第76話 選抜大会その1 個人戦~団体戦
個人戦が終わり、瑠月は深く息を吐いた。高校生活最後の大会で3位という成績は、間違いなく立派な結果だった。
瑠月は、年齢制限のため、今大会が高校生活最後の大会になるのだ。
「瑠月さん。」
冴子が優しく声をかけた。控え室の隅で矢筒を片付けながら、瑠月は小さく微笑む。
「ありがとう。できることは全てやってきたから、悔いはないわ。」
その言葉には未練よりも、挑み続けた気概が宿っていた。
「全国で3位ですもんね」
栞代が声をかける。
「本当、すごいですって。」
沙月も加わり、控え室は少しだけ明るい雰囲気になった。
「……ありがとう。」
瑠月は再び微笑むと、そっと矢筒を閉じた。「でも、私にとって本番はこれからよ。団体戦で金メダルを獲る。それが私の最後の目標だから。」
栞代は、瑠月の精神力、メンタルの強さに感嘆していた。杏子のおじいちゃんはとりあえず無事だとは聞いたが、みんなと仲良く顔見知りのため、やはり動揺はあったと思う。
しかも、つぐみが出場しないための代替出場、さらには杏子も出場ができなくなり、ただでさえプレッシャーがかかるのに、何重にもそのプレッシャーは襲っていたはず。
瑠月のその言葉に、冴子と栞代、沙月の3人は引き締まった表情で頷いた。
杏子のために。
全員の声が揃った。
そして、みんな自分自身のためにもね。瑠月さんが付け加える。
翌日、団体戦の予選が始まった。光田高校の立ち順は、大前に瑠月、中に沙月、そして落ちに栞代。拓哉コーチが練りに練って決めた布陣だった。
試合前、栞代は深呼吸を繰り返していた。
公式戦の試合の経験はあったものの、落ちで迎える始めての公式戦。瑠月さんの方が、圧倒的に相応しいのに。
「大丈夫だよ。」
瑠月が背中を軽く叩く。「自分の射を信じればいいのよ。結果は後からついてくるから。」
その言葉に、栞代は少しだけ肩の力を抜いた。「ありがとうございます、瑠月さん。……頑張ります!」
「杏子ちゃんが責任を感じないように、結果が必要だって言ったのは栞代ちゃんだから、その気持ちをコーチが採用したんだと思う」
「でも、杏子ちゃんの言葉を思い出して。結果はたまたま、よ。どんな結果でも、姿勢を正しく、それさえ考えてたら、きっと杏子ちゃんも喜んでくれるわ」
とはいえ、瑠月は瑠月で、個人戦で一定の結果を残したことで、逆に力が入っていたし、冴子は冴子で、部長としての責任から緊張から逃れられなかった。
三人とも、杏子の気持ちを思い、そして杏子の言葉を思い出し、試合に挑んだ。
光田高校は、全体で12位という成績で予選を通過した。一人4射で計12射の中、7本を的中させた。瑠月が3本、冴子が2本、栞代が2本。決して余裕のある結果ではなかったし、実力を全て発揮したとは言えないが、厳しい戦いを乗り越えた3人は、次への手応えを感じていた。
トーナメント戦が始まると、光田高校は次第に勢いを増していった。
1回戦では、瑠月の安定感が際立った。全4射を的中させる完璧な射で、初戦突破に大きく貢献した。
「瑠月さん、すごい!」試合後、栞代は歓喜の声を上げた。彼女自身も見事な射を披露し、少しずつ自信をつけていた。
「杏子ちゃんのことを思ってたら、杏子ちゃんが乗り移ったみたい」
2回戦では、冴子の射が冴え渡った。精神的な安定感でチームを引っ張る彼女が中堅としての役割を果たし、敵チームを圧倒する4射皆中を達成した。
「ちょっとはいいところも見せないとな。部長なんだし。杏子のことを考えて、絶妙に力が抜けたのが良かったな」
栞代もプレッシャーの中で全力を発揮した。「これが私の矢!」と気合を込めて放った矢が次々と的を射抜き、3本を的中させた。拓哉コーチも試合後、彼女の肩を叩き、「よくやった」と笑顔を見せた。
「しっかし、つぐみの言う通り、実際に自分でこの場に立ってみると、杏子の凄さが分かるな」
だれもが、今ここには居ない杏子と共に戦っていた。
2回戦を突破した光田高校は、準々決勝、ベスト8に駒を進めた。対戦相手は、強豪、鷹峰学園だった。
「これを越えれば、次は多分鳳城。そしてそれを越えれば全国制覇が見えてくる」
栞代が深呼吸をしながら言う。
「鳳城高校に練習試合では勝った。だからこそ、ここで負ける訳にはいかない」
瑠月が静かに答えた。いつも穏やかな瑠月にしては珍しく語気を強めた。
「だから、いつもの通りにやりましょう。たしかに、その時のメンバーとは違う。つぐみも杏子も居ない。でも、同じ光田高校弓道部で、同じ練習をしてきた。何も変わらない。私たちが今までやってきたことを信じて戦えば、きっと結果はついてくる。自信を持って行きましょう。姿勢だけ考えて」
その言葉に、栞代も冴子も強く頷いた。
「拓哉コーチの指導の成果を見せつけてやる!杏子、行くぜ」
栞代の声にはすでに気負いがなかった。それを聞いて、冴子も笑みを浮かべる。「その意気だね。」
試合前、拓哉コーチが3人に向けて言葉をかける。「一つ一つだ。先を見るな。目の前の戦いをな。大事なのは、どんな相手でも自分の射をすることだ。いいな?」
「はい!」3人の声が揃った。
会場の空気が張り詰める中、全員が静かに準備を整えた。彼女たちの思いはただまっすぐに的を捉えていた。
「行こう」
冴子が静かに言った。その声が、光田高校3人の決意をより一層強くする。
こうして、光田高校は鳳城高校が待つ準決勝へ必ず越えなければならないチャレンジに挑んだ。
会場の空気が張り詰めていた。選抜大会・準々決勝、光田高校の対戦相手は、名門・鷹峰学園。全国常連の強豪校である。
杏子、そしてつぐみの不在という不安要素を乗り越えて、光田高校はここまで勝ち上がってきた。ここを越えれば、準決勝、相手は鳳城高校。
「集中しよう。」
冴子が静かに言った。
立ち順は変わらず、大前・瑠月、中・冴子、落ち・栞代。
先鋒の瑠月が、柔らかな呼吸を整えながら、一射目を放つ。矢は迷いなく飛び、的の中心へ吸い込まれる。
「よし……」
杏子、つぐみと共に勝ち上がってきた瑠月。二人のためにもという気持ちは、もちろん強かった。
その思いと流れは、そのまま流れていく。
続く冴子。彼女の射は、どこまでも冷静だった。静けさの中に芯があり、すべての動きが洗練されていた。部長としての意地。
そして最後に、栞代。
彼女はゆっくり深く息を吸った。杏子のことを思い出す。あの時、背中を押してくれた言葉。「姿勢を大事に」——今、栞代が胸に刻んでいるのはそれだけだった。
見事に的を捉えた。
光田高校、合計11本。瑠月が一本外したが、沙月、栞代が皆中。今大会のベストゲームだった。
鷹峰学園も強かった。9本を的中させ、最後まで接戦だった。
三人の思いが、光田高校を準決勝へと導いた。
試合後、三人は目を合わせて微笑んだ。
「杏子、見てた?」
冴子の問いに視線を交わし、三人は黙って頷いた。
鳳城高校が待っている。
誰よりも鳳城高校に勝ちたかったつぐみ。
全国大会の金メダルを渇望している杏子。
二人の思いを叶えるために、開けなければならない扉だった。




