act9.漆黒の鎖鎌
この国では、産まれた赤子が女だった場合、髪を全剃りにし、肩よりも先に伸びないようにする。男だった場合、髪は一生涯伸ばし続ける。女は武術を学び、戦闘能力を鍛えていく。男は文学を学び、楽器をたしなむ。これがこの国の"普通"で、"当たり前"。
"黒の死神"。それは、あたしの異名。どこの部隊にも所属せず、たった一人で、黒い鎖鎌と髪を振り回しながら敵を薙ぎ倒す様は、まるで死神のように見えるらしい。あたしと戦って生き延びた人達が、あることないこと言いふらしているようだ。どうとでも言えばいい。戦いは、出来ることならしたくはないが、敵意を向けられたら立ち向かう。それが、生きていくための、術なのだから。
父親と母親の顔は、知らない。育ての親と呼べるのは、師範と、そのお弟子さん達。本当かどうかはわからないが、ある日師範の家の扉の前に、鎖鎌と共に赤子のあたしが置かれていたらしい。小さな道場で、師範やお弟子さん達に子守をしてもらい、育ててもらい、鍛えてもらった。六歳になる頃には、道場の中であたしに敵う者はいなくなった。師範すらも。めきめきと腕を上げていくあたしに対する恐怖心を、拭いきれなかったんだろう。初めは、些細なきっかけだったと思う。小さな拒絶。いじめとまではいかないが、徐々にお弟子さん達から距離を取られた。師範もすぐに、道場内の空気感の異変に気付き、話し合いの場を何度か設けたが、結局、あたしが道場を出て行くことになった。その時、まだ七歳。大人の手を借りなければ生きてはいけない年齢なのだろうが、自分は一人で生きていくしかないのだと、旅立つことに抵抗はなかった。
師範は、最後まで引き留めてくれていたが、それが一番しんどかった。せめて、と、お金と食糧と、謎の本を持たせてくれた。寂しくてたまらないと感じた時に、その本を開いて、と言われ、きょとん顔をするしかなかった。別れの時に、涙の出ないあたしは、側から見れば"可愛げのない子ども"。それでも、ここまで育ててくれたことに感謝の気持ちはあって、直接お礼を言えたのが師範しかいなかったのは、やっぱり、寂しかった。
一人で生きていくために、七歳のあたしはどうしたか。山に向かった。ひとまずの寝床を洞窟に決めて、そこの主であろう熊をさくっと倒し、火を焚いていると、急激に寂しさが襲ってきた。どうやって紛らわそうかと荷物を漁ると、師範がくれた謎の本が目についた。まさかこんなに早くこの本を開くことになるとは…。本を開くと、何かの呪文のような、魔法陣のような、とにかく自分には到底読解できないものが書いてあるだけ。首を傾げながら、そのページに触れると、桜色の光の中から、この世のものとは思えないくらい美しい蝶が現れた。一人で生きていくあたしの相棒――――師範からの粋なプレゼントだった。その蝶は、言葉こそ話はしなかったが、寄り添うように桜色の鱗粉を振り撒きながら、あたしの周りをふわりふわりと軽やかに飛んで見せて、その光景を眺めているうちに、自然と涙が溢れて、嗚咽が洞窟内に響くほどに、泣き喚いた。こんなに泣いたのは、後にも先にも、この夜しかない。
野宿をしながら、山から山に移動し、山賊狩りをした。命を奪うまでの戦闘狂ではない。簡単に痛めつけて、お金や食糧、衣服や生活に役立ちそうな物、もらえるものはもらって、生き繋いでいった。
とある日の朝。周囲を警戒しながら、誰もいない川に向かう。寝起きの鍛錬は、幼い頃から染み付いており、道場を後にしてからも、毎朝続けていた。汗で体に張り付いている服を無理矢理に脱ぎ捨て、川に飛び込む。伸び放題の髪をガシガシとかきむしるように水で洗い、顔や体についた汚れを落とすと、陸に上がる。岩陰に準備していたタオルで全身を拭き、服を着る。流れるように、水浴びを済ませた。
タオルを頭に被せたまま、川縁に腰を下ろす。水面に映る自分の姿を見て、長い息を吐いた。最近どうも、今の自分に嫌気がさして仕方ない。気づけば十五。数々の戦いを潜り抜けて、しなやかな筋肉と強靭な体を手に入れたが、体型や体質があちこち変わり始めて、前よりも自在に立ち回れなくなったような気がする。髪は、どう整えたらいいのか分からず、この国では珍しい"長髪の女"になっていた。普段は邪魔なので適当に結んでいるが、少しだけ、そんな自分を悪くないと思っていて、それすらも、なんだか気持ち悪く感じてしまう。
「さくら、いる?」
そう呼ぶと、桜色の綺麗な蝶が現れた。
「あたしは、こんな暮らしをいつまで続けるんだろうね?」
さくらは、しゃべらない。それに、どれだけ救われてきたことか。
「あたしは、どうしたいんだろうね?」
すると、さくらがあたしの周りをふうわりと一周した後、髪の毛にとまった。綺麗な髪飾りのよう。
「ふふ、これじゃ、男の子みたいだよ。」
笑いが溢れると、ふと、この国の王子のことが思い浮かんだ。少し前、山に食糧を取りに来ていた家族が噂話をしていたのを、木の上からこっそりと聞いていたのだ。その人は、次期国王になると言われ、この世のものとは思えないほどの美男子で、その髪はとても長く、艶やかな翠色らしい。そんな人がいるなら、一眼見てみたいと思ってしまった。
ほんの些細な好奇心。八年も山から降りてことがなかったあたしは、初めて、王城を目指す旅に出た。もちろん道中では、一悶着ニ悶着ばかりではないゴタゴタがありつつ、親切な人に道を教えてもらいながら、一ヶ月もしないで城下町にたどり着いた。見たことも聞いたこともない物や人で賑わい、しばらくは目と耳がチカチカしていたが、慣れれば興味が湧くものばかりだ。大きめの外套に身をすっぽりと隠して歩いていても、さほど目立たないほどの賑わいで、財布の口は緩みっぱなし。それも悪くない。贅沢するだけのお金なら、たくさんあるのだから。
ただ、すぐに飽きてしまう。なんとなく居た堪れなくなって、広場の端の方で腰を下ろす。さて、どうやって王子の顔を拝もうか。普通に出向いても、門前払いされるだけだろう。だから、選択肢は一つ、こっそりと忍び込んで、王子の顔を一目見たら、すぐ退却。あっさりと計画を立てて、夜が更けていくのを待った。
(さて、そろそろいくか。)
なるべく身軽な装備にし、警備の薄い壁をよじ登り、あっさりと城内の庭に入った。問題はそのすぐ後に発生。自分の腕を過信していたわけではない、王城の警備部隊がすぐさまに反応。その辺の山賊とは比べ物にならないくらいの手だれ揃い。隊列を組まれて追い込まれては、手も足も出ない。
(あれ、あたしって、こんなに弱いんだっけ…?)
じりじりと追い詰められて、間一髪で逃げ切った。逃げるしかできなかった。
無我夢中で逃げ回り、一つの部屋の扉の前まで来た。その向こう側に王子がいるような気がしてならない。呼びもしないのにさくらが現れて、扉の前で桜色の鱗粉を撒き散らしているからだ。
(顔を見たら、即退散。顔を見たら…。)
心の中で何度も唱えながら、扉にかけた手に力を込めた。
少女は、扉を開ける。その先で、"誰か"と"出会う"のだろう。




