第571話 『中田道場特別合宿、そこはすべてが繋がる場所』
ブロック大会の凱旋、そして杏子宅でのピザとお寿司の和洋折衷パーティー。
賑やかだった時間が終わり、自室の布団に入ってようやく一息ついた夜更けのこと。
杏子の枕元に置かれたスマホが、静かに、でも何度も震え始めた。
画面に表示されたのは、【光田弓道部・秘密の作戦会議】という見慣れない新しいグループ名。メンバーは、栞代、一華、まゆ、ソフィア、そして杏子の五人だ。
発起人は、常に事務方として光田を冷静に支えるマネージャーの一華だった。
一華: 『夜分に失礼。全員、起きていますか?』
栞代: 『おう。おじいちゃんのせいでピザ食いすぎて腹苦しくて寝れねえ。一華、どうした?』
まゆ: 『私も起きてるよ。……今日は本当に、みんなありがとう』
ソフィア: 『私も起きています。……まだ、夢の中にいるみたいで、眠れません』
杏子: 『おきてるよー』
全員の既読がついたのを確認し、一華が切り出したのは、現実的、かつ非常に繊細な「引退」と「これから」の話だった。
一華: 『本題に入ります。明後日からの合宿練習について。まず、ソフィアさんとまゆさん。お二人は形式上、今日のブロック大会で公式戦は『引退』となります。特にわたしとしては、お二人には明日から弓道部を離れ、受験勉強に集中してもらっても構わないと考えています』
少しの間の後、追記が来る。
一華: 『……あ、くれぐれも、早く引退して部から引退してほしいという意味ではないことは強調させてください。純粋に、お二人の将来を考えた上での提案です』
まゆ: 『一華、気を遣ってくれてありがとう。……でも、私は夏のインターハイが終わるまで、三年生のみんなと一緒に居たいの。マネージャーとして、最後までみんなを支えさせてほしいな』
ソフィア: 『私もです。……このまま引退することは、まるで考えていません。私自身は練習の弓を引かなくても、まだお手伝いできることはたくさんあると思います。それこそ、まゆさんや、一華さん、二乃さんのお仕事をお手伝いしたいと思っています。今だけだから。……でも、一つ、みんなに相談したいことがあります。いいですか?』
ソフィアが恐る恐る打ち込んだのは、妹・アンナのことだった。
ソフィア: 『アンナが……どうしても明日からの練習を見学したいと言っています。Kyōkoが弓を引くところを、日本にいる間、一番近くで見たいって。それに今日仲良くなった、葡萄さんや苺さん、滴さんをはじめ、皆さんと遊びたくて仕方ないみたいで』
そして、ソフィアの真面目な葛藤が続く。
ソフィア: 『でも、これからインターハイ前の大事な合宿です。部外者で、しかも小さなアンナが道場にいたら、間違いなくみんなの集中を削ぎ、邪魔になってしまうので。なんとか少しでも、練習に影響が出ない範囲で、アンナと関わることはできないでしょうか?』
わざわざ遠い国から会いに来てくれた大切な妹の願いを、なんとか叶えてやりたい。けれど、仲間たちがこれまでのすべてを懸けて挑む聖地への道を、身内の勝手な事情で汚したくない。
その時、ずっと沈黙を守っていた栞代が動いた。
栞代: 『ちょっと待って。その件、拓哉コーチに直接聞いてみる。……杏子、お前はアンナちゃんに練習中、近くに居てほしいか?』
杏子: 『……うん。私は、アンナちゃんが居てくれた方がいいなあ』
栞代: 『了解。ちょっと待ってて。杏子、コーチから返信来るまで、今日のおじいちゃんの暴走の様子でも報告して時間潰してて』
一華: 『必要ありません』
まゆ: 『わたし、ちょっと聞きたいかも(笑)』
栞代は、並行して拓哉コーチ個人のLINEにメッセージを飛ばした。
遅い時間にも関わらず、コーチからの返信は数分後に届いた。
コーチ: 『学校の弓道場に毎日部外者の子どもを入れるのは難しいな。もし校長の耳に入ったら責任問題だし、それに万が一にでも、アンナちゃんが矢が原因でなくとも、怪我でもしたら、その瞬間にチームはインターハイを辞退せざるを得なくなる』
栞代: 『ですよね。……でも、アンナちゃん、杏子のこと『プリンセス』って呼んで、ずっと慕ってるんです。なんとかできませんか。杏子の性格から、アンナちゃんを放っておくことはできないと思います』
コーチ: 『……まあ、今の時期、集中力こそ磨き上げたいから、いつもはないイレギュラーな視線やノイズがあるのは、練習環境としてはむしろ大歓迎ではある。元々男女で学校の弓道場と交互に使う予定だったが、女子の練習拠点を、全面的に『中田先生の道場』に移そう』
コーチ: 『あそこなら私有地だし、単純にケガさえ気をつけていればいい。逆に、これはアンナちゃんを守るためにも、全員に安全の注意喚起を徹底しておかないとな。ソフィアさんは付き添ってくれるのかな?
ただし、だ。アンナちゃんの面倒を、部長一人に見させるなよ。そんなことをして部長の練習が疎かになれば、それはチームの自滅だ』
栞代: 『その辺りはフルーツトリオもいるし問題ないと思います。任せてください。……コーチ、夜分にありがとうございますっ。ほんとに』
コーチ: 『常にチームにとっての最善を考えているだけだ。全員にとってのな』
栞代は、コーチの意向を即座に秘密のグループLINEで報告した。
栞代: 『決定やな。明後日からの合宿は、女子全員、中田道場へ行く。あそこなら私有地だし、アンナちゃんも比較的自由に動ける。ソフィア、アンナちゃんのこと、頼んでいいか? もちろんソフィア一人だけに押しつけたりはしない。そこはちゃんと考える。
……明日、みんなにもちゃんと安全の注意喚起もしないとな』
ソフィア: 『はい! 私が、ずっとアンナを見ています! でも、本当に皆さんの練習の邪魔になりませんか?』
栞代: 『コーチがこう言ってたよ。「もし、アンナちゃんが横で遊んでいるくらいのノイズで気持ちが乱されるようなら、日本一なんて夢のまた夢だと。弓を引く危険エリアにさえ入らなければ、道場で何やっててもいい。むしろ騒ぎまくれ」……だってさ』
布団の中でスマホの画面を見つめながら、杏子は小さく笑った。
いかにも、拓哉コーチらしい理屈だ。
一華: 『ふふっ、らしいですね。……それでは、明後日から始まる『光田高校・中田道場特別合宿』。ソフィアさんとまゆさんには、引き続き全力でチームの裏方サポートをお願いすることにします。明日の中田道場での自主練は、その前哨戦ですね。まゆさん、ソフィアさん、よろしくお願いします』
まゆ: 『喜んで!』
ソフィア: 『ありがとうございます。……アンナに伝えたら、きっと飛び跳ねて喜びます』
グループLINEのやり取りが温かいスタンプと共に終わり、ようやく目を閉じたと思ったら。
東の空がわずかに白み始めたのに気がついて、杏子は自然と目が覚めた。
枕元にあるスマホを見て時間を確認すると、セットしていた目覚ましのアラームが鳴る寸前だった。
スマホの画面をタップしてアラームを切り、枕元に置いて、ベッドの上で「んーんっ!」と大きく背伸びをした。
「よしっ。……おじいちゃんと散歩だっ」
まゆの献身、ソフィアの思いやり、一華の冷静な配慮、そして栞代の実行力。
すべてが、今日からの「中田道場」という一箇所に集まる。
杏子は、ふと考える。
もしも、アンナちゃんが日本に来ていなければ、こうはならなかったかもしれないな。
杏子は、どこかで、運命のようなものを感じながら、朝の冷たい空気の中へ飛び出すために着替えはじめた。




