第552話 『黄金のピクニックと、白夜の妹の告白』
重たい湿気を、吹き抜ける風が時折さらっていく。
予選を見事に三位で突破した光田高校弓道部の一団は、南方武道館の裏手にある大きな楠の木陰に、色とりどりのレジャーシートを広げていた。
「がははは〜! さすが杏子一家。見事に予選突破ですな!」
真映の高笑いが、ジリジリと鳴くセミの声に負けじと響き渡る。
重圧から解放されたこの昼食時間は、完全にリラックスした、いつもの昼食風景以上に、騒がしい「光田流ピクニック」と化していた。
「Kyōko! Sofia! Vau!!(キョウコ! ソフィア! すごい!)」
アンナがレジャーシートから身を乗り出し、興奮で頬を赤らめながら、堰を切ったように言葉を溢れさせている。
ソフィアがそれを、慈しむような柔らかな表情で杏子に通訳していた。
「アンナがね、本当に美しかったって。練習の時よりも、さらに空気が澄んでいたって……すごいね。アンナにも、そんなことまで、ちゃんと伝わるんだね」
ソフィアのジャージの袖を、アンナがぎゅっと握りしめる。
そこからの言葉は、杏子ではなく、姉であるソフィアに向けられたものだった。
「……ねえ、お姉ちゃん。……わたし、今日見て、わかったよ」
アンナは、杏子の逆の隣に座るソフィアの青い瞳をじっと見つめた。
「どうしてお姉ちゃんが、フィンランドの家族を置いてまで日本に来たのか。……キョウコのそばにいたかったんだね。同じ場所で、同じ空気を吸って、キョウコみたいになりたかったんだね」
アンナの真っ直ぐな瞳が、ソフィアを捉えて離さなかった。
「お姉ちゃん、日本のアニメがすごく好きだったもんね。日本のこと、ずっと好きだったし……その上で、キョウコが弓を引く姿を知って、もう、居ても立ってもいられなくなっちゃったんだね」
アンナは一度視線を落とし、小さく唇を噛んだ。
「……アンナね、最初はキョウコのこと、すごく嫌いだったんだよ。だって、大好きなお姉ちゃんを、遠くの国へ連れていっちゃったから。魔法使いみたいに」
その純粋な告白に、ソフィアの胸がちくりと痛んだ。だが、アンナはすぐに顔を上げた。
「でも、一目見てわかったよ。キョウコは、こんなに綺麗なんだもん。それにすごく優しくて、温かい。お姉ちゃんと、一緒なんだね」
「アンナも、すぐにキョウコのこと、大好きになっちゃった」
こぼれそうになった涙を乱暴に手首で拭って、アンナはひまわりのように笑った。
「次の試合、お姉ちゃんも出るんだよね。……夢、かなったんだね。おめでとう、ソフィア。……すごく、がんばったんだね。本当に、すごいよ」
アンナはソフィアの大きな手を、自分の小さな両手でぎゅっと包み込んだ。
「アンナ、お姉ちゃんがいなくなってすごく寂しかったけど……。でもね、今は、すごく誇らしいよ」
自分を置いて日本へ行った姉を、ずっと責めたい気持ちが心の奥底にあった。けれど、去年、直接日本に来た時に、弓を引くキョウコの姿を見て、そして直接触れ合って、すぐに大好きになった。
そして今、その大好きな二人が、同じ美しい道着を着て、同じ場所に並んで居るところを、この目で見ることができるのだ。
「お姉ちゃんは……こんなに大きな夢を追いかけて、遠い日本まで来たんだね」
アンナの瞳は輝いていた。
「Tsemppiä. Minun aina rakas ja ylpeyteni, isosiskoni.」
(がんばってね。アンナの、ずっと大好きな、自慢のお姉ちゃん)
ソフィアは、わずかに震える手で妹の柔らかな金髪を優しく撫でた。
「……Kiitos, Anna. ありがとう」
「ソフィア? どうしたの?」
いつもと違う表情のソフィアに気がついて杏子が首を傾げる。
ソフィアが、涙を堪えるように、ゆっくりと通訳する。
「わたしの……日本に来た気持ちがわかったって。わたしが、とても羨ましいって」
そこまで言って、ソフィアの目元が震えた。
「そして、杏子とお姉ちゃんが大好きだって」
ソフィアは杏子に強烈に憧れ、杏子と共に弓を引くことを夢見て、一心不乱に弓道に打ち込んだ。
その夢は、去年のブロック大会で一度叶っている。見事に団体で優勝を果たした。続く全国選抜大会でも。最後の決勝の舞台には立たなかったが、準優勝を果たした。
そして、三年生としての最後の夏。
ソフィアは、部内のレギュラー選抜試合で後輩たちに負けた。もちろん油断した訳でも、慢心した訳でもない。紙一重とはいえ、純粋な実力で負けた。
どれほどのショックだっただろう。高校二年生からの編入だったため、事実上、二年生の真映たちと同じ経験値しかない。そして破れた相手は、みんな自分よりも経験年数が多かった。しかし、誇り高い彼女にとって、それは何の言い訳にもならなかった。
負けたその瞬間にも、悔しさは噯にも出さず、泰然自若とした態度のままだった。
今の、全てを肯定してくれるアンナの優しい一言に、ソフィアの張り詰めていた心の糸が緩み、思わず唇を震わせてしまったのだ。
ソフィアの通訳と涙を見た杏子は、祖母の黄金の卵焼きを頬張ったまま、ふわりと頷いた。
「……んぐっ。……ソフィア、日本に来てくれて本当にありがとう。わたしこそ、ソフィアと一緒に試合ができること、本当に嬉しいんだよ。ソフィアが隣にいてくれると、なんだか北欧の涼しくて静かな風が吹いてるみたいで、すごく落ち着くんだよ。それにね」
杏子がソフィアと、そしてアンナを交互に見て、最高の笑顔で言った。
「Minäkin rakastan Sofiaa!(ソフィアのこと、わたしも大好きっ)」
その微笑ましいやりとりを、横で麦茶を飲みながら、表情だけで読み取っていた栞代が、ソフィアを見ながら呟いた。
「今朝、真映も言ってたけど……ソフィアは、杏子っていう『変人ホイホイ』の、最大の被害者だよな」
「いいえ、最大の幸せ者です」
涙を拭ったソフィアは、もういつものクールで知的な表情に戻っていた。
「ははは。その気持ちも分かるよ。ソフィア、次の試合、弓を持った杏子、宇宙人杏子との、第五種接近遭遇を楽しめよっ」




