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act5.白銀の鱗

 この国のとある場所に、竜族の住む街がある。竜といえば、"空を飛ぶ伝説のーー"、"神々の遣い"などと思い浮かべるだろうが、この街では、そんな大それたものではない。地べたを這う者はおらず、二足歩行。人間のような衣食住。翼はあるが小さすぎてお飾り程度で、もちろん空は飛べない。爪や牙は鋭いし、体は硬い鱗で覆われているが、他者を傷つけるような凶悪な者はいない。もしかしたらこの国のどの種族よりも、優しい生き物なのかもしれない。

 物理的な"痛み"を、俺は知らない。生まれ落ちたその日から、とても硬い鱗に覆われていて、血が流れるほどの傷を負ったことがない。


 母は、俺を産んですぐに息絶えた。竜族の女は、子を抱くことなくその生涯を終える。外側がどれだけ硬い鱗で覆われていても、その中身は柔な人間と同じなのだ。自分の命と引き換えに、愛する者の子を産むなんて、究極の綺麗事のように思うかもしれないが、俺は、究極に美しいと思う。


 竜族のみんなは、穏やかで、この街では時間がゆったりと流れている。ただ、ごく稀に、人間の魔の手がのびてきて、幼い命が犠牲になることがある。捕まった者達のその後は、ほとんどが命を絶たれ、人間の利益のために利用されている、と聞いたことがある。


 俺は、その"ほとんど"に当てはまらず、今日まで生きている。


 竜族の知能の発達は人間より早く、生まれて三〜四年も過ぎればありとあらゆる知識を記憶する。五感も鋭く、身体能力も高い。おかげで、多種族からの標的になりやすく、その脅威を幾度となく跳ね除けてきた竜族だが、幼い命を守りきれないことがあるのだ。


 父と祖父と俺、三人暮らしをしていたのは、五歳まで。あの日、祖父と二人で山に入って食料を調達していた俺は、綺麗な色の蝶に夢中になって祖父とはぐれた時に、さらわれた。さらわれて連れてこられたのが、王城だった。荘厳な部屋に突き出され、目の前には顔色の悪いおじさ…国王が、いて。自分の身に何が起きているのか、何が起こるのか、理解が追いつかずに震えていると、ただ一言、"姫のそばに、いてほしい"と言われ。文字通り、目が点になった。


 そばにいる、と言っても、姫の姿は見てはいけない、極力物音を立てない、などの、いくつもの注意事項があり、悪く言えば奴隷、良く言えば使用人のような扱い、と理解するまで、そんなに時間はかからなかった。突然さらわれて、父や祖父のことも気がかりではあったが、命を脅かされるようなことはないのだとわかると、ここで生きていくことに順応していこう、と、すんなり思えた。その潔さが、自分のいいところだと思う。


 姫のいる塔は寂れた場所にあったが、近くには小部屋が二つあり、一つは本の部屋、一つは空き部屋で、そこが俺の住処となった。その部屋にいるよりも、姫の部屋の扉のそばにいることの方が多い。何かあった時に聞こえてくるノック音を、聞き逃さないようにするためだ。五感が優れていても、少し距離が離れていると、次の行動に移すのにタイムラグがあるので、この扉のすぐそばにいるのが、一番効率がいいのだ。ノックが聞こえたら、姫が要件を言うので、物を頼まれれば、扉の前にそれを持って来て、こちらからノック。そうしたら、すぐに自室へ。姫が鳴らす、呼び鈴(ベル)の音が聞こえたら、また定位置へ戻る。それが一連の流れ。


 なぜ、姫がこんな場所に篭っているのか。姿は見たことがないから定かではないが、生まれつき爪が長く鋭く、自分の意思と関係なく他人を傷つけてしまうのが嫌で、自ら、この場所を選んで閉じこもってしまった、らしい。"爪が長くて鋭い"から?たった、それだけで?俺なんか、爪は(長くはないが)鋭いし、牙だってあるし、顔は凶悪に見えやすいし、おまけに硬い鱗で覆われている。でも、そんな自分を嫌だと思ったのことはないし、こんな姿で産んだ母親を恨んだことはない。それを聞いた王様は、困ったような、寂しそうな、とても複雑な顔をして、あの子は優しすぎるのに、自分に優しくしてあげられないんだよ、と、細く、小さく、こぼしていた。


 自分のことを好きになれるきっかけは、何かないか?爪に色を塗ったら、少しは気分が変わるのではないかと思い、姫の好きな色を聞いて回ったが、誰に聞いてもわからない、と言われてしまった。どうしようか迷っていると、姫の小さい頃にお世話をしていた人が、姫の瞳の色が、ルビーのように赤くてとても綺麗だった、と教えてくれたので、姫の十歳の誕生日に、赤いマニキュアを準備した。姫からのノックからではなく、俺からノックしたのは、この日が最初で最後だったと思う。


 何の変哲もない日々が淡々と流れて、気づけば、五年もの月日が経っていた。姫の要件に応えながら、待機中には肉体の鍛錬、本を読んでさまざまな知識の吸収、もはや使用人と言うより、護衛のような心持ちになっていた。


 ある日の昼下がり、いつものように、こんこん、と、扉を叩く音。すぐに動き出せるように、立ち膝になって耳を澄ませる。


 「ねぇ、お願いがあるんだけど。」


 珍しい。そんなこと、今まで言われたことがない。


 「扉を開けるから、そのままそこに、いてくれる?」


 …え?


 姿を見てはいけないことになっている。でも、この時の俺は、その場を動けずにうつむいて、扉が開かれるのを、生唾を飲み込んで待っていた。

 扉は、ゆっくりと開いていく。扉の内側にいる姫と、今、初めて、"出会う"のだろう。

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