第568話 『親分と若頭の帰路』
「そ、それじゃ……」
杏子が震える手で箱から金メダルを取り出し、共に戦った仲間の名前を一人ずつ呼ぶ。
「か、栞代。いつも、私を助けてくれて、ありがとう」
「なんかセリフがおかしいけど、ま、いっか。ありがとな」
栞代が照れくさそうに頭を下げ、首を差し出す。
「ソフィア。……遠い日本に来てくれて、本当にありがとう」
「キョウコ……。Kiitos」
ソフィアが涙ぐみながら身を屈めると、横から真映が「世界一の親分フリークは世界一美しいっ!」とはやし立て、全員が大笑いした。
「あかね。……今日、すごく強かったよ。本当にかっこよかった」
「……うん。ありがと」
あかねは首にかけられたメダルの重みを、噛み締めるように静かに目を閉じた。
「まゆ。……ずっと支えてくれて、ありがとう」
杏子が屈んで、車椅子のまゆの首にメダルをかけようとした、その瞬間だった。
「っ……」
まゆが、車椅子の手すりを強く握り、震える足で、ゆっくりと立ち上がったのだ。
「まゆっ!?」
驚きながらも、杏子は立ち上がったまゆの首に、そっとメダルをかける。その瞬間、まゆは泣き崩れながら杏子に力強くしがみついた。
「……ありがとう、杏子……! 私を、光の世界に連れ出してくれて……!」
優しくまゆの背中を抱きしめる杏子。
「泣きすぎっ」と言いながら、杏子自身の瞳からもポロポロと涙がこぼれ落ちていた。
あかねと栞代が、泣きじゃくるまゆの両脇を優しく支え、再びゆっくりと車椅子に座らせた。
そして、最後に箱に残った、杏子自身の分のメダル。
「親分のメダル、誰がかけるべきですかね?」
真映の問いに、みんなが一瞬戸惑う。だが、栞代が「ここはやっぱり、この人でしょ」と、傍らでハンカチを目に当てていた杏子の祖母の手を引き、杏子の前に連れてきた。
祖母は少し照れながらも、シワの刻まれた優しい手で黄金のメダルを受け取り、愛する孫娘の首にかける。
「おめでとう、杏子」
「う、うんっっ」
杏子の瞳から、ついに堪えきれなくなった大粒の涙がとめどなくこぼれ落ちた。
「なんでわしやないんや! わしがメダルをかける係じゃろ!」
一人、蚊帳の外に置かれて本気で拗ねる祖父に、栞代が呆れたように近づいた。
「いやいや、おじいちゃんは危なっかしいからダメ。ほら、オレがかけてやるから」
そう言って、栞代が自分の首から金メダルを外し、祖父の首にひょいとかけた。
「ほれ、オレのメダルやるから。機嫌直せ」
ぶっきらぼうな栞代の態度。だが、その不器用な優しさに触れた祖父は、「ば、ばか者! こんな大事なもん、簡単にもらえるかいっ! ちょ、ちょっと首が疲れるまで預かっといてやるだけじゃからな!」と照れ隠しに大声を出しつつ、誇らしげに黄金のメダルを裏返したりして、興味深そうに眺めていた。
一方、男子部員たちは、少し離れた場所で別の意味で震えていた。
「悪魔の微笑み」をフルスロットルで浮かべた滝本顧問から、直接銅メダルを授与されていたのだ。
「よくやったわねぇ……。次はもっと大変だけれど」
褒められているはずなのに、なぜか男子たちはガタガタと震えている。
「だらしないわね! 男子がそんな顔してどうするの! さっ、女子のところに行って、記念に写真でも撮ってもらいなさい!」
滝本顧問に強引に背中を押されて連れてこられた松平と海棠は、ソフィアとまゆの間に挟まれる形で写真に収まることになり、顔を限界まで赤くしながらも、この世の春を謳歌しているような、最高に幸せなだらしない顔をしていた。
そして、現在。
帰りのバスの座席で、杏子は窓に頭を預け、泥のように深く眠っている。その安らかな寝顔は、部長という重責から完全に解放された、幼い少女のようだった。
その隣の席で、栞代はぼんやりと窓の外の風景を見つめていた。
「若頭、今日一日、本当にお疲れ様でした」
後ろの席から、真映が小声で声をかけてくる。
「お前もな、真映。……おじいちゃんの世話、押し付けて悪かったな。ありがと」
「いや、ほんっとに制御不能で大変で……。でも、いやいや、ご隠居、最高にロックなステップ踏んでましたよ。あれは才能です」
栞代は苦笑し、少し後ろに座る葡萄の方へ向き直った。
「そいえば、葡萄たちフルーツトリオも、一日アンナちゃんの世話、ありがとな。助かったわ」
葡萄がそれを受けて、嬉しそうに答える。
「いや、アンナちゃん、ほんっとに天使みたいに可愛くて! このまま日本に住み着いて、光田に入部してくれないかなあって本気で思いましたよ」
隣で苺がクスクスと笑う。
「アンナちゃん、部長の『杏子』って名前、漢字で書こうと一日中ノートで随分練習してましたよ。最後の方、結構上手になってました」
それを聞いた滴は、真顔で拳を握りしめ、
「……あの純粋な愛には、負けてられないわね。私も親分への愛を試されているわ」
と、一人闘志を燃やして呟いた。
明日は、弓道部は完全休養日になっている。
だけど、栞代には分かっていた。
(多分、帰宅したあと、夜にはもういつものグループLINEで連絡が飛び交って、『明日、中田先生の道場に自主練行何時から?』って相談が始まるんだろうな)
そして、明後日からはいよいよ、夏のインターハイ本番に向けた夏合宿が始まる。
栞代は、心地よさそうに眠る「光田の親分」の肩に、冷房で冷えないよう、そっと自分のジャージをかけてやった。
(杏子がずっと、一年生の時から願い続けてきた、全国という最後の舞台。……オレが、必ず、お前の夢を叶えてやる)
窓の外の景色が、少しずつ地元の街並みに変わり始めていた。




