表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
高校3年生
550/581

第550話 『祈りのガッツポーズ、あるいは邪心なき応援』

南方武道館は半屋外構造で、空調はない。射場は的に向かって開口部が大きく、通風はあるものの、梅雨明け七月は熱気がこもりやすく、選手の道着に汗がにじむ環境である。太平洋沿岸で、海風が入ることもあるが、風が止まると途端に、地方特有の高温多湿が直撃する。


生ぬるい風が吹き抜ける程度で、選手たちはみな、額に滲む汗を気にしながら弓を構えていた。


併設された観客席は、大勢の人の熱気、そして七月のまとわりつくような湿気に包まれていた。

応援席に座るソフィアの家族にとって、この日本の夏特有の重い空気は過酷な洗礼だった。アンナたちは、エリック爺さんが用意していた対策グッズに、大げさだと疑いの目を向けていたが、今やエリックの正しさを身をもって知った。


通気性の良いリネン・コットン素材の薄着。帽子・日傘。

スポーツドリンク・水を常時携帯し、折に触れ、補給を促し、熱中症予防に塩飴・塩タブレットも用意されている。

そして極めつけは、冷却スプレー・冷却タオル。彼らは、日本人の暑さ対策に、『必要は発明の母』という言葉の意味を、身をもって噛みしめた


最終兵器とばかりに、静音式のハンディ扇風機を握りしめ、競技の妨げになる音を立てないよう細心の注意を払いながら、じっと眼下の射場を見つめている。


会場が、不自然なほどの静寂に包まれた。

光田高校の三番手、車椅子のまゆが射位に入る。介添えとして付き添うソフィアが、その車椅子をミリ単位の狂いもなく所定の位置に固定する。

観客席の最前列で、まゆの両親は祈るように固く手を組んでいた。


「……まゆ」


母の脳裏には、毎日自室で車椅子に座り、ひたすら理想の形を追い求めていた娘の細い背中が浮かんでいた。

マネージャーであり、アナリストの一華が導入した映像解析技術。まゆはタブレットで自分の動画と、お手本となる杏子の理想形を交互に見比べ、何十回、何百回とゴム弓での練習を繰り返してきた。


その様子をスマートフォンで撮影し、アドバイスを仰ぐために一華や杏子に動画を送信し続けたのは、他ならぬ両親だった。

今やりたいことを、精一杯やらせてやりたい。

父母はそう願っていたし、まゆ本人の気持ちを大切にしていた。しかしそのまゆ本人が、成績が下がって両親を心配させたくない、という思いから、徹底した無駄時間の排除、いや、隙間時間の最大限の利用により、勉強、そして体調との理想的な妥協点を探り続けた。


「まゆ、今の車椅子の角度、あと少し右じゃない?」

そんな理想との違いを指摘できるようになるまで、両親もまた、娘の挑戦に寄り添い、共に弓道を学んできたのだ。


まゆがゆっくりと弓を引く。

(かい)から離れの瞬間。踏ん張る力の反動で、固定された車椅子のタイヤが床と微かに擦れ、短く「キュッ」と鳴った。

健常者よりもはるかに要求される筋力。

かすかな、けれど命を削り出すようなその真剣な音に、母の目から堪えきれずに涙がこぼれ落ちる。


極度の緊張からか、一射目、二射目と矢は的の枠を叩いて逸れた。

だが、執念の三射目――。


「カンッ!」


乾いた小気味よい音が響き、矢が吸い込まれるように的中した。

「……っ!」

歓声を上げてはいけない。弓道の神聖なマナーだ。まゆの両親は、震える両手で口を覆い、涙を流しながら、何度も何度も、光田の部員たちがいる応援席の方を向いて深々と頭を下げた。

自分たちの娘を、日の当たるこの舞台まで連れてきてくれた最高の仲間たちへの、声にならない精一杯の感謝だった。


通路を挟んだその隣では、全く対照的な光景が繰り広げられていた。

杏子の祖父母である。

祖母は、いつもと同じ、穏やかで静謐な表情で静かに手を合わせている。「いつも通り、あの子のままで」。その祈りは、見えない静かな光のように杏子を包んでいた。なにより祖母は、杏子のこれまでの歩みを、そして杏子自身を、深く信じていた。


対して、祖父は「静寂」との死闘を繰り広げていた。

これまでの大会で、思わず大声を出して進行係員にマークされた前科があるため、今日は一華や真映から厳しい監視の目が向けられている。

祖父は必死に口をへの字の真一文字に結んでいる。だが、声が出せない分、ジェスチャーに気合の跡が見える。


光田の選手が弓を引く前は、全身を強張らせて祈るポーズ。()たれば椅子から腰を浮かせんばかりのサイレント・ガッツポーズ。外れれば、のけぞって天を仰ぎ、頭を抱える。

「(中たれ……ぱみゅ子、中たれ!)」

声なき念を送りすぎて顔を真っ赤にしている祖父が、杏子の番になって、ついに興奮のあまり立ち上がろうとした瞬間。

背後に控えていた真映と一華が、左右から祖父のシャツの袖をグイッと引っ張り、力技で強制的に座らせた。


「ご隠居、座って! 動かんといて! 親分は大丈夫やから! 今日もいつも通り、完全な宇宙人に変貌しとるから!」

真映の低い、凄みのある(ささや)きに、祖父は「むうっ」とくぐもった声を上げながら、再び真っ赤な顔のまま石像のように固まった。


そしてそれが四回、お約束のように繰り返され、選手以上にぐったりとするのも、お約束の光景だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ