第71話 勝負の地へ
昨夜、栞代が泊まりにきていた。
つぐみのことは、おじいちゃんも本当に寂しそうだった。
それでも、いよいよ、杏子の夢が叶う時が来た、と、そのことについても期待いっぱいだった。
「ぱみゅ子~。一年生の時に、いきなり目標達成とはほんっとにすごいな~。」
「おじいちゃん。麗霞さんがやっぱりすごいんだよ」
「うむ。確かにあの美しさはただものじゃないわい」
「おじいちゃん、それって、射型のことじゃないだろ」
「うん? 射型のことはワカラン」
「だから、ほんとにすごいのはそこじゃないんだって。も~ほんとに」
呆れつつも、杏子の周りでは笑いに溢れていた。
「でも栞代、このメンバー表みたら、どこにもつぐみの名前がないよね」
「うん。そもそもまだつぐみがどこに引っ越したのかも分らないし。連絡してくれるって言ってたのにな。どこでなにしてんだ、全く」
「心配だよね。全国で会おうって言ったの、つぐみなのに」
「まあ、引っ越しして半年は全国大会には出られないってルールもあるらしいし、そもそも期間ギリギリで選手登録に間に合わなかったのかも。純粋な家族による引っ越しは例外措置もあるらしいし、バタバタしてるんじゃないかな。現地で、コーチに、大会本部に聞いて貰おうよ」
「うん、そうだね」
つぐみに会えるかも、という期待は、大会への緊張感を上回っていた。
翌朝、最初は、祖父の車で学校まで送る、という話だったのだが、祖父が、少し調子が悪い、ということで、急遽取りやめることになった。
「おじいちゃん、大丈夫なの?」
「ああ、全然問題ないんじゃが、右手は、もう随分前にヘルニアをやってから、微妙にはずっと痺れてはいるんじゃが、ちょっと悪くなってきたのかもな。一番酷い時は、右手に全く力が入らなかったから、万が一にも、試合前のぱみゅ子と栞代に何かあってはまずいじゃろ。
だから、慎重になってるんじゃ。ちゃ~んと、冷静な判断もできる。さすがにわしじゃな~。」
「ま、試合は無理して見に来なくてもいいからな。ネット中継もあるんだから」
「栞代、何言うちょる。試合はなんとしても見に行くわい。ぱみゅ子の晴れ姿なんじこからな」
「おじいちゃん、絶対に無理しちゃだめだよ」
「大丈夫よ、杏子ちゃん。ちゃ~んと監視しておくし、おじいちゃん、痛みには弱いから、すぐに大騒ぎするから」
「おばあちゃんも、気をつけてね」
「杏子、おばあちゃんも付いてるし、心配しすぎることもないんじゃないか」
「うん、そうね。ただ、おじいちゃん、ヘルニアの時、すごく痛かったみたいで、その時にきゃりーぱみゅぱみゅ様の音楽と巡り合って、ファンになったって話、何度も聞かされてたのを思い出したわ」
「へ~。そんなきっかけだっだきか」
「そのあとも、目を悪くした時なんかも、聞いて治したって。わたしも小さい時、それを見てて、きゃりーぱみゅぱみゅ様に感謝してたな~」
「ほ~」
そんなやりとりをしながら、学校に向かった。
冬の朝の冷たい空気が学校の校門を包んでいる。光田高校弓道部の部員たちは、それぞれ大きなバッグを肩に掛けながら、早朝の校庭に集まっていた。
「みんな揃ったな。荷物を車に積んだら、さっそく駅に向かうぞ!」
拓哉コーチの声に部員たちは頷き合い、荷物を手際よく運び込む。
杏子は道具の確認を終えたばかりの栞代に声をかけた。
「栞代、準備は大丈夫?」
「ああ、完璧!杏子こそ、忘れ物とかしてないよな?」
栞代が少し笑いながら言うと、杏子は慌ててバッグを振り返り、「たぶん……弽と胸当てがあれば、なんとかなると思うし」と返す。
その様子を見て、栞代は
「杏子、一番肝心なのは、弓だろ。まあ、弓を忘れるのはかなりのテクニックが居るから、忘れ物の達人でないと難しいけどな」
「一目でわかるもんね」
隣では、瑠月が黙々とノートを開いている。
「メンタルノート?」
冴子が肩越しに覗き込みながら尋ねると、瑠月は軽く頷いた。
「頭に入れ直しておこうと思って」
その真面目さに、冴子は「さすが」と頷きながら感心していた。
一行は車で駅に向かい、新幹線に乗り込んだ。座席は全員が近くになるように手配されており、行きの道中はどこか楽しげな雰囲気が漂っている。
「富士山だ!」
窓際の席に座っていたあかねが声を上げると、まゆもその方向を見て「綺麗……」と小さく呟いた。
「この雰囲気、なんか夏のインターハイの時を思い出すね」
瑠月が少し感慨深そうに言うと、栞代が軽く頷いた。
「でも、今回は堂々の優勝候補だから。瑠月さん、緊張してない?」
「今ので、緊張してきた~」
杏子はその話を聞きながら、隣の席に座る冴子に静かに言った。
「きっと大丈夫。おじいちゃんが言ってた。期待は最大にしておけって」
「おおおお。おばあちゃんっ子の杏子がおじいちゃんの言葉を言うなんてっっ」
冴子が少し肩の力を抜いたように微笑んだ。
昼前、新幹線を降りた一行は、そこからバスで宿泊地へ向かった。冬の澄み切った空気が心地よい。宿に到着し、受付で部屋割りを確認していると、杏子がふと案内板に目を留めた。
「これ……鳳城高校も泊まってる。」
彼女が指差した案内板には「鳳城高校弓道部」と書かれた札が掲げられていた。
「また夏と同じか」
瑠月が苦笑しながら言うと、栞代が「コーチの仕業だね」と軽く返した。
「これでまた、あのすごい人たちとご一緒か。」
あかねが肩をすくめると、冴子がすかさず返した。
「大丈夫、うちも負けてないって!」
そのまま部屋に荷物を運び込み、短い休憩の後、一行は前日練習場に向かう準備を始めた。
バスで前日練習場に到着すると、見慣れた鳳城高校の選手たちがすでに練習を始めていた。雲類鷲麗霞が静かに弓を構え、的場・アナスタシアが冷静に矢をつがえる姿が目に入る。
「さすが、雰囲気からしてすごいな。」
栞代が思わず呟く。杏子はその様子をじっと見つめながら、静かに呼吸を整えた。




