第一章 甘さ=悪ではない
朝二度寝して「ダメなやつだ」と思いませんでしたか?
電車で座れなくて「ついてない」と拗ねませんでしたか?
小銭を落として「なんで今日に限って…」と呟きませんでしたか?
同僚の遅刻に「社会人としてどうなの」と心の中で裁きませんでしたか?
家族のミスに「結局私がやるのか」とため息つきませんでしたか?
そんなふうに、今日一日で何回、自分や他人に厳しい言葉をかけましたか?
そして、何回「まあいいか」と思えましたか?
私たちの多くの人は「甘えたらダメ」「厳しく生きろ」と言われて育ちました。
でも、その結果、自分にも他人にも厳しすぎていませんか?
ここから先では、「甘さ=悪」という思い込みをほどき、『自分に甘く、多人にもっと甘く』
そうやって生きるほうが、人生も人間関係もうまく回る理由を一緒に探していきましょう。
あれは数年前。
アラームを3回無視し、遅刻ぎりぎりに飛び起き、髪は寝ぐせのまま、
それでもいつものコンビニのコーヒー買っては口を火傷しながら、会社へダッシュ。
プレゼン中、部長が一言。「その髪型、気合入ってるね」。
完全にいじりなのに、「はい、気合で乗り切ります!」と返してしまった自分を今ならぶん殴ってやりたい。
資料のページも飛ばしてたし、多分、目もイッてた。
なぜこんなことになったのか?
それはたぶん、前日の夜に「自分に甘えたら負け」とか思って、
眠たいのに資料を3時間見直して、たいして内容も変えずに不安だけ積み上げたからである。
今で言えばタイパ最悪ですね。
自分に厳しくしてたら、他人にはやさしくなれるわけなかった。
昔の私は「ちゃんとしないと」が口ぐせだった。
遅刻は許さない、ミスは即反省、休みたい?それは甘え。
そうやって自分を律していた。
でも、ある日ふと気づく。
自分に厳しいときって、他人のこともめっちゃ目につく。
電車でスマホを見ながら笑ってる人にイラッとしたり、
部下のちょっとした言い訳にピクッと反応したり。
他人(=距離のある他者)への許容量が、どんどん小さくなっていた。
自分のことでいっぱいいっぱいなときって、
他人の余裕が「ズルい」に見えるんだよね。
でも「他人」の見方を「多人」に変えると、世界はちょっと優しくなるのだ。
ある日、とある友人が言った。
「他人って言葉、ちょっと冷たいよね。“多人”って言う方がしっくりくる」。
そのとき、ハッとした。
「他人」は自分と線を引く言葉、でも「多人」は、自分の外にいる誰かすべてを優しく包む言葉だ。
自分以外の全員を、競争相手や評価対象じゃなくて、
ただの“同じく迷いながら生きてる人たち”として見られたとき、自身もその中の1人だと思え、
私は初めて、ふっと肩の力が抜けた気がした。
厳しさではなく、甘くから始まる優しさ
甘くって、なんとなく“逃げ”や“妥協”に見えるかもしれない。
でも実際には、「許し」や「共感」のスタート地点だったりする。
あの時寝坊して、プレゼン失敗して、寝ぐせで笑われたこと。
今ならあれを笑って話せるし、同じように失敗した誰かを責めない自信がある。
自分に甘くできたとき、
ようやく「他人」じゃなくて「多人」とちゃんと向き合えるようになった。
その瞬間から、世界の空気がちょっとずつ変わっていった気がする。
だから、「自分に甘く」を身につけよう。
本当に甘く出来る人は、自分のミスやダメさを笑い話にできる人だ。
失敗を引きずるんじゃなく、「またやっちゃったよ〜」って言える人。
その空気は、多人にとっても安心になる。
自分に甘く、多人にもっと甘く。
そのやさしさが、世界をちょっとずつほぐしていく。
そして、次章は
甘くする方法を忘れたあなたへ
ここまで読んで、
「じゃあどうやったら自分に甘くできるの?」と思った人もいるかもしれない。
次章では、『自分に甘くする技術』を紹介します。
ただ寝るだけでもない、ただサボるでもない。
自分をふっと許せるようになる、小さな習慣と心の持ち方。
人に優しくするための第一歩は、
「今日の自分、まあまあがんばってたよね」って笑えることから始まります。