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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
高校3年生
575/581

第575話 『フルーツトリオの的デビュー前夜と、宇宙人の二年間』

「足踏み……胴造り……」

マネージャーの一華が、手元のタブレットで細かい動作をチェックしながら、無機質な声で一年生「フルーツトリオ」の練習を見守りながら、呟いていた。


明日は、いよいよインターハイに向けた夏合宿の初日。

そして、四月に光田弓道部の門を叩いた初心者である「フルーツトリオ(葡萄、苺、滴)」の三人にとっては、ついにゴム弓や巻藁(まきわら)練習を卒業し、二十八メートル先の的に向かって本物の矢を放つ「的前デビュー」の記念すべき日となる。


中田道場の板張りの床は、昼間の夏の熱を吸って、裸足の裏にわずかに熱を帯びている。

葡萄、苺、滴の三人は、ゴム弓を手に持ち、一動作ずつ噛み締めるように、弓道の基本動作である「射法八節」を真剣な顔で繰り返していた。


その傍らでは、道場主である中田先生が腕を組み、鋭く、そしてどこか孫を見るような慈愛に満ちた眼差しで彼女たちの動きをじっと見守っている。


「……ふむ。きっちりと基本をやってるな。拓哉は教え方は不器用やが、最初の基本の叩き込み方は丁寧や」

中田先生が独り言のように呟く。


「葡萄さん。あんたはええ体幹しとる。手足が長くて背が高いのを、射に無駄なく活かしとる。……そのまま、自分の中の真っ直ぐな『芯』を信じて引きなはれ」


中田先生の言葉に、葡萄は無言で深く頷いた。

午前中の中田先生への挨拶の時とは打って変わって、へそ出しファッションから動きやすい、ただしおしゃれなジャージに身を包み、デコった付け爪も綺麗に外した「弓道モード」の彼女は、普段のチャラさが嘘のように、まるで一本の真っ直ぐな竹のような凛とした強さを放っている。


「苺さんは、もう少し自分を信じてええ。足踏みからの形はすごく綺麗やで。……『これで合ってるかな?』っていう心の自信のなさは、そのまま矢のブレに伝わる。あんたの放つ射は、あんた自身の心そのものやで」

「は、はいっ! ありがとうございます……!」

苺は、頬を赤くしながらも、その瞳に小さな自信の火を灯した。


そして、先生の鋭い視線は、最後に滴に止まる。

「……滴さんは、本当によく杏子のことを見とるな。手の内の仕草から呼吸(息合い)の間まで、そっくりや。……ええ手本を選んだな。なんせ、あいつのあの綺麗な型は、わたしが昔、泣くまで徹底的に叩き込んだからな。がははは!」

「……わたし、杏子先輩みたいに、なりたいんです」

滴が小さく、しかし迷いのない声ではっきりと言い切る。そのひたむきで純粋な姿に、中田先生は満足げに目を細めた。


巻藁練習を終え、汗をタオルで拭う三人に、中田先生が「まあ、そこに座り」と縁側を指さして声をかけた。


「明日からはいよいよ、的前やな。……ええか。最初から的に(あた)るなんて、驕ったこと思ったらあかんで。まずは二十八メートルという『距離の感覚』を掴むだけで、明日は十分や」


三人は、初めての的に向けた緊張した面持ちでコクリと頷く。

そんな彼女たちのガチガチの心に、中田先生は笑いながら、とんでもない爆弾を放り込んだ。


「なんせ、今は夏のブロック大会で個人優勝三連覇するほどの杏子でも、最初に的に中るまで『二年』も掛かったからな。がはははは!」


「「「ええっっ!?」」」


静かな道場に、三人の信じられないという驚愕の叫びが響き渡った。

彼女たち後輩にとって、光田の親分・杏子は、文字通りの「宇宙人」だ。試合でも日々の練習でも、彼女が的を外すところなんて一度も見たことがない。常に圧倒的な静寂の中で、呼吸をするのと同じくらい当たり前のように、的の中心を射抜く――。

そんな「完成」された姿しか見せないあの親分が、的に中るまで二年もかかった!?


「……ほんと、ですか……? あの親分が?」

葡萄が、信じられないといった様子で呆然と呟く。

「嘘やない。あいつにはな、最初に美しい形ができるまで、わたしが納得がいくまで、絶対に的を狙わせんかったんや。弓を握るまで、ひたすらゴム弓と素引きで一年以上、ただ『正しい姿』だけを徹底的に叩き込んだ。……気がついたら、最初に弓を握ってから、的に中るまで二年経ってたんや」


三人は、ゆっくりと顔を向けた。

道場の奥で、自分の使った弓と矢を、愛おしそうに黙々と布で拭いている杏子の小さな背中を見つめた。

今、自分たち後輩に「優しく」「丁寧に」教えてくれるあの頼もしい背中は、そんな気の遠くなるような、暗闇の中の「届かない時間」を乗り越えてきた結果なのだ。


「……杏子先輩」

杏子ガチ勢である滴の大きな瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。

その二年間、杏子がどんな孤独な想いで、届かない二十八メートル先の安土あづちを見つめていたのか。

焦ることも絶対にあったはずなのに。それでも彼女は、自分自身の『正しい形』を信じて貫き通したのだ。

どんな葛藤があったのだろう。彼女の今のあの「やさしさ」や「ふにゃふにゃした笑顔」の根底にあるのは、強靭なまでの孤独と、弓に対する深い覚悟なのだ。

滴は、それを思うと、杏子への気持ちが一段と強くなっていくのを感じた。


「おいおい、滴。いくらなんでも、泣くことないだろ」

葡萄が、もらい泣きしそうになるのを誤魔化すように、滴の頭をくしゃくしゃと乱暴に掻き回す。苺も、杏子への底知れぬ尊敬と、なんだか沸いてきた親近感が、胸いっぱいに広がるのを感じていた。


「ほんなら、明日に備えて、今日はこれぐらいにしとこか。最後は試合して終わろ」


中田先生の提案に、杏子が、「えっ」と戸惑いの表情を見せた。

(もっと……もう少しだけ、感覚を確かめたいな――)

そんな杏子の、弓に対する純粋な「飢え」を、長年彼女を見続けてきた中田先生は見逃さなかった。


「杏子。明日からは嫌でも嫌というほどの追い込みや。今日は、あえて『もの足りん』ぐらいにしとき。その『もっと引きたい』という飢えの気持ちが、明日の爆発力と集中力に変わるんや」


「……はい。わかりました」

杏子は、コクリと頷いて静かに弓を置いた。


【A組:栞代、紬、つばめ、あまつ、杏子】

【B組:真映、楓、(くるみ)(くるみ)、ソフィア、あかね】


「Kyōkoー! Sofiaー! Tsemppiäー!(がんばれー!)」

縁側では、お昼寝からすっかり目覚めたアンナが身を乗り出して、ちぎれんばかりに大きく手を振っている。


的に矢が鋭く突き刺さる「パーン!」という乾いた心地よい音が、ヒグラシの鳴き始めた夏の夕暮れの空に、何度も何度も吸い込まれていった。

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