第6話 つぐみ登場の巻
新入部員が入ってから三日が経ち、ようやく練習が落ち着きを取り戻していた。杏子にちょっかいをかける者もおらず、三年生たちは部室でスマホをいじるだけで、特に邪魔をする気配もない。杏子の近くには、栞代がずっと張りついたように寄り添い、冴子も気を配っているようだった。
礼拝が終わると、全員で準備体操、ストレッチ、ランニング、筋トレと進んでいく。その後、上級生と新入部員に分かれ、新入部員は筋トレを続け、休憩の際には的前で射る先輩たちの姿を見学する。弓に触れることはおろか、その準備すらない、地味な基礎練習が続く。弓道部らしい練習はまだまだ先だ。
昨年、新任の拓哉コーチが導入したこの基礎的なプログラムは、かなり厳しい、そして地味な内容で、弓に触れられるのは夏休みの合宿からであった。
弓道の性格を考えたとき、それは特段厳しい内容でも長い準備期間でもなかったのだが、目の前で上級生が弓を引いている姿を見て、その過酷さというよりも、退屈さに耐えられず、辞める新入部員も少なくなかった。
それでも残った者たちは実力を大きく伸ばしていった。今年も同じ方針を貫いているが、新入生の中には経験者もいる。その中でも、小鳥遊つぐみと杏子はすでに別格で実戦でも十分に通用する実力者だ。
厳格な一方で柔軟性もあり、個々人に最適な指導方法をコーチは考えていた。特別扱いにはなるが、二人の実力を知れば、新入生も納得するだろう。
その日の練習中、コーチは二人に声をかけた。「小鳥遊さんと杏子さんは経験者だから、的前に入って。」
5月末から始まる高校総体の予選に向け、経験者のつぐみと杏子はチームの即戦力となり得る存在だ。拓哉コーチは、二人に試合への準備を進めるよう促したが、杏子は一歩下がり、静かに言った。
「あの、コーチ、わたし、みんなと一緒に基礎練習の続きをやります。」
コーチは驚きながらも、彼女の決意に気づき、深くうなずく。突然伝えた方がいいかと思ったが。そう慌てることもないか。コーチは納得したようだったが、そのやりとりを見ていたつぐみが不思議そうに杏子を見て、目を丸くした。
「え~、あれだけ射てるんだから、的前行った方がいいんじゃない?」と首を傾げた。
栞代も杏子の決意に戸惑いながら、「杏子、いいのか?オレに気を使わなくていいんだぞ」と尋ねた。しかし杏子は、優しく笑って答えた。
「違うの。基礎はいくらやっても足りないって」
杏子がそう言うと、栞代は思わず笑みを浮かべて「おばあちゃんが?」と冗談まじりに尋ねると、杏子はその言葉に素直にうなずき、明るく「うん」と返した。彼女のおばあちゃんへの想いを知っている栞代は、微笑ましく感じた。
栞代はふと、つぐみの方に視線を向け、「ところで、つぐみも経験者だったんだな」と訊ねた。
待ってましたと言わんばかりに、つぐみは得意げに微笑んで答えた。「栞代はバスケやってたから知らないだろうけど、杏子はわたしのこと知らないの?」
杏子は少し申し訳なさそうに、「あっ、ごめんなさい。わたし、中学の時、弓道部がなくて、道場に籠もってて…試合にも出なかったから」と答えた。
それを聞いたつぐみは胸を張り、自信満々に言った。「わたし、中学の時、個人で全国準優勝してんだよ。」
その言葉に、栞代は目を見開き、「ええええ~~~~!」と驚きの声をあげる。杏子も、「すご~~~い!」と感嘆の声を漏らし、つぐみの実績に改めて敬意を抱いた。
つぐみは少し照れつつも、挑発的な笑みを浮かべた。「なんか、自己紹介の時から、杏子に話題さらわれっぱなしだったけど、わたしもトップ目指してるんだ。杏子と違って、わたしの目標は個人だけど、別に団体戦を拒否してるわけじゃない。」
そして栞代に向き直り、真剣な目で言った。「だから、あとは栞代、あんた次第だからな。頼むぞ。」
その言葉に、栞代は一瞬気圧されたように口をつぐむが、すぐに拳を握りしめ、気持ちが高ぶってきた。「ぬぐぐ…でもさ、杏子、めっちゃ強力な味方できたな。なんか燃えてきたわ~~~~っっ!」
栞代の心には、全国優勝という夢が現実味を帯びて迫ってきていた。まだ遠いと思っていたその目標が、自分の力と仲間たちの絆次第で掴めるかもしれない。彼女の胸には、燃え上がる闘志とともに、自分が成し遂げるべき新たな覚悟が芽生えていた。