第580話 『フルーツトリオの的前デビュー』
徒手練習、ゴム弓、そして巻藁。
「基礎」という名の地道で長い準備期間を、三ヶ月間文句も言わずに走り続けてきた一年生「フルーツトリオ」の前に、ついに「その時」がやってきた。
上級生たちが一通り引き終え、道場の空気が心地よく引き締まる。
「……よし。三人、前へ」
拓哉コーチが静かに声をかける。
「じゃあ、お手本として、まずは部長、一本引いてみせてやってくれ」
「はい」
杏子が静かに立ち上がった。
スッ……と無駄のない美しい動作で弓を構え、弦を引き絞る。道場内のセミの声や風の音などの雑音がスッと消え、ただ杏子の静かな呼吸だけが聞こえる。
「パァンッ!」
高く澄んだ、乾いた弦音と共に、放たれた矢は吸い込まれるように、二十八メートル先の的の真ん中を寸分違わず射抜いた。
「……よし。葡萄さんからいきましょう」
「……しゃあっ!」
葡萄が大きく息を吐き、弓を持って前に出る。その手足の長さを活かした堂々たる姿勢は、初心者とは思えないほどの威圧感があった。
しかし、いざ的の前に立つと、足の震えが止まらない。ガチガチに固まりながらも、葡萄はなんとか力を弦を放した。
「シュッ!」「カンッ!」
矢は二本とも、的を大きく越えて安土の上の木枠を叩いた。
「あーっ! 上かよ! マジかー!」
頭を抱えて悔しがる葡萄。
続いて苺。彼女は極度のプレッシャーから、今にも泣き出しそうなほど顔を強張らせていた。放たれた一本目は力が足りず的の手前に落ち、二本目は大きく右へ逸れていった。
滴もまた、苺と同じように的の周囲の土を彷徨う結果となった。
先輩たちから拍手が贈られる。栞代が「どうだった?」と感想を聞いた。
「……めちゃくちゃ気持ちいいっ。けど、的、マジで遠いっすね。今まで見てた距離と全然違う! これ、弓持って立ったら、二十八メートルから多分十メートルぐらい伸びてません? それとも、的が自動的に小さくなるシステムなのかな?」
葡萄が興奮冷めやらぬ様子で、荒い息を吐きながら感想を漏らす。
真映は「そんなシステムある訳ないやろっ」とツッコミを入れるも、いつもの迫力はない。「でも、その錯覚する気持ち、めっちゃ分かるわ。いや、多分、そのシステム、採用されてんな」と続けると、その場にいた経験者全員が「うんうん」と深く頷いた。
続けて苺は「緊張して足がガクガク震えました……」と肩を落とし、滴は「部長もみんなも、あんなに遠くて小さなところにあててるなんて。改めて先輩たちの凄さが分かりました」と、尊敬の眼差しで杏子を仰ぎ見た。
「ちなみに先輩たちの中で、これ、初めての時にいきなり中てた人とか居るんですか?」
葡萄の素朴な疑問に、あかねがニヤリと笑って答える。
「栞代がいきなりど真ん中に中てたんやで。あれはビビったわ」
「ええっっ! さ、さすが栞代さん……! パネェっす!」
フルーツトリオからキラキラとした憧れの眼差しを向けられ、栞代は「い、いや、あれは完全にまぐれやから!」と顔を赤くして必死に手を振った。
「みんなもすぐ当たるようになるって。でもな」
栞代は一呼吸置いて、真剣な目でフルーツトリオを見据えた。
「的に当てることは、今はそんなに重要じゃないんや。とにかく、自分の形を崩してまで『絶対当てよう』と思ったらあかんで。むしろ、正しい形で引いて、同じ場所にずっと外し続ける方がずっとええんや。焦るなよ」
三人は深く頷いた。
杏子は、一人ひとりの元へ歩み寄った。
「滴、形はとても綺麗だったよ。自信持って。苺も大丈夫、自分が今まで一生懸命してきたことを信じてあげてね」
「アンズ部長! わたしには!?」
「……アンズ?」栞代が片眉を上げる。
「いつの間に」あかねが呆れる。
杏子は少し笑い、葡萄の目を見つめた。
「葡萄はね、焦らないこと。力まないで、もっと丁寧にいこう。急いじゃダメだよ」
「うっす! 肝に銘じます!」
お昼休み。中田道場の縁側は、色とりどりの手作り弁当を広げる部員たちの笑い声で溢れていた。
杏子の祖父は、朝から元気なアンナに振り回されっぱなしで、縁側の隅でヘロヘロになって座り込んでいる。
「アンナちゃん、さっきのウチらの勇姿、ちゃんと見てた?」
葡萄がアンナに駆け寄り、金色の頭をくしゃくしゃにする。
ソフィアの通訳を介して、二人の会話が続く。
「うん! すっごくカッコよかったよ、Budou!」
アンナの無邪気な笑顔に、葡萄の鼻の下がデレデレに伸びる。
「Ichigo ja Shizuku olivat myös tosi siistejä. Kaikki, kaikki olivat upeita. Mutta kaikkein eniten…Kyoko!!」
アンナが目をキラキラさせて叫ぶ。
ソフィアがクスクスと笑いながら通訳した。「苺も滴もみんなかっこ良かったって。みんな素晴らしかったって」
葡萄がアンナを見ると、アンナは杏子に抱きつき、最高に楽しそうな笑顔を見せている。それを見た葡萄は少し悔しそうに
「でも、アンズ部長が一番って言ってるんですよね?」
少し不貞腐れたように言う葡萄に向かって、ソフィアが申し訳なさそうにクスクスと笑って頷く。
「な……なんで……!? なんでアンズ部長ばっかり、いつもアンナちゃんの愛を全部持っていくんですかっっっ!」




