第86話 年明け
元旦、二日とずっと家族と一緒に遊び、正月を堪能した。
1月3日、朝の光が障子を染める頃、玄関のチャイムが鳴った。
「お邪魔します、栞代です」
少し寒そうに肩をすくめながら入ってきた栞代を、わたしは笑顔で迎えた。お母さんが奥から「いらっしゃい」と声をかけ、おばあちゃんもお茶を用意してくれる。栞代は、おじいちゃんに深く頭を下げながら言った。
「おじいちゃん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「おお、栞代か。こちらこそよろしく頼むよ」おじいちゃんはいつものように、ニコニコして栞代を迎える。その表情を見るたびに、わたしはとても嬉しくなる。
栞代がすぐに真剣な顔になった。
「杏子、これからのこと、ちょっと話そうか。最初に決めておこう」
わたしは頷いて、おじいちゃん母と両親に「少し部屋で話してくるね」と伝えた。自分の部屋で栞代と二人きりになった瞬間、彼女は言葉を選ぶように一拍置いてから話し始めた。
「杏子、杏子が言ってた、まずは一月中、おじいちゃんとずっと一緒に居たい、しっかり見たいっていうのは、わかる。心配だろうし、一度決めたら、杏子は絶対にその通りするだろ。それで全然いいと思う。
で、拓哉コーチと少し話をしてきたんだけど……」
栞代は一瞬、わたしの顔色を伺うようにしてから続けた。
「平日の練習に参加しないのは、仕方ないとしても、土日だけは道場に顔を出さない?おじいちゃんも一緒に来て、部室から練習を見られるようにするって。」
「……部員のみんなは?」
「そこもね、コーチが調整してくれるって。おじいちゃんが来る日は、みんなでちょっと気をつけながら様子を見るようにするんだって。まあ、拓哉コーチがずっと付きっ切りになると思うから、おじいちゃんが気を使っちゃうかもだけどさ」
栞代の提案はもっともだった。でも、それでもおじいちゃんの健康が気になるわたしは口を開く。
「……でも、無理させたくない。」
すると栞代は、静かに目を細めて言った。
「杏子、無理させないために、みんながいるんだよ。」
わたしは、おじいちゃんの意見も聞くことにした。わたしが説明すると「ぱみゅ子がみんなと練習することは大事だからな。わしは別に家で雅子ちゃんといつも通りしてていいんだけど。杏子だけで練習に行っても」と柔らかく笑った。
「そのあたりは、無理して決めなくてもいいんじゃないか。それこそ、おばあちゃんも一緒に来てもいいし、家で留守番することになってもいいし、臨機応変な感じでさ」
栞代が付け加える。
おじいちゃんも、
「そうじゃな。その時その時でゆっくり考えていけばいいじゃろう。幸い、経過も順調じゃしな」と言った。
その話をしたら、用事は終わったとばかり、栞代は帰ろうとしたけど、せめて、お昼を勧めたら、おじいちゃんも、「栞代、食後のわしの紅茶が飲めんのか」というわしの酒ならぬ、わしの紅茶攻撃をして、栞代を引き止めた。
栞代は、明日父母がまた仕事場所に帰ることを知っていたから、遠慮しつつも、父母も、栞代と話したかったみたいで、お昼を一緒にとってから、帰った。
その後は、家族での正月モードに戻ったけど、連絡をよりいっそう密にするようにお互いに話し合った。
翌日、父母が帰る時はやっぱり寂しかったけど、まあ、お仕事だから仕方ない。
新学期が始まり、わたしたちの新しい生活リズムが形になり始めた。
朝は、おじいちゃんと二人で散歩をするところから一日が始まる。冬の冷たい空気が頬を刺すけれど、おじいちゃんと並んで歩く時間は、なんだか特別だった。
寒いから、なんやかんや言いながらさぼろうとするおじいちゃんを、おばあちゃんと二人で引きずりだす。おじいちゃんは口が上手いから、大変だ。
外に出たら覚悟が決まるのか、ぐずったりせず話ながら、楽しい散歩時間になるんだけどね。
学校が終わって家に帰ると、またおじいちゃんと散歩。今度は中田先生の道場に向かう。わたしが最初に弓道を教えてもらった場所。懐かしい空気の中で、わたしはもう一度、基礎からやり直すことになった。
「杏子ちゃん、基礎をしっかりやるのは大事だよ。土台がないと、どんな立派な建物だって崩れるからね。」
中田先生のその言葉が胸に染みる。おじいちゃんはその様子を隣で静かに見守っている。練習時短は短いけれど、一人で集中して取り組めるこの時間は、わたしにとって本当に大切なものになった。おばあちゃんがやってた、1日百本には及ばないけど、それはまあ、仕方ないから、その分集中して取り組むようにした。
道場から帰る頃には、ちょうど栞代が家に来ている。栞代は夕食の準備や買い物を手伝ってくれて、おばあちゃんとも楽しそうに話している。
「栞代、いつもありがとう。」
「いやいや、全然。これくらい楽勝だって。」
夕食を一緒に食べてから、少しだけ勉強したり雑談をしたり。栞代といる時間は、練習の疲れを忘れさせてくれる。そして夜が深くなる前に、彼女は帰っていく。
栞代が来られない時は、無理しなくてもいいのに、紬が来てくれたり、あかねとまゆが来てくれたりする。申し訳ないけど、時々来てくれると、なによりおじいちゃんが喜んでる。
週末には学校の弓道場で練習に参加する。団体練習は久しぶりだけれど、みんなと一緒に弓を引くのはやっぱり気持ちがいい。そして、随分待たせちゃったけど、まゆの練習を見るのもわたしの役割だ。
まゆはそれでも、随分トレーニングをしてるみたいで、左手の力が強くなってる。この調子じゃ、近いうちに的中を出しそう。
平日のわたしが居ない時は、花音先輩と、瑠月さんが練習につきあってくれてるみたい。瑠月さんのことは気になってたけど、出られる公式戦はまだあるから、それを目標に続けると聞いて、わたしも安心したな。
こうして新しい日常が始まった。忙しいけれど、心はとても穏やかだった。
一人じゃないんだって、強く思える毎日だった。




