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第二話 信じ続けた少年

 星々の輝く深夜の空を背に、ルクスティア王国の王城は静けさに包まれていた。その高き塔のひとつ、研究棟と呼ばれる一角の最上階では、灯火に照らされた円形の部屋に数人の魔術師たちが集まり、緊張した面持ちで中央の魔術陣を囲んでいた。


 空間には、魔力の震えが満ちている。


 その中心に立つのは、まだ若いながらも風格ある青年──王太子、カイル・ルクスティア。そして、その隣には白髪混じりの長髪を後ろで束ねた老練な魔術師──魔術師長・セランが、静かに寄り添うように立っていた。


「……よくここまで続けてこられましたな、カイル様」


 穏やかな声で、セランはそっと言う。その目には、若き王子への深い敬意と愛情がにじんでいる。


「もとはと言えば、あの瓶が始まりでしたな。十二の夏、訓練中に海辺で見つけたとお聞きしました」


「……あれを拾った瞬間から、世界が変わった気がしました」


 カイルは低く応じ、視線を魔術陣の中心に落とす。


 写真の中の少女。手紙の意味もわからぬまま、それでも彼は、十年間、ひたむきに研究を続けてきた。


 「言葉」が読めなかったことが、何より悔しかった。

 だが、それ以上に──あの瓶に込められた思いに、返事を返したかった。

 写真の中で無邪気に笑う少女。その子が、小さな手で綴った手紙。けれど、それを読み解くすべもなかった。


 だからこそ、読めるようになりたかった。

 ただその一心で、彼は十年間、誰も見向きもしない異界文字とされる記号や断片を拾い集め、古文書をひも解き、解析を進めてきた。


「“異界の文字に囚われた少年”……王族である身には不釣り合いだと、何度も言われましたな。それでも公務や訓練を怠らず……いや、むしろ誰よりも立派に努めてこられた。いやはや、息の詰まる努力ですな……」


 セランの言葉には、皮肉もお世辞もなかった。ただ、長年見守ってきた者としての素直な敬意があった。


「……あの文字を解くには、時間がかかりました。でも、もうすぐ“返事”が来るかもしれない。初めての対話が」


 カイルのまなざしには揺らぎがなかった。彼はずっと信じていたのだ。


 それが、今、叶おうとしている。


「ふふ、実に楽しみですな。あの手紙の送り主が、どんな言葉を綴ってくれたのか」


セランは長杖を軽く打ち鳴らし、詠唱の支度を整える。


「転送座標、固定完了。魔力安定域、誤差範囲内」


 補佐の魔術師たちが報告を重ねていく。


「魔術陣、発動準備よし。王子、よろしければ……」


 魔術師の一人が合図を送ると、カイルはそっとうなずいた。セランが杖を掲げ、魔術陣へと高位の詠唱を重ねる。


 セランの手がそっと掲げられ、魔術陣が淡く輝き始めた。


 高位詠唱が始まると、部屋の空気が一変し、床の魔術陣が一層の光を放った。


 魔術陣の光が一際強くなったその瞬間──部屋の空気が震え、中央にふわりとした歪みが生じた。


 そして、そこに。


 ぽん、と一本の小さな瓶が現れた。


 淡く曇ったガラス。丸みを帯びた形は、十年前に見たものと寸分違わぬ形。


「……来た……!」


 カイルは一歩前に出ると、両手で瓶を受け取った。


 重みと、冷たさと、確かな実感。


 ──ついに、届いたのだ。彼の手紙が、誰かに届き、その“誰か”から返事が返ってきた。


「おめでとうございます、王子」


 セランの声も、ほんの少しだけ震えていた。


 カイルは瓶を慎重に抱えるようにして、机の上に置いた。

 魔術陣の輝きが完全に消え、静寂が戻る。周囲の魔術師たちも動きを止め、ただ息を潜めて見守っている。


 ガラス瓶は淡い白濁を帯び、内部には紙が一枚──そして、なにやら色とりどりの図が描かれた、不思議な表が見えた。


「……本当に、届いたのか」


 カイルは慎重に瓶の栓を抜き、中から紙の束を取り出した。ひときわ丁寧に折り畳まれた便箋と、もう一枚──色とりどりの図と奇妙な文字がびっしりと並ぶ、不思議な“表”のような紙。


「……これは……」


 ──そこに並ぶのは、再び見知らぬ、けれどどこか懐かしい曲線の文字たち。

 その手紙には、前回の手紙にもあった、見覚えのある文字もあった。写真の少女──あの手紙に綴られていた、未知の言葉の記憶が脳裏に蘇る。


 意味はわからない。それでも、文の末尾には見覚えのある並びがあった。


 ──「みお」。

 それはかつての手紙にも、写真にも記されていた文字。


 「“わたし、みお”……か?」


 手紙のはじめの一文。そこに並ぶ文字列から、彼女の自己紹介だと読み取れる。


「“わたし、みお”……やはり、名前なのですね」


 セランが隣から、紙面をのぞき込むようにして言った。


 カイルは小さくうなずく。


「……この“わたし”という語は、古文書の断片にも登場します。“己を示す第一語”──あの記述が正しければ、間違いない」


 彼の声は震えていた。それはただの学問的興奮ではなかった。

 言葉が届いた。向こうの世界の誰かと、本当に繋がったという証。

 十年間、独りで見つめてきた記号たちが、今、命を帯び始めた。


 彼はすぐに、次の紙に目を移した。


 一面に整然と並ぶ、絵と文字の組み合わせ。たとえば、丸く赤い果実の絵の横には、一文字。水を表すような波模様の隣にも、また一文字。衣服や動物、植物などを思わせるイラストと文字の組み合わせが繰り返されていた。


 「……これは、“あの言葉”を学ぶための……」


 カイルは表全体を食い入るように見つめ、 目を見開いたまま、指先でその一文字ずつをなぞっていく。


「この並び、音の記号では……? いや、表意文字とも考えられる……」


「どうやら、我々が思っていたよりも遥かに高度な言語体系ですな」


 隣でセランが、目を細めながら静かに言った。


「以前、私が保管していた古文書の中にも、似たような文字列がわずかに見られました。ですが、意味の解明までは至らなかった……」


 「けれど今なら。これを“鍵”にすれば、あの文書群が再び役に立つかもしれません」


 カイルはすでに別の便箋に視線を移していた。二枚目、三枚目と続く文字列は、どれも“あの言葉”──日本語と呼ばれる未知の言語で綴られていた。


「……この人は、ちゃんと返してくれたんですね。伝わらなくてもいい、きっと届いていると信じて……」


 カイルの声が、かすかに震える。


「ここまでたどり着けたのは、あなたがあの時、瓶を拾って、諦めなかったからですよ」


 セランの言葉は、優しく静かだった。


「信じるということが、どれだけの力を持つか──この年になって、また教えていただいた気がします」


 魔術師長の顔には、長年の歳月を思わせる深い皺が刻まれている。けれどその眼差しは、どこまでも温かく、慈しみに満ちていた。


 カイルはゆっくりと頷き、机に紙を広げると、澪からの手紙と表を丁寧に並べ直した。


「解析を始めます。……この表の情報があれば、文法構造の解読が一気に進むかもしれない。文末の繰り返しや助詞らしき配置もある。……セラン、古文書群を再度閲覧可能にしてもらえますか」


「もちろんです。転送魔法の精度も、あなたが希望するやりとりの頻度に合わせて調整しておきましょう」


「……ありがとうございます」


 その声は、研究者の声ではなく、一人の若者の声だった。

 十年前、ただ誰かと繋がりたいと願った少年が、今ようやく夢の入口に立っている。


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