんだけど、

件名が「お客様にやらかしました(血涙)」。


もう、件名からして攻めすぎてる。


本文の最後には、

「今日の教訓:会社名とツイッターのIDは見た目が似てても別人」と添えてあった。


で、それを見た全員が「あるあるw」「私もやったことある」って返して、

ちょっとした“やらかしエピソード大会”が始まった。

しまいには、「今月のベストミス賞を決めよう」って流れになって、

チャンネルが謎に盛り上がる事態に。


…結果、Aさんは全然凹まず、むしろテンション高く仕事を再開していた。


この時、はっきり思った。

人って、“ひとりで責められる”と傷つくけど、“みんなで笑える”と回復する。


笑って許せる人は、心に“余白”がある


他人のミスにイラッとする瞬間って、

だいたい自分に余裕がないときなんだよね。


時間がない、体調が悪い、やることが山積み、

そんなときにミスされたら、「ふざけんなよ…」ってなってしまう。


でも本当は、自分がそのミスをした可能性だって、

五分五分どころか、実は100%なんだよね。


たまたま今日は私じゃなかっただけ。

順番が違っただけ。


そう思えたとき、ほんの少しだけ人に優しくできる。

その優しさが、空気をゆるめて、相手の緊張をほぐして、

そして自分の心にも“呼吸できる余白”が生まれてくる。


「許せない」って言葉の裏には、だいたい疲労がある


“ミスを許せない人”を責める気には、私はなれない。

なぜなら、過去の私がそうだったから。


許せなかったとき、私の心はすり減ってた。

誰にも弱音を吐けなかったし、

「私ばっかり頑張ってる」って感じてた。


だからミスを見た瞬間、

「え?私は完璧にやってるのに?」って気持ちが暴走してたんだと思う。


でも、それってただの疲れだよね。

「完璧でいなきゃ」って自分に課してたプレッシャーの表れだった。


だからこそ、今、誰かがミスしても、

私はなるべくこう思うようにしてる。


「きっと今、この人もちょっと疲れてるんだな」って。


甘さは逃げじゃない、続けていくための選択肢だ


“甘さ”って、なんとなくネガティブな言葉にされがちだけど、

私はむしろ、「甘さは生き残るための戦略」だと思ってる。


厳しさだけじゃ、人は続かない。

笑顔も出なくなるし、心もこわばる。


でも甘さには、“続けていける力”がある。

誰かがミスしても、笑って許せる場では、

人は安心して挑戦できるし、

少しずつだけど、ちゃんと成長していく。


それってたぶん、正しさよりも大切なことだ。


そして、「笑えない日」に出会ったときはどうする?


ここまで散々、「笑って流すのが大事!」と書いてきたけど、

人生にはどうしても、笑えない日がある。


たとえば、大切な人を失ったとき。

家族や友人との別れ。

誰かの言葉に深く傷ついたとき。

努力がまったく報われず、心が折れてしまったとき。


そういう日は、「甘さ」とか「ゆるし」とかじゃ太刀打ちできない。

でも、だからこそ、そんな日にも“ほんの少しのやさしさ”が残っていてほしいって思う。


もし、自分や誰かが笑えなくなったとしても、

ただ隣にいて、何も言わずにお茶を淹れてくれるような、

そんな“やわらかい余白”のある人でいたい。


次章では「やさしさが間に合わなかった日」をどう生きるか

私たちが日常で避けて通れない「別れ」や「喪失」と向き合います。


誰かを失ったとき、

“優しくしたかったけどできなかった”とき、

どうやって前に進めばいいのか。


でもその中にも、実は“甘さ”の力は存在しています。

痛みを和らげるのも、思い出を抱きしめるのも、

最後はやっぱり「自分に甘く、人にもっと甘く」でいい。



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