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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
高校3年生
564/581

第564話 『ソフィアの回想:銀の絆と、泥臭い戦友』

観客のざわめきが、(むせ)返るような熱気と共に渦巻いている。

入場を待つ列の中で、Sofia Alberttiina Virtaソフィア・アルベルティーナ・ヴィルタは、自身の指先に残る硬い感触を、静かに親指で確かめていた。

この日本での一年半で、彼女の白く細かった手は、確実に一人の「射手」の手へと変わっていた。上手く引けずに、何度も弦で腕を払い、青アザを作って泣いたこともあった。


彼女の故郷、フィンランドの夏は短く、透き通るように涼しい。

対して、日本の夏は残酷なほどに重く、ねっとりとした湿り気を帯びている。来日した当初、この「肌にまとわりつく空気」だけでソフィアの体力は著しく奪われた。

それでも、彼女が弱音を吐かずにこの場所に留まり続けたのは、心の中に灯った、決して消えない強烈な「光」があったからだ。


ずっとぼんやり考えていたけれど、最後に背中を押したのは、日本に住む祖父・エリックから送られてきた、一本のホームビデオだった。

日本文化の研究者であるエリックは、近所に住む少女――杏子が、弓を引く姿を、まるでお伽話のワンシーンのように美しく切り取っていた。

雪深いフィンランドの部屋の中で、タブレットの画面を見つめた時の、雷に打たれたような衝撃を、ソフィアは今も鮮明に覚えている。


(……なんて、美しいんだろう)


凛とした静寂を纏い、天に向かって弓を押し開く同年代の少女の姿。それはソフィアにとって、神話に登場する穢れなき女神そのものだった。


「彼女の隣で、同じ風を感じて弓を引きたい」


その無謀とも言える願いを口にした時、父ヨハンと母ミーナは驚き、妹のアンナは泣いて引き止めた。けれど、ソフィアの瞳の奥に宿る「SISUシス」を見た家族は、最後には彼女の背中を力強く押してくれた。愛犬ピルッカの鳴き声に見送られ、彼女はたった一人で海を越えた。


もともと、日本のアニメがとても好きで、ずっと言葉や文化に触れてはいた。祖父のエリックの影響も多分にあった。今から思えば、これはエリックの罠だったのかもしれない。

でも、それもすべては、杏子という圧倒的な存在があったからこそだ。


とはいえ、来日当初の生活は、決して順風満帆ではなかった。

祖父母の家で朝から出されるお吸い物の魚の出汁の匂いに戸惑い、初めて食べた納豆には「これは、私の魂を直接攻撃してくる恐ろしい腐敗物だ」と絶望したこともある。それでも、杏子の祖父が優しく、時に面白おかしく教えてくれる日本語の特訓を必死に受け、日本の生活に馴染んでいった。


ソフィアは日本のアニメ、特に『銀牙 -流れ星 銀-』を愛していた。フィンランドで見た時よりも、むしろ日本に来てから見た回数の方が多いかもしれない。理不尽な運命に立ち向かう犬たちの熱い絆は、異国の地で奮闘する彼女の心のバイブルとなった。


言葉の壁はあっても、決して孤独を感じたことはない。

いきなり「仲間」として快く迎え入れてくれた弓道部のメンバー。まゆや瑠月は、最初は不慣れな英語で一生懸命にコミュニケーションを取ってくれた。


そして、紬。彼女との出会いは、杏子に並ぶとも劣らない、ソフィアの大きな支えになった。

「ソフィア。今日の『文化研究(アニメ鑑賞会)』は、銀の息子・ウィードの章よ。心して観るように」

「はい、Tsumugi」

無表情な紬と肩を並べて画面を見つめる時間は、弓の技術に悩んで張り詰めたソフィアの心を解きほぐす、唯一の温かいシェルターだった。


弓道部での実際の練習は、女神のイメージとは程遠い、想像を絶する泥臭さだった。

一学年下だが、高校から弓を始めた時期が同じ楓。二人は、杏子たち経験者が的前で華麗に的を射抜く横で、ひたすら基礎練習に明け暮れた。

金髪碧眼の長身、校内を歩けば誰もが振り返る「留学生のアイドル」。そんな華やかな外見とは裏腹に、ソフィアは誰よりも遅くまで道場に残り、誰よりも多くの汗を流した。


生真面目な楓とは、多くを語り合うことはなかった。

けれど、夏の夕暮れ、二人で安土の整備を終えた後の心地よい沈黙の中で、ふと目が合う瞬間がある。

「……ソフィアさん。水、飲みますか」

「……うん。ありがとう、楓」

短いやり取り。でも、そこには言葉を超えた「同期の戦友」としての確かな絆があった。楓という静かでひたむきな支えがあったからこそ、ソフィアは「異邦人」という孤独に飲み込まれずに済んだのだ。


廊下の向こうから、審判の声が聞こえた。入場まで、あと少し。


瑠月や杏子が、自分の練習時間を削ってまで、つきっきりで指導してくれた日々。

「金髪のアイドル」としてではなく、一人の「光田の射手」として、容赦なく厳しく弱点を指摘し続けてくれた拓哉コーチの言葉。

それらすべてが、ソフィアの血となり、肉となっていった。


いよいよ、決勝戦の入場時間が迫ってきた。

ソフィアは、自身のすぐ隣に立つ杏子の横顔を盗み見た。

かつて雪の降る部屋で、小さなビデオ画面の中で見た「女神」は、今、自分のすぐ隣で、同じ「光田高校」のゼッケンを付けて静かに呼吸をしている。


インターハイの団体戦メンバーへの道は、部内選抜の試合で、まさにその楓や後輩たちに実力で敗れ、潰えた。このブロック大会が、ソフィアにとっての「光田のゼッケン」を背負う、最後の大舞台だ。


一年半分の全てを、この瞬間に。


ソフィアの碧い瞳に、迷いの曇りは微塵もない。

ただ、二十八メートル先にある白と黒の的が、冬のフィンランドの湖のように、どこまでも深く、澄み渡って見えた。


ソフィアは静かに弓を倒し、一歩、かつて夢見ていた神聖な場所へと、背筋を伸ばして踏み出した。

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