第578話 『お泊まりの場外乱闘と、ディカプリオのいる家』
「ただいまー……って、もう全員揃ってるし! 」
玄関を開けて、所狭しと並べられた靴の多さに栞代が思わず呆れたような言葉を洩らした。
ファミレスでの「秘密のデビュー祝い」を終えて、杏子と栞代が自宅の玄関を開けると、そこはすでに賑やかな「お泊まり会場」と化していた。
「Kyōko、Okaeriーッ! Kayo、Okaeriーッ!」
真っ先に、アンナが弾丸のように飛びついてくる。杏子はアンナをしっかりと抱き止めながら、奥のリビングで食事を終えたばかりのメンバーに挨拶をした。
「親分、おかえりっす!」「おかえりなさいっ、部長!」
お泊まり組の真映、楓、滴、あまつの楽しそうな声が響く。
付き添いのソフィアも、リラックスした部屋着姿で微笑んでいる。
「さあ、二人とも早く着替えていらっしゃい」
祖母が優しく誘ってくれたので、杏子はアンナと手を繋いで、二階の自分の部屋へと向かう。
自分の部屋で部屋着に着替えながら、杏子とアンナは、カタコトのフィンランド語と英語、そして優しい日本語を織り交ぜた不思議な会話を楽しんだ。
祖母のご飯がいかに美味しかったか。祖父がどれだけ面白い(変な)遊びを一緒にしたか。アンナが身振り手振りも加えて一生懸命に伝えてくれる。
一方、階下のダイニングテーブルでは、真映と祖父の「場外乱闘」がすでにヒートアップしていた。
「いやあ、ご隠居! いよいよ最後のインターハイですな〜。あっしがレギュラーとしてずっと親分のお側に付いていれば、大船に乗った気持ちでいられたんですがね……力不足で申し訳ありませんっ!」
真映が芝居がかった口調で大げさに嘆くと、おじいちゃんが鼻で笑った。
「フン。大船は大船でも『タイタニック』なら氷山にぶつかってあっさり沈むからな。真映はんは、調子に乗ってまさにその氷山を自分から呼び寄せるタイプやからなあ」
「やだなぁ、ご隠居! わたしは沈みませんよ!『ローズ』の再来って言われてるんですよおっ! 船首で両手を広げて風を受けながら、後ろからずっと支えてくれる素敵な『ジャック』を待っているんですけどねえ。どこに居ることやら!」
真映が映画のワンシーンの真似をすると、祖父が腹を抱えて笑った。
「がははは! そりゃ奇遇じゃのう、真映はん。わしゃ、昔から世界中で『ディカプリオ(ジャック)』と間違われているんじゃよ、ローズはん!」
その瞬間、二階から降りてきた栞代の鋭いツッコミが飛んだ。
「……そんな腹の出たディカプリオがおるかいっ!」
「ここに居るわいっ!」
おじいちゃんの自信満々の即答に、楓、滴、あまつ、そしてソフィアまでもがたまらず爆笑する。
そこへ、着替えを終えた杏子とアンナが手を繋いで降りてきて、アンナが、リビングにいる全員の顔を見渡しながら、元気よく叫んだ。
「Minä menen kylpyyn Kyokon kanssa!」
ソフィアがすかさず「『杏子とお風呂に入りたい!』って言ってます」と訳してくれる。
「わたしも入ります!」
「わたしも入ります!」
楓と滴が食い気味に手を挙げると、どさくさに紛れておじいちゃんまでが「それなら、わしも……」と便乗しようとしたが、即座に栞代の無慈悲なチョップが脳天に落ちた。
「当たり前だけど、おじいちゃんは論外! ……さすがにこの人数で一度に入るのは無理だろ。よし、公平にジャンケンだ。杏子とアンナ、そして保護者のソフィアは固定。あと入れるのは二人だな」
立候補したのは、楓、滴、あまつ、そして真映。つまり、後輩全員だ。
「最初はグー!」から始まる、激しいジャンケン勝負の結果、見事勝利を掴んだのは、真映とあまつの二人だった。
「っしゃあああ! ローズ、一番風呂、入湯しますっ!」
「……よろしくお願いします。失礼します」
一方、敗北した楓と滴のガチ勢二人は、この世の終わりのように床に崩れ落ち、その場で大げさに泣き崩れた。
「しょーがねーな。アンナちゃんは多分、お風呂出たら疲れてすぐ寝るだろ」
栞代が、床で泣く二人に呆れ顔でフォローを入れる。
「杏子、アンナちゃんが寝たら、もう一回『敗者復活戦』で楓と滴と入ってやってくれ。あいつらを放っておいたら、オレ、一生恨まれそうだ」
「うん、いいよ。じゃ、一回目はアンナちゃんをゆっくり洗って、遊んであげられるね」
ソフィアからその通訳を聞いたアンナが「やったあ!」と飛び跳ねると、なぜか床で泣いていた楓と滴までが立ち上がり、アンナと手を取り合って「やったあ!」と喜び合うという、極めてカオスな光景が広がった。
一回目のお風呂場では、真映が杏子の子供時代の「お風呂おもちゃのアヒル」をどこからか引っ張り出してきて、アンナと一緒にお湯を掛け合って大はしゃぎしていた。
湯船に真映とあまつが浸かり、洗い場では、ソフィアと並び、杏子がアンナの身体を洗っている。落ち着かないアンナは、二人の間をアヒルの人形を連れて自由に行ったり来たりして遊んでいる。
杏子は決してアンナを留めて無理やり洗おうとはせず、少しずつ洗っては、アンナの思うままに付き合っていた。
「……あまつちゃん。これからも、いつでも遊びに来ていいんだよ。ちょっと、うちの家族はうるさいけど」
杏子は、真映のテンションに押されて少し遠慮がちに湯船の隅に座っているあまつに、優しく声をかけた。
「ありがとうございます、杏子先輩。……でも、私の下宿でも『らんちゃんさん』や『ヒノカンさん』コンビがいていつも賑やかなので、こういうの、慣れています。すごく楽しいです」
あまつが、湯気の中で穏やかに微笑む。
「明後日からのインターハイ、ご両親は見に来てくれるの?」
「はい。……しっかり中てないと、後で親に何を言われるか。頑張らないと」
あまつの言葉には、彼女らしい生真面目さと、レギュラーとしての緊張が入り混じっていた。杏子はそんな彼女の肩に、温かいお湯をすくいながら、そっと見守るように微笑みかけた。
風呂上がりの脱衣所でもアンナははしゃぎ回っていたが、ソフィアと杏子に連れられて寝室の布団へ向かうと、遊び疲れたのか、すぐにスヤスヤと可愛らしい寝息を立て始めた。
その頃、台所では、風呂上がりの真映、あまつ、そして順番待ちの栞代、楓、滴が、祖父母と冷たい麦茶を飲みながら談笑していた。
ふと、おじいちゃんがいつもと違う、少ししみじみとしたトーンで口を開いた。
「……真映さん、楓さん、滴さん。そしてあまつさん。ぱみゅ子と仲良くしてくれて、本当にありがとうな。最後まで、どうかよろしく頼むで」
四人は驚いて顔を見合わせた。
「やだなぁご隠居、何言ってんですか! お世話になってるのは、圧倒的にこっちっすよ! ……ところでご隠居。大奥様。親分が引退しても、うちら、ここに遊びに来ていいっすかね?」
真映の問いに、おじいちゃんはいつもの元気を取り戻してガハハと笑った。
「当たり前じゃ! 毎日来てもええぐらいじゃ。よし、十回来たら一回ぱみゅ子とデートできる『杏子スタンプ券』でも作るか! がははは!」
「「マジですか!? 絶対おねがいしますっ!!」」
楓と滴が、今日一番の真剣な顔で、テーブルに頭をこすりつけるように深く頭を下げた。
そこへ、アンナを寝かしつけた杏子が、再び顔を出した。
「じゃ、二回目のお風呂いこっか。汗かいちゃったし」
待ってましたとばかりに、栞代、楓、滴が立ち上がる。
二度目のお風呂場。そこは一度目のほのぼのとした空間とは違う、ガチ勢による別の意味での「戦場」だった。
「……そこどいてください、楓さん。部長の背中を流すのは、日頃から背中を追っている私の役目です!」
「何言ってるの、滴! 後輩は黙ってて。滴こそ、さっきアンナちゃんを優先して私が我慢した『譲歩』を無駄にする気!?」
「単にジャンケンで負けただけじゃないですかっ! 屁理屈です!」
杏子の背後にある背中流しポジションを巡って、楓と滴が裸のまま視線でバチバチと火花を散らす。
「お前ら……一歩間違えたらガチでヤバイからな、それ」
栞代が一人、湯船にゆったりと浸かりながら、心底呆れたように呟く。
当の杏子は、二人に背中をゴシゴシと洗われながら「ふふ、くすぐったいよ」と、相変わらずマイペースにふにゃりと笑っている。




