第56話 新人戦に向けて
光田高校の道場には、夏が終わり、秋も深まった冷たい風が吹き込んできていた。練習後の静かな道場で、栞代は弓を握りしめながら深呼吸をしていた。
新人戦の団体戦――試合は3人が一組、4人が登録できる。光田高校の女子弓道部のメンバーは8人だから、丁度二組に分れて出場するが、トップチームのレギュラーはあくまでも3人。
現在トップ候補に名前が挙がっているのは、つぐみ、杏子、瑠月の3人だった。栞代はその強豪たちに割って入り、自らも団体戦の中心に立つと心に決めていた。杏子はブロック大会個人チャンピオン、瑠月さんは県チャンピオン、そしてつぐみはそれぞれの大会で準優勝。そこに割って入るのは、相当に高い壁だった。
「……できる。私は絶対にできる。」
彼女の心にあるのは、ただ自分のためだけではなかった。杏子との約束――「一緒に全国に行こうね」という言葉。その夢を実現するために、自分が今よりももっと上のレベルに到達しなければならない。
つぐみと瑠月が国体の合同練習に参加している間からずっと、栞代もコーチについてもらい、射型の確認をしてもらっていた。
練習の一環で的前に立つ栞代の動きは、力強さを増していた。しかし、拓哉コーチの目は厳しく、栞代の弓の引き方にわずかな乱れを見つけた。
「栞代、引き分けの時に肩が少し浮いている。これでは的中率が安定しない。今すぐ修正しよう。」
コーチは的確に指摘をし、栞代は頷いた。「お願いします!」
コーチの指導は細部にわたり、矯正には忍耐と集中力が必要だった。特に、肩の高さと肩甲骨の使い方に注意を払うように言われた栞代は、何度も何度も繰り返し練習をした。弓を引くたびに肩が浮いてしまいそうになる自分に苛立ちを覚えながら、それでもコーチの声を思い出して冷静に自分を修正していく。
練習が終わる頃には、腕は張り詰め、体が悲鳴を上げていたが、栞代の顔には充実感があふれていた。「まだできる。まだできる」そう思うと、少しだけ笑みがこぼれた。
射型を修正した後、栞代はすぐに杏子の元を訪ねた。杏子はいつものように控えめな笑みを浮かべながら、道場の隅で自分の矢を丁寧に手入れしていた。
「杏子、お願いがあるんだけど、私の射型を見てくれない?」
栞代の頼みに杏子は驚いたように目を瞬かせた。
「栞代、すごく頑張ってるね。私にできることは、コーチの指導してた射型との違いを指摘するだけだよ。どうやったら良くなるか、はちょっと荷が重い。私でいいの?」
「いや、杏子がいいんだよ。杏子の指摘って、的確だし、すごく信頼できるんだ。それに、ずっとつきあってくれるだろ?」
栞代は、いつも二人で居るのはもう普通になっていたから、特別でもない、一緒に居るだろう、と改めて言うことにニヤリとした。杏子は少し照れながらも「もちろん」と頷いた。
栞代が弓を構え、射型を見せると、杏子はじっと見つめた後、静かに口を開いた。
「うん。ちゃんとできてるよ。そのまま何度も繰り返して、身体に覚えさせるのが理想だよ。ほんのちょっと、ここね・・・」
杏子の声は優しく穏やかだが、指摘は繊細で、実に細かい部分まで見逃さなかった。その言葉に、栞代は素直に頷いた。
「ありがとう、杏子。」
「やだなあ。……そのうちあっさり栞代に追い抜かれちゃうかもね。」
杏子のその発言に、栞代は一瞬言葉を失った。確かに杏子の声には謙虚さがあったが、同時に、自信と実績に裏打ちされた重みがあるのも事実だった。
(杏子は本当に謙虚だけど、どこか自分の能力を超然と見てるところもある。つぐみが言ってた『謙虚だけど傲慢』って、こういうことなんだろうな。)
栞代は、杏子の優しさの中にある強さを改めて実感し、自分もその背中を追いかけたいと強く思った。
全体練習が終わった後、つぐみが栞代のそばにやってきた。「調子どう?杏子に見てもらったんでしょ?」
「うん、まだまだだけど、少しずつ良くなってる気がする。」
栞代の答えに、つぐみは満足げに頷きながらも少し挑発的な笑みを浮かべた。
「杏子の指摘ってほんとに細かいだろ?でも、的確なんだよな。杏子に確認してもらって、それを持ってコーチに相談する。その繰り返し。それを乗り越えたら、私もうかうかしてらんねえよ。中学からやってんだから、弓道始めて半年の栞代に負けらんねえからな」
「おいおい。つぐみだって強すぎるんだよ!まだ背中しか見えてねーよ」
栞代が笑いながらそう言うと、つぐみも「まあとにかく、一緒に頑張ろう!」と拳を差し出してきた。
冴子や沙月、瑠月たちにも栞代は敬意を忘れず、それぞれの強さや魅力を認めながらも、「追い越したい」という熱い気持ちを胸に秘めていた。
栞代の、杏子、つぐみ、瑠月さんに割って入りたい、という気持ちは、冴子も沙月も当然持っていた。全国でもトップレベルの選手が集まっている。
今回の新人戦への期待は誰もが大きく持っていた。
それは、拓哉コーチ、顧問の滝本先生も例外ではなく、練習時間もついつい長くなっていた。
夜、布団の中で、栞代は今日の練習を思い返していた。杏子の言葉、つぐみの笑顔、コーチの指導……すべてが自分の力になっていることを実感していた。
「簡単じゃないけど、私は必ずやり遂げる。杏子と同じ舞台に立つために、そしてつぐみと肩を並べるために――絶対に諦めない。」
その決意を胸に、栞代は目を閉じた。彼女の心には、友情と情熱がしっかりと根付いていた。




