第一話 再会は、机の上で
「うわっ、寝坊した!」
澪はスマホの時計を見て、ベッドから跳ね起きた。授業が始まるまであと四十分。顔も洗わずリュックを掴み、アパートのドアを飛び出す。自転車を全速力でこぎながら、髪をくくるのも忘れたまま、大学の門をすり抜けた。
午前中の講義を何とかこなした澪は、キャンパスのカフェテリアでパンと紅茶を手にし、友人の奈々の向かいに腰を下ろす。
「……で、結局、教授に出席取られたの?」
「ぎりぎりセーフ。名前呼ばれた直後に滑り込んだ」
「もー、朝弱すぎ。っていうか髪ボサボサ。寝ぐせ直した?」
「……ノーコメント」
奈々は苦笑しながら、スマホをいじっていた手を止める。「最近どうよ? 新しい本とか読んでる?」
「うーん、大学始まってからはなかなか……でも、昨日ちょっと変な夢を見たの。昔のこと、瓶に手紙を入れて流したやつ」
「……なにそれ、ロマンチック! 小学生のときの遊び?」
「うん、九歳の時に海に行った時ね。海外に友達ができたらいいなと思って、手紙と写真を瓶に入れて流したの」
「え、ちゃんと届いたかもとか思ってた?」
「さすがに思ってなかったけど、なんかね……最近、そのことばっかり思い出すんだよね。不思議と」
奈々はちょっとだけ真顔になって、「運命の出会いの予感?」とおどけてみせた。
澪は笑いながら首を振る。「まさか。でも、あのときの写真……ドーナツ食べてるやつ、なんで選んだんだろうって、今さら思う」
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その日の夕方、授業を終えて自宅に帰った澪は、久しぶりに自分の部屋の机を片付けていた。
講義に、課題に、バイトに、ほんの少しの友達付き合い。忙しいのはきっと良いことなんだろうと思いながらも、澪は時折、胸の奥にぽっかりと空いたような感覚を覚えていた。
図書館に通う時間も減って、机の上に積んだままの本の山は、ここ数週間ほとんど形を変えていない。
高校の頃から使っていた木目の机。その引き出しの奥から、古びたイラスト付きの「あいうえお表」が出てきた。
「……まだこんな所にあったんだ」
小さな頃の自分が夢中になって書いた手紙のことを思い出しながら、澪はなんとなく、窓を開けて潮の匂いを探した。
──その瞬間だった。
ふわりと、部屋の空気が変わる。
机の上、ちょうどノートを置く場所に、小さな光の渦のようなものが現れていた。
「……え?」
目を瞬かせる間に、その光はゆっくりと消えていく。
そしてそこに、一本の瓶が、音もなく佇んでいた。
淡く曇ったガラス。ころんと丸みを帯びた形で、古びているのに不思議と清潔感があり、どこか神秘的な雰囲気があった。
澪はそっと瓶を手に取った。冷んやりとした感触。中には、見慣れない文字が書かれた紙が一枚、くるくると丸められて入っていた。
「……読めない……」
どこか異国の文字のように見えたが、知っているどの言語でもなかった。
そして、その下にあるのは──
一枚の写真だった。
ドーナツを両手で持って、口いっぱいに頬張る、小さな女の子。澪だ。あの時、自分で入れた、唯一の写真。
なぜ、この瓶が?
そして、いったい誰が──どうやって、この返事を?
澪は再び瓶の中の手紙に視線を戻す。
このガラス瓶は、海の向こうどころじゃない、きっと、とんでもないところから、戻ってきたのだ。