第566話 『宇宙の景色と、祝福の張り手』
対戦相手の千曳ヶ丘高校、主将・つぐみ。
彼女の姿もまた、完璧だった。四射皆中。打倒・光田、打倒・杏子に燃える彼女の情熱と執念は、間違いなく高校生としての至高の位置に辿り着こうとしていた。
だが、つぐみは一射ごとに、自分の背後に流れる光田の「深すぎる静寂」に、自分の心が少しずつ削り取られていくような感覚に陥っていた。
(……なんなの、この空気は。なんで、あいつら……あんなに幸せそうに引いてるの?)
つぐみが、必死に爪を立て、血を流しながら登ろうとしている険しい頂上で。
光田の五人は、ただ穏やかに、気持ちよさそうに風に吹かれているのだ。
千曳ヶ丘の大前、蒼山凜火も、つぐみと共に努力を重ねた。実際に皆中を決める最善の結果。
つぐみを心より慕う篠森葵、羽白澄玲、月守澪璃、彼女たちも1本だけ外したが、決して悪い結果ではない。むしろ上出来だ。
千曳ヶ丘の監督席で、朸堂監督が小さく、けれど深い溜息を漏らした。
「……つぐみ、みんな、ようやった。お前らの弓は、間違いなく最高や。胸張ってええ。……じゃがな、あの子ら(光田)は今、うちと勝負をしとらん。……『永遠』を引いとるんや」
四周目、最後の一射。
栞代が、ソフィアが、あかねが、紬が。
次々と的の真芯を射抜いていく。スコアボードには、光田高校の欄に一点の曇りもない「〇」が十九個、整然と並んでいた。
最後に残ったのは、大落の杏子。
彼女がスッと弓を引き分けたとき、射位に立つ五人全員の心の中に、全く同じ景色が駆け巡っていた。
観客席では、中学で頂点を経験したあまつ、そして、同じように杏子に憧れて光田にやってきた菓、二人の一年生も同じ気持ちだった。
(ああ、終わってしまう)
(この一射を放てば、この最高の時間は終わってしまう)
(今、観客席と射場に、物理的には別れているけれど、心は完全に一つになってるんだ)
(ずっと、この二十八メートルの永遠の中で、みんなと繋がっていたい)
部内の厳しい選抜試合。その後、みんなで泣きながら一つの歌を歌ったこと。過酷な練習の風景。毎日部室で笑い合った、楽しかった昼食。
そして、普段はポンコツなのに、練習でも弓を引く時だけ神様のような別人になる杏子に、全員が憧れて視線を向けたこと。
その杏子が、今、最後の矢を引こうとしている。
時間は、完全に止まっていた。
光田のメンバーにとって、この瞬間は、何年にも、何十年にも感じられるほど濃密で、愛おしいものだった。
杏子の放った最後の一矢。
それは、音が鳴るより先に的に届いたような、静かな一射だった。
「パァン……」
いつまでも耳の奥で余韻を引くような音と共に、二十射目。全中。パーフェクト。
光田高校、20対17。
千曳ヶ丘の猛追を、一分の隙もない「完成された美」と「二十射皆中」という圧倒的な記録で封じ込めた。
光田の五人は、つぐみを始め、千曳ヶ丘高校のメンバーから「おめでとう」「すごかった」と直接祝福の声をかけられるまで、試合が終わったことにも気がついていなかった。
いつ始まって、いつ終わったのか。
これが、いつも杏子が見ている「宇宙」の景色なのか。
魂の奥底からの、痺れるような充足感が彼女たちを優しく支配していた。
ソフィアが、ふと横に立つあかねと視線を合わせた。
二人の瞳には、うっすらと熱い涙が浮かんでいた。
「……あかね。わたし、日本に来て、本当に良かった」
「……当たり前でしょ。あんたがいなきゃ、私、最後にこんな最高の弓、引けなかったんだから。あんたのSISUのおかげだよ」
ずっと祈るように見守っていたまゆが、車椅子を力強く漕いで彼女たちの元へ向かってくる。
「すごかった……! 羨ましくて、妬ましいぐらい、綺麗だった。……最高のプレゼント、ありがとう、みんな」
「勝った、んだよね……?」
杏子が、夢から覚めたようにぼんやりと呟くと、いきなり横から「パーン!」と、つぐみの強烈な愛ある張手が飛んできた。
「痛っ! いた~いっ」
「ばーか。本当に宇宙行ってんじゃねえよ。……これは、越えられないかもな、お前らには。ちっくしょ」
悔しそうに笑いながら、つぐみが右手を差し出した。
その手を無視して、杏子は泣きながらつぐみにギュッと抱きついた。
栞代が、杏子の気持ちを代弁するように、つぐみの肩を叩いた。
「決勝で、この場にお前と一緒に居られて、本当に良かったよ。最高の試合だった」
「……ああ。やっぱ、インターハイで、絶対にぶっ倒す」
「待ってるよ」
光田高校団体女子、ブロック大会優勝。
二十射的中。
この結果よりも、同じ場所に居て、同じ時間を共有したこと。
それは、なにものにも変えられない、永遠になった。




