第562話 『土壇場のいつも通り、あるいは崩れない宇宙人』
ブロック大会、女子準決勝。
直前の試合で男子が敗れ、会場に漂う「やはり鳳泉館は強し」という重苦しい空気を切り裂くように、その一戦は始まろうとしていた。
張り詰めた空気の中、千曳ヶ丘高校の主将・小鳥遊つぐみが、自らの出番を待つ間にのっしのっしと杏子のもとに歩み寄ってきた。
「杏子。鳳泉館は強いぞ。……ここでポロッと負けて、私と決勝でやる前に消えるんじゃねえぞ」
春の県大会で、その鳳泉館と死闘を演じたライバルからの、ぶっきらぼうな激励。
杏子は「うん。がんばる」と、少し怯えながらも、無垢な瞳でいつも通りに素直に応える。
その横から、栞代が不敵な笑みを浮かべて、二人の間にスッと割って入った。
「おい、つぐみ。お前らの相手の桜花女子、予選トップ通過やで。うちらの心配する前に、お前らこそ決勝でうちらと会う前に、あっさり消えるんじゃねーぞ」
「光田高校、入場してください」
係員の声に、光田女子の五人は射場へと足を踏み出した。
「おい杏子、入場での摺り足、忘れるなよ。絶対にコケるなよ」
「う、うんっ! わかってるもん!」
試合が始まれば、そこは王者奪還の意地を見せる鳳泉館の独壇場かと思われた。
全員が的確な姿を見せる中、特に三番手の神鳴依千、そして主将の桐皇煌璃が、まるで感情を持たない精密機械のような正確さで、次々と的を射抜いていく。
だが、光田も一歩も引かない。
大前(一番手)の栞代が、チームに勢いをもたらす切り込み隊長として、完璧な姿を見せる。あかねも好調を維持し、極度の緊張から一射目こそ外したものの、その後は力強い弦音を響かせて三本を連続で的中させた。
ソフィアも、観客席でアンナが見守る前で、異国の重い空気を切り裂き、フィンランド人の血が持つSisu、折れない精神力で、徐々に的中精度を上げている。
一方、記録席でスコアを付けている一華は、眼鏡の奥で眉間にわずかな皺を寄せていた。
視線の先には、四番手の紬。
このブロック大会、紬はまだ一度も皆中(四射全て的中)を出していない。実力は折り紙付きであり、何より周囲の状況やプレッシャーに全く左右されない彼女にしては、極めて珍しい成績だ。ここでも、二射目を的の枠に当てて外している。
「……精神的に崩れているわけではない。けれど、あの紬さんの実力なら、二本外すことはデータ上考えにくい……」
一華は手元のタブレットを素早く操作し、県大会での絶好調時の映像と、今の紬の射形を瞬時に並べて比較する。
ほんの数ミリの重心のズレか。あるいは、呼吸の間合いか。改善点を見出そうと画面を睨みつけるその瞳は、静かに、深く燃えていた。
観客席では、杏子の祖父が相変わらず「祈っては立ち上がりかけ、真映に怒られて強制的に座らされる」という謎のルーティンを飽きもせず繰り返し、小さな女神・アンナはフルーツトリオに完璧にガードされながら、祈るように試合に見入っている。
『17中対17中』。
意地と意地のぶつかり合いは、規定の二十射では決着がつかず、一人一本ずつ引いて雌雄を決するサドンデス、「競射」へとなだれ込んだ。
拓哉コーチと滝本顧問は、この競射には絶対の自信を持っていた。
事実、光田高校は、競射という極限のプレッシャーのかかる場面に滅法強い。なぜなら、最後尾の大落に、「集中力お化け」とも言うべき宇宙人・杏子が控えているからだ。
「杏子が絶対に決めてくれる」。その圧倒的な絶対的信頼感と、杏子が纏う「無」の境地がチーム全員に乗り移ったかのように、光田の五人は水を打ったように静まり返り、完全に自分の射の世界に入り込んでいた。
一巡目。
栞代、〇(的中)。ソフィア、〇。あかね、〇。
そして、紬。一華の懸念を吹き飛ばすように、紬もこの土壇場で、迷いのない完璧な一本を放つ。〇。
対する鳳泉館。
一番手の綾城、二番手の常盤野と、意地で的中を重ねて食らいつく。
だが、ここで異変が起きる。四射皆中を出し、完璧な射を見せていた三番手の神鳴依千が、光田の放つ、あの「不気味なほどの無の静寂」に呑まれたのか。放った矢が、的を僅かに逸れた。
痛恨の失中。
その直後、光田の杏子が、誰よりも鋭く高い弦音で、的のど真ん中を射抜いた。
杏子、〇。
これで光田は、五人全員が的中。この時点で、光田の勝利が確定した。
最後、鳳泉館の主将・桐皇煌璃。
放たれた矢は、彼女の普段の実力からは考えられないほど力なく失速し、的の下へと消えていった。
「……よし、勝った」
観客席で、一華が小さく、けれど力強く拳を握る。
17対17からの、競射5対3。
「やっぱり、杏子先輩はとにかくすごいです……」
観客席で、息を呑んで見守っていた一年生のあまつがポツリと呟き、隣でつばめが深く頷く。二人とも、この後の夏のインターハイに出場するレギュラーメンバーだ。
「ああ。あんな人たちと一緒に試合に出るなんて……緊張するけど、早く追いつきたい」
二人の瞳には、畏敬の念と、抑えきれない向上心が燃えていた。
射場を出て通路に戻ると、緊張から解放されたあかねが、真っ先に杏子に駆け寄る。
「杏子! やったな!」
「うんっ!……おじいちゃん、喜んでるかな? おばあちゃん、褒めてくれるかな?」
杏子は、さきほどまでの冷徹な射手から一転、ふにゃりと無垢に笑った。
だが、一方一華はまだタブレットから目を離さない。
「……紬さん。次の決勝こそは、あなたの『完璧な射』を見せてもらいますよ。データ上の誤差は、もう修正できるはずです」
勝利の余韻に浸ることなく、彼女の冷徹な目はすでに次を見据えていた。
次なる舞台、決勝戦。そしてその先に待つ、さらなる高みを。
一方、別の射場で行われていたもう一つの準決勝。
千曳ヶ丘高校もまた、予選トップ通過の桜花女子を、競射の末にしぶとく破っていた。
この大舞台での勝負強さは、主将であるつぐみを中心とした、チーム全体の著しい成長の証であった。
元チームメイトであり、かつて光田の道場で共に汗を流した親友だからこそ、絶対に負けられない。
つぐみの眼差しは、もうすでに決勝の射場を見据えていた。




