第576話 『お泊まりの選抜と、デビュー祝い』
自主練習は中田先生の言葉で珍しく早めに切り上げた。
片付けをしながら、遊びたがりの葡萄が元気な声を上げた。
「あー、明日からマジで地獄の合宿っしょ? 今日くらいパーッとみんなで夜ご飯行きません、部長?」
その魅力的な提案に、道場の縁側で遊んでいたアンナが真っ先に食いついた。
「Anna myös! Minäkin haluan tulla mukaan!
(アンナも! アンナも一緒に行きたい!)」
さらにアンナは、お片付けをしている杏子のジャージの袖をギュッと握って、必殺の上目遣いで尋ねる。
「……Kyōko、Saanko minä jäädä yöksi Kyokon luo tänään?
(今日、アンナ、Kyōkoのおうちに泊まってもいい?)」
ソフィアが少し困ったように
「杏子の家に泊まりたいって」
と通訳する。
「え、っと、それは……」
杏子が祖父を探そうとした時、背後から豪快な声が響いた。
「おお! もちろんじゃ! アンナちゃん、大・大・大歓迎じゃ! おじいちゃんと一緒に寝るかっ」
「……おじいちゃん、アンナちゃんのお着替えとかあるよ」
杏子がツッコミを入れると、ソフィアが優しくアンナを促した。
「アンナ、そしたら一度おうちに帰って、お泊まりの準備しないとね」
そのとき、ちょうど迎えに来たエリックの車がやってきた。
ソフィアが杏子に「ほんとにいいのかな?」と小声で確認すると、杏子は
「うちは全然問題ないよ。ソフィアのご家族さえよければ」
と応えた。
アンナは、我先にと乗り込み、ウキウキ全開で家へと戻っていった。
そのアンナの「特別待遇」の様子を指をくわえて見送っていた楓が、恨めしそうな声を出す。
「ぶちょ〜。いくらなんでもアンナちゃんにサービス良すぎじゃないでしょうか? こんなに毎日親分を慕っている可愛い後輩(私たち)を見捨てるんですかあああ?」
「そうだそうだぞぉ〜……」
滴も、楓の後ろから遠慮がちに、しかし片手を口元にあて、しっかりと杏子の耳に届く恨めしい囁き声を漏らす。
その一連の面倒くさい様子を見ていた祖父が、腕を組んで天を仰ぎ、大声で宣言した。
「ええい、お前らメンドクサイわ! 泊まりに来たいやつは、全員まとめて来んかいっ! 雑魚寝じゃ!」
その瞬間、真映が「じゃ、自分、行きますっ! さすがご隠居! 話が早いっ!」と食い気味に一番に手を挙げた。
その後も希望者がわらわらと手を挙げたが、さすがに大人数は無理だと栞代が冷静に交通整理をし、結局、真映、楓、滴、あまつの四人が、急遽杏子宅へのお泊まりが決まった。
お泊まり組の四人は、準備のために一足先に家に送り出し、残りのメンバーは、近くのファミレスへと向かった。
冷房の効いた店内で、ドリンクバーのメロンソーダやハンバーグ、ポテトが運ばれてくると、ようやく少し落ち着いた空気が流れる。
食事が一段落した頃、杏子が自分のカバンから、丁寧にラッピングされた二つの包みを取り出した。
「葡萄、苺。……明日から、いよいよ的前デビューだね」
「えっ、自分たちに……?」
突然のことに驚く二人に、杏子はふにゃりと穏やかに微笑んだ。
「四月からの三ヶ月間、厳しい基礎練習、本当によく頑張ったね。毎日コツコツやってるの、みんなちゃんと知ってるからね。……これは、上級生みんなからの記念のお祝い。使ってくれたら嬉しいな」
包みを開けると、そこには二人の名前がそれぞれ綺麗に刺繍された、手触りの良い今治産のスポーツタオルが入っていた。
「マジ……!? 超可愛いんだけど! 杏子先輩、マジ女神……っ!」
葡萄がタオルを自分の頬にすりすりして大喜びし、苺も「ありがとうございます……大切にしますっ」と、少し目を潤ませてタオルを抱きしめている。
「みんなからだよ。菓は経験者だから少し立場が違うけど、やっぱり一年生はみんなお揃いで」
と、杏子は微笑んで菓にも同じタオルを渡す。
「あ、滴とあまつの分もちゃんとあるんやけどな」
あかねが山盛りのポテトを頬張りながら付け加えた。
「あいつらは今日、杏子の家に泊まるっていう『スーパーご褒美』をゲットしたからな。タオルは明日までお預けの刑や。……お前ら、絶対黙っとけよ?」
「了解っす! 滴、明日タオル見たら嬉しすぎてひっくり返るんじゃないっすか?」
葡萄がニシシと悪戯っぽく笑う。
そして杏子が最後に、「はい、ちゃんと二乃ちゃんの分もあるよ」と言って、裏方として頑張るマネージャーの二乃にも、色違いのお揃いのスポーツタオルを渡した。
二乃は嬉しそうに目を細めて一華と顔を見合わせた。
「二乃は、来年はもっと頑張って貰わないとアカンからなあ」
あかねが飽きずにポテトを頬張りながら二乃に向き合った。
「なんせ、今までは一華語をまゆがやさしく通訳してくれたけど、来年はその役目を二乃が担う訳やからなあ」
菓たち一年生を見渡してあかねは続けた。
「一華語の直撃弾食らったら、一週間は寝込むからなあ。容赦ないぞぉ~。一華の指摘は」
まゆが慌てて
「いや、今はもうそんなことないよ。一華も随分と丸くなったんだから」
とフォローを入れるも、つばめが
「そうそう。今は、二、三日寝込むぐらいだよな、一華」
と受けた。
一華は全く気に留めた様子は無かったが、ふと思いついたように口にした。
「紬さん、わたしの気持ちを代弁してください」
「それは、わたしの、課題では、ありません」




