第60話 新人戦選考の部内試合
光田高校弓道部の道場は、緊張感に包まれていた。朝から男子の部内選考試合が行われ、熾烈な戦いの末、団体戦のメンバーが決まった。
昼からは、いよいよ次は女子部員たちの試合だ。
道場には、これから始まる試合への決意を胸に、女子部員9人が揃っていた。拓哉コーチが静かに立ち上がり、全員を見回した。
「皆、これまでの練習の成果を見せる時が来た。試合はまず4本射ちだ。的中数で順位を決める。もし同数で決まらない場合は競射を行い、1本ずつ矢を放ち、その結果で順位を決める。同時に的に当たったり外れたりした場合も、順位が決まるまで競射を続けるぞ。遠近競射はしない。」
冴子が真剣な表情で頷き、沙月も少し緊張した顔でそれを聞いていた。
「1位から3位までが団体戦トップチームとして選出される。だから、同数でも1位から3位が決まるような場合は、ここでの順位付けはしない。必要ないからな。
どうしても光田高校ナンバー1になりたい、という人は、県大会で直接対決をしてくれ。そして4位以降の者は、これは、特に4位の者には考えるところだが、トップチームの予備メンバーに入るか、Bチームとして団体戦に出場するか、その場で判断してもらう。ただし、本人の意思で決まらない場合は、滝本先生と私で事前に決めたパターンに従う。それでは、自分の意思をしっかり確認しておいてくれ。
さきほどの1位から3位と同様、Bチームの3人も、特に必要がない場合は、順位付けはしない。」
コーチの説明に、栞代がぽつりと呟いた。「なんかややこしいけど、とにかくベストを尽くすだけだな。」
その言葉に、あかねが苦笑いしながら大げさな口調で「わかんな~い、もう任せる~」と声を上げた。そのやり取りに場が少し和んだかと思ったその時、まゆが一歩前に出て囁くような声で言った。
「わたしも参加したいです。」
その言葉に、あかねが驚いたように振り返る。「まゆ、まだ無理しなくていいんじゃない?」
まゆは杖を握りしめながら、小さな声で続けた。「私も部員だから、参加する権利あるでしょ?」
その強い意志に、場が静まり返る。その沈黙を破ったのは拓哉コーチだった。
「もちろんだ。部員である以上、試合に出る権利は全員にある。それは最初から決まっている。」
コーチの平然とした口調に、まゆは少しだけほっとしたように笑みを浮かべた。あかねは心配そうに眉を寄せながらも、親友の決意を尊重するように黙って頷いた。
杏子が、「コーチ、まゆは、椅子に座って弓を引くため、椅子の準備などが必要になります。お手伝いしてもいいですか?」
「いや、それは男子部員にやってもらう。女子部員のみんなは、とにかく試合に集中してくれ。」
男子部員は、まゆの世話が出来るということで、少し歓声があがったが、あかねが睨み付けたので、すぐに収まった。
「さて、試合の立ち順だが、9人ということもあるので、3人ずつ引いてもらうことになる。籤引で決めるが、その籤引の順番は、ジャンケンで決める。そして籤引きの希望順を1位から9位まで決めて、その順に籤を引く。できるだけ公平にするため、昨日滝本先生と寢ずに考えた」
拓哉コーチは、時々こうして冗談なのか本気なのか分らないことを言ってはケムにまく。部員の間から、軽く笑みが零れたから、効果はあったのだろう。
そして、ジャンケンが始まった。緊張の中でも一瞬だけ場が和み、笑顔がこぼれる場面もあった。そして籤引へ。結果、立ち順は次の通りになった。
杏子、冴子、沙月。
つぐみ、栞代、まゆ。
瑠月、あかね、紬
順番が発表されると、つぐみと栞代が顔を見合わせて頷いた。つぐみが小声で「これ、いい順番だよね」と言い、栞代も「うん。杏子が一番になったのはすごくいいことだと思う」と答えた。
「これで、杏子も人の結果を気にせずに弓を引けるよ。杏子、すぐに他人のことばっかり考えるから。」
「その点、わたしたちはガチで対決できるな」
「望むところだ」
試合開始の直前、つぐみが少し不穏な質問を口にした。「コーチ、もしメンバーが決まった後に不測の事態が起こったら、どうするんですか?」
その場が少しざわついたが、コーチは冷静に答えた。「そのための予備メンバーだ。それでも問題が解決しない場合は、その時点で適切に判断する。その場合も部内試合の結果を最大限尊重する。そのために、無理に3チームにせず、2チームにしたということもある」
つぐみはそれを聞いて納得したように頷いた。
拓哉コーチは全員を見渡し、静かに言った。「最後に一つ言う。これまで積み重ねてきた練習の成果を示してくれ。それが結果として残るかどうかは問題じゃない。全力を尽くして弓を引くこと、それだけが大切だ。」
その言葉に、全員が深く頷いた。杏子は静かに目を閉じて深呼吸をし、まゆは杖を軽く握り直した。つぐみや栞代の中にも、確かな闘志が灯っていた。
道場の空気が静まり返る中、試合が始まる準備が整っていった。
杏子、冴子、沙月。
最初の三人の準備が整った。
杏子は、いつものように、ただただ集中しているようだ。
冴子も、沙月も、練習の成果を出し続けた。
すべて的中で迎えた4射目。
杏子は、それまでと寸分変わらぬ矢を見せるが、冴子と沙月は、それぞれ4本目を外した。
冴子も沙月も悔しさを押し隠すように俯いた。
杏子 4本
冴子 3本
沙月 3本
そして、次の三人は、
つぐみ、栞代、まゆ。
つぐみと栞代は、それぞれ自分が培ってきたものを出す。もちろん、まゆもそうだが、弓を始めてから時間も浅いし、なにより筋力もまだ整って居なかった。
的の周辺にはなんとか届くようになってはいたが、残念ながら的中は無かった。
つぐみは4本で皆中。
栞代も、実に美しく均整のとれた射型を見せていたが、最後の1本、おしくもかすりそうなところで外してしまう。
つぐみ 4本
栞代 3本
まゆ 0本
そして最後の三人。
瑠月、あかね、紬。
瑠月は相変わらず安定し、落ち着いて次々と的にあてていく。
あかねは、緊張のあまり、最初の一矢を外したが、その後は、交互にあてて、2本。
紬は、これも緊張のためか、最初の一本を外したが、残り3本を見事に決めた。
瑠月 4本
あかね 2本
紬 3本
この結果、トップチームは、杏子、つむぎ、瑠月の、実績がある3人が順当に決まった。
問題はその次だった。
3本で、冴子、沙月、栞代、紬、の4人が並んだ。
拓哉コーチが声をかける。
「トップチームのメンバーは決まった。それでは、これから、セカンドチームの選考に移る。一射ずつ決定していく。それから、あかねさんは、セカンドチームの予備メンバーに決定だ。予備メンバーと言っても、三人制の団体戦は、特に予備メンバーの力も重要になる。これからも、気を抜かず、練習に対応してくれ。まゆさんは、短い練習時間で一定の結果を出したと思う。まゆさんも、続けて練習をがんばろう」
まゆの目にはうっすら涙が浮かんでいたが、それはここまで頑張った、そして頑張っている、頑張るんだ、という自分への感謝の思いでもあった。あかねがそっとあゆに寄り添っていた。
4人の立ち陣は、さきほどと同じ課程で決まった。
冴子、沙月、紬、栞代、の順番になり、今度は4人立ちで行う。
緊張の中、冴子が決め、沙月が外し、紬が外し、栞代が決めた。
冴子と栞代の一騎討ちになり、次の矢を、冴子が外して、栞代は決めた。
ここで、拓哉コーチが栞代に尋ねる。
「栞代さん、トップチームの予備メンバーになるか、セカンドチームのレギュラーになるか、どちらを選びますか?」
「はい、トップチームの予備メンバーでお願いします。」
部員の間からざわめきが起こった。
特に3人制の場合は、3人のレギュラーに事故が起こる場合だけではなく、戦略的に交代することも十分考えられるが、今の光田高校のトップチームは、間違いなく全国でもトップを狙える陣営だ。そこに予備メンバーで加わると、試合に出られない可能性が高い。それなら、セカンドチームで試合に出た方が良いと思いそうなところだった。」
コーチも少し驚いたが、
「分かった。それなら、セカンドチームは、冴子さん、沙月さん、紬さんの3人と、予備メンバーにあかねさん。この陣営で行くとする。
これからは、このメンハーで集まって練習するように。よくコミュニケーションを取るようにな。
それでは、しばらく1時間休憩して、練習を再開する。
その時に立ち順を発表することにする」
そうして、コーチが姿を消したとたん、あちこちで歓声があがった。
つぐみが、栞代のところに来た。
「栞代、いいのか?」
「ああ、いいんだ。杏子と同じところに居たいんだ。何かあったら、すぐにフォローできるだろ。それにつぐみ、調子が悪い時にはすぐにオレがでるから。」
「ああ、その時は頼んだよ」
少しつぐみらしくない返答だな、と栞代は思ったが、あまり気にはしなかった。
杏子は、すぐにまゆのところに行って、身体の調子を気遣い、健闘をたたえた。
「今までの練習の中でも、今日が一番良かったわ。」
「ありがとう、杏子さ・・・じゃない、杏子。でも、まだまだ、だよね。見捨てないでね」
「まゆ、大丈夫だよ。必ず側に居るから。あと、さ、その」
「どうしたの?」
「勉強教えてね」
「わたしも~~」
あかねが話に加わってきた。
地区予選の前には、中間テストがある。
文武両道は、弓道部員である以上、誰もが目指すところだ。




