第88話 審査会
弓道場に響く矢音が、いつもより少し緊張感を帯びているように感じた。審査会を翌日に控えた部員たちを前に、拓哉コーチが姿勢を正して立っている。
一つ一つの体配や姿勢を特に注意している。
「みんな、いよいよ明日だな。審査では体配や姿勢が重視される。だから、今まで練習してきたことを落ち着いて、体配と姿勢披露する気持ちで望むんだ」
全員の視線がコーチに集まる。拓哉コーチは一人一人を見渡しながら、改めて基本を説明する。
「体配は弓道の美しさを支える根本だ。起居進退の動きが規矩に適っていること。落ち着きのある容儀。弓矢の扱いがスムーズであること。これが重要だ。」
次に、射法・射技について語る。
「八節が形に適い、運行がスムーズであること。そして、足踏みと胴造りがしっかりしていること。特に初段では、弓返りや的中よりも、正しい姿勢で射ることが求められる。」
その言葉に、沙月が小声で「あれ、これ杏子がいつも言ってる『正しい姿勢だけ』ってやつじゃない?」と冗談めかして笑った。
拓哉コーチは笑みを浮かべながら続けた。
「そうだ。杏子さんがよく言う『あとはたまたま』だが、今回の審査ではその『たまたま』さえ求められない。正しい姿勢だけでいいんだ。」
「杏子、完全に審査向きなんだけどなあ!」とあかねがちゃかすように言い、全員が笑った。
「みんなは明日、練習してきたことをそのまま出せばいい。緊張するのが当然なんだ。だから、緊張することを必要以上に避けようとしなくていい。
深澤先生の言ってた、メンタルトレーニングの落ち着く方法を思い出してな。あとはとにかく、自分のやってきたことを信じて、堂々と披露すること。万が一失敗したら、それも自分流だと思って、堂々としてたらいい」
「それで、受かりますか?」あかねが尋ねると、コーチは
「俺が審査員ならなあ」と笑った。続けて
「とにかく、的中を意識しすぎないように。」
拓哉コーチの言葉に、部員たちは少しずつ緊張をほぐしていった。
翌日、部員たちは真剣な表情で弓を構え、それぞれが自分の射を披露していった。練習通りの姿勢で落ち着いて射る者、わずかに緊張して体が固くなる者。会場には張り詰めた空気が漂い、部員たちはその中で精一杯、自分の力を発揮していた。
特にまゆは、珍しい車椅子での参加ということもあり、注目を集め、ひどく緊張していた。
前日、杏子と電話で話した時に、大丈夫と太鼓判を押されたが、同時に、今までずっと指導してくれた杏子に、なんとかいい報告をしたかった。コーチにも、花音先輩にも、瑠月さんにも。
審査が終わり、発表された結果は以下の通りだった。
奈流芳瑠月が弐段
国広花音、三納冴子、松島沙月、栞代が初段
柊紬、秋鹿あかねが一級
雲英まゆが特別に車椅子で審査を受け、四級
「瑠月さん、弐段合格おめでとうございます!」
「まゆ、四級ってすごいよ!」
弓道場の片隅では、部員たちが互いに笑顔で声を掛け合っていた。特に瑠月の弐段と、まゆの四級はみんなが心から喜んだ成果だった。
まゆは5級はなんとかと思っていたか、本当に良かった。ハンデを抱えて努力した結果は、本当に尊いものだった。
結果発表を受けて、その場で、部員たちは杏子にLINE電話で結果を報告した。
「杏子!全員結果が出たよ!」栞代の明るい声が響く。
「どうだった?」杏子は少し緊張した声で聞き返す。
「瑠月さんが弐段、花音先輩、冴子先輩、沙月先輩、そして私が初段、紬とあかねが一級、それから、まゆが四級とったんだよ!」
「えっすごい。みんなすこいっ。瑠月さんの弐段もすごいけど、まゆ、ほんとに頑張ったね」杏子は心からの声で答えた。
栞代はまゆにスマホを向ける。まゆは「杏子、ありがとう」と絞り出すのが精一杯だった。
杏子は、本当に嬉しそうに、
「また、そのうち家に寄ってよ」
と言ったと思ったら、
祖父も横で聞いていたらしく、画面越しに顔を覗かせて言った。
「みんな、ほんとよく頑張ったな。特に瑠月さん、弐段なんて立派なもんだ。うちの雅子ちゃんといきなり並んだんだな~。それにまゆさんも四級なんてすごいぞ。これこそ、人と比べるものじゃない。自分の精進の証じゃ」
その言葉に、画面の向こうで全員が笑い合う。栞代がふと冗談めかして言った。
「おじいちゃん、審査は大嫌いだったんじゃないの? 今おじいちゃんが言った通り、精進の証なんだよ。杏子も受けさせてあげれば良かったのにさ~。実績から行くと、杏子が一番で飛び抜けてるんだから、受けてたら絶対に初段取れてたし、弐段も届いたかもしれないのに」
「い、いや、ぱみゅ子は特別じゃ~。ぱみゅ子には、わしが、百段を与えるんじゃ~い、いや、百段でも足らん、それにじゃ~」
とまだまだ続きそうだったが、杏子がくるっと向きを変えたようで、
「か、栞代、あまり刺激しないで~」杏子が笑いを浮かべながら答える声に、また笑いが広がった。
通話が終わり、杏子は祖父の横顔を見つめた。
「みんな、良かったね」
その小さな呟きに、祖父が、
「ぱみゅ子、本当は受けたかったかい?」
と尋ねてきた。強気で強権発動したかと思うと、妙に気をつかうところもあったりするから面白い。
「みんなが受けるから、わたしも一緒に行動したかった、というのは少しはあるよ。でも、別に段位は本当にどうでもいいから。別に積極的に受けたい訳ではなかったよ」
「ぱみゅ子、いい子じゃ」




