act3.金色の霧
この国の建国神話のはじまりの一文は、"妖精がこの国を作った"。今この国を司り、繁栄させているのは人間だが、遥か昔の祖先は、妖精。この国の歴史のどこかで、妖精は人間と交わり、いつしか、人間の血の方が濃く残っていくようになり、やがて妖精は、人間の視界に映らなくなっていってしまった。
目には見えなくても、細々とその血を受け継いできた妖精は、あちらこちらに存在していて、時折、気づいて欲しいと言わんばかりに、霧を出現させる。その霧の中に妖精はいる、と、今はそう言われている。ただ、その姿を見て戻った者は、誰一人としていない。いないのだ。それでも、妖精は"いる"と、信じられていた。
鏡に映る、二つの同じ顔。髪を結ぶ位置は左右対称、髪飾りの色を変えて、二人は周りから見分けがつくようにされている。
「ねぇ、ミナリィ」
「なぁに?マナリィ」
「今日も私達、とっても可愛いわね。」
「ほんとね。とっても可愛い。」
「では、参りましょう。」
「えぇ、参りましょう。」
手と手を取り合って、今日も私達は、二人で行動を共にする。
私達は、双子の姉妹。年は十一。何をするにも、どこに行くにも、いつも一緒。どうしていつも二人で居るかって?
だって、一人でいると、妖精に連れていかれちゃうから。
あれは、何歳くらいの頃だったか。自分の足で歩けるようになり、両親や使用人達を困らせていた頃、マナリィがベランダに出てしまい、周囲の大人達の視線がミナリィから外れた。その時、ミナリィは金色の霧に包まれ、それに気づいたマナリィが"見る"と、それは一瞬にして消え去り、マナリィの視線に気づいた大人達がそちらを向くと、そこにはこちらを見て笑うミナリィがいる。やれやれ、という、平和な空気が漂うが、目と目があった二人は、自分達には妖精の姿を見ることができて、離れ離れになると妖精に連れて行かれてしまう、ということを、幼いながらに理解した。
この世界に"いる"と言われている、妖精。妖精が発する霧を見た者はいるが、妖精そのものを見た者は、いない。妖精は霧の中に入れば見ることができる、とも言われているが、霧に迷い込んだら最後、その者の行方は分からなくなってしまう。
"いる"ことは信じているくせに、"見える"ことは信じてもらえない。
私達は、妖精が国を守っているなんて、思っていない。きっと、霧の中に惑わせて、人を食べて、その代わりにこの国の加護を強めているだけ。そんなの、"守る"とは言わない。誰に言っても信じてもらえないのなら、私達自身で、お互いを守らなければならない。そんなわけで、いつも二人でいることを咎められても、二人はいつも一緒に居続けていた。
「ミナリィ、あそこの妖精が、こちらを見ているわ。」
「あら大変。悪戯でもしようとしてるのかしら?」
「嫌だわ。」
「本当に嫌ね。」
そういう時は、繋いだ手に力を込めて、妖精の目をしかと"見る"。すると、二人は金色の霧に包まれ、それを見た妖精は逃げていく。大人達はそれを見て、『あなた達の周りには、いつも妖精がいるみたい』と、お花畑のおつむ。だから、私達はいつも二人で、二人だけで、何とかしてきた。
私達のことを本当の意味で守ってくれる人なんて、周りの大人達の中には誰一人としていないんだから。
ある日の昼下がり、庭園で優雅にティータイム。少し離れた位置に使用人。二人は内緒のおしゃべりを楽しんでいた。
「ねぇ、ミナリィ。」
「なぁに?マナリィ」
「私達には、どうして妖精の姿が見えるのかしらね。」
「どうしてかしらね。」
「私達も、妖精なのかしら。」
「あら、それは素敵。可愛すぎる双子の妖精なんて、素晴らしいわ。」
「それ本気で言ってるの?」
「冗談よ。マナリィは真面目さんなんだから。」
「真面目で何が悪いのよ。」
「いいえ、何も悪くないわ。」
くすくすと、二人で笑い合った。すると、ざわり、と、嫌な予感がした。使用人の方を二人で一斉に振り向くと、背筋が凍りつく。
今まで見たことのない大きさの妖精が、いる。
大きくても、リスとか小動物のそれくらいで、裸だったり、半裸だったり、おとぎ話に出てくるような姿しか見たことがなかった。あれは、人間と同じような背格好。糸目が柔らかく笑っているように見えるが、それが今までにないくらいの恐怖を感じさせた。
「「危ない…っ!!」」
使用人の驚いた顔が、目に飛び込んでくる。
二人は両手を握り合い、目を閉じた。いつもは"見る"だけにとどめていた力を、解放するようなイメージを共有した。
使用人は、見えない力に投げ飛ばされ、双子がティータイムを楽しんでいたガーデンテーブルの近くに尻餅をついた。そして、今しがた自分がいた場所に、金色の霧が現れているのを、呆然と見つめた。
「…ミナリィ?」
「なぁに?マナリィ。」
「まだ目は閉じている?」
「えぇ、まだ閉じているわ。」
「何か感じる?」
「えぇ、感じる。」
「目を、開けてみましょう。」
「そっとね、そーっと。」
目を開くとそこは、金色の霧に包まれた不思議な空間の中だった。まさか、と、二人は目を見合わせて、ゆっくりと頷いた。固く両手を握り合っている二人の目の前で、糸目の妖精は跪き、両手を差し出した。まるで、その手を握ってほしいと言わんばかりの仕草。
その手を取れば、自分達のルーツに触れられる気がした。同時に、今までの生活には戻れないのだと、理解する。
二人の思考は、繋がっているようだった。何を考えているのか、どうしようとしているのか、分かっていた。
固く握り合っていた手の力を抜いて、マナリィは右手を、ミナリィは左手を離す。そのままその手で妖精の手を取り、三人は輪になった。
「ねぇ、ミナリィ。」
「なぁに?マナリィ。」
「私達、これから妖精の国に行くのかしら。」
「どうかしらね。」
「…食べられちゃうのかしら。」
「さぁ。どうかしらね。」
輪になった三人は、金色の霧ごと上昇していく。その先には、何があるのか。