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第三話 ドーナツのレシピ

 休日の午後、駅前の書店は思ったよりも混み合っていた。


 澪は、料理コーナーの一角に身を寄せていた。目の前の棚には、華やかなスイーツの写真が表紙を飾るレシピ本がずらりと並んでいる。その中から一冊を手に取り、ぱらぱらとページをめくった。


 ──この材料、異世界にもあるのかな。


 ふと、そんな思いが胸をよぎる。


 彼──瓶の向こうの“誰か”と、最初に手紙を交わしてから、もう何通目になるだろう。澪はバッグの中に忍ばせた手紙の束を思い出し、そっと微笑んだ。


 あの最初の返事が来たときは、本当に驚いた。まさか、自分が海に流した瓶が、どこかの知らない場所──いえ、きっと“異世界”に届くなんて。夢物語だと分かっているのに、現実として、目の前にあの瓶が帰ってきたのだ。


 それ以来、澪は何度か瓶を使って手紙をやり取りしてきた。最初に送り返されたあの手紙には、日本語とまったく違う、奇妙な文字が並んでいた。でも、そこには、はっきりと「みお」と書かれた部分があった。あいうえお表が役に立ったらしい。


 それが分かったとき、澪は思わず机を叩いて喜んだ。たった数文字。それでも確かに、通じたのだ。


 以来、澪は瓶にあいうえお表や数字の表、さらにはひらがなの絵本のコピーや子ども向けの知育カードを詰めて送り続けてきた。すると──信じられないことに、返事には少しずつ、日本語が混じるようになっていった。


 いまでは、ひらがなだけとはいえ、簡単な文章でのやり取りができるようになっている。


 たとえば、前回の手紙にはこんなことが書いてあった。


 ──「みお しゃしん すき たべもの たべたい まるい あなが ある」


 “写真の食べ物”が、食べたい。丸くて、穴がある……。それって、あのとき写っていたドーナツのこと?


 澪は笑ってしまった。ずっと真面目で言語に関する質問ばかりだった彼が、食べ物の話をするなんて。なんだか、少し身近に感じる。


 ……でも、どうやって送ればいいんだろう。


 試しにドーナツのかけらを乾燥剤と一緒に密封して送ってみたのだが──返ってきた手紙には、ひらがなでこう書かれていた。


 ──「ありがとう でも これは ちがう あなが ない」


 ──こだわるなぁ……。


 澪は苦笑しながら、手に取っていたレシピ本のページに目を落とした。材料、作り方、注意点──びっしりと書かれた文字のほとんどに漢字が使われている。


 「……これ、読めないよね、きっと」


 瓶の向こうの彼に、このページをそのまま送ったところで、何も伝わらないだろう。せっかく彼が少しずつ日本語を覚えてきてくれたのに、ここで無理をさせては意味がない。


 ──だったら、自分で作るしかない。


 写真を撮って、その過程をひらがなで書いて送れば──きっと、伝わる。


 澪は決意したように本を閉じ、レジへと向かった。



 「ドーナツ作るの!? いいね、それ!」


 澪の突然の誘いに、奈々は目を輝かせた。


 休日の午後、二人は澪の自宅のキッチンに並んで立っていた。エプロン姿の奈々は、ボウルを片手に材料を混ぜながら、「手作りのお菓子とか久しぶり〜」と楽しそうだ。


 「これって、誰かにあげるの?」


 奈々がふと、探るように聞いてくる。澪は一瞬、手を止めた。


 「……まあ、そんなところ」


 すると奈々は「えっ!?」と身を乗り出してきた。


 「なになに? 彼氏できた? え、ちょっと、そんな素振りまったくなかったじゃん!」


 「そういうんじゃないって」


 慌てて否定する。


 「……まだ、どんな人かも分からないし。なんかあったら、いつか話すよ」


 「うーん、怪しいなぁ。まあ、みおがそう言うなら、詮索はしないでおいてあげよう」


 奈々は頬を膨らませてから、にっと笑って再びボウルに視線を戻す。


 その横顔を見ながら、澪はふと思った。


(……奈々になら、いつか本当のことを話してもいいかもしれない)


 どこか現実離れした文通の話をすんなり信じてもらえるとは思っていない。でも、奈々なら──笑って、「それ面白いじゃん」と言ってくれるかもしれない。


 ドーナツの生地は少し柔らかめで、扱いにコツがいったけれど、二人で協力しながら丸く成形していく。


 「なんかさ、こうやって料理してると、学生っぽいって感じするよね」


 奈々が成形した生地を並べながら言った。


 「うん。でも、私はたぶん、今までで一番、真剣にお菓子作ってるかも」


 「そっか。それだけ、大事な人なんだ」


 奈々のその一言に、澪は少しだけ、胸が熱くなるのを感じた。


 油に生地を落とすと、ジュワッと香ばしい音とともに、ふわりと甘い香りが広がった。こんがりと揚がったドーナツが並んでいく光景は、どこか魔法のようにも感じられた。


 揚げたてをキッチンペーパーに並べて、粉砂糖をふるう。


 「さ、食べようか」


 澪がそう言うと、奈々がぽかんとした顔をした。


 「えっ、全部食べるの? プレゼントじゃなかったの?」


 「……これは、まだ渡せないんだ」


 「なるほど〜。つまり彼には、自分一人でで作ったものを“ちゃんと自分の手で”渡したいってことなんだね~! 手抜きなしの全力レシピってやつか〜」


 奈々はそう言いながらも、ひと口かじって「おいしいっ!」と感激した声をあげた。


(……違うんだけどな。でも、まあ、そう思ってくれてた方が楽かも)


 澪も笑って、カメラを手に取り、慎重にドーナツの写真を何枚も撮影していく。揚げる過程や、生地の材料の写真もすでに撮影してある。もちろん、ひらがなで書いた簡単な作り方も、あとで添えるつもりだった。


 瓶の向こうにいる“誰か”に、少しでも伝わるように。


 ドーナツを通して、澪は確かに今、異世界とつながっているのだと実感していた。


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