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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
高校3年生
548/579

第548話 団体戦予選、コーチの謎の拘り

観客席の喧騒が、まるで目に見えない結界を張ったかのように遠のく。

招集所の薄暗い隅で組まれた、五人の選手と介添えのソフィア、そしてコーチによる小さな円陣。その中心で、拓哉コーチのサングラスが射場の照明を反射して鋭く光った。

そして、やけに仰々しく、サングラスを外した。


「君たちからの強い申し出があって、予選は君たちの予定通り、この布陣になっている。だが、勘違いしているかもしれないから、念のために一言言っておく」

拓哉コーチの低い声が、ピンと張り詰めた空気に響く。

「今大会の光田高校の目標は、あくまで『優勝』だ。それ以外にない」


(そういえば、去年の冬のブロック大会でも、拓哉コーチってずっと優勝、優勝って言い続けてたな。なんかこのブロック大会っていう存在に、過去の個人的な恨みでもあるのかな……)

極限の緊張状態の中、あかねが現実逃避気味に場違いな感想を抱きかけた瞬間、コーチの声がさらに一段、熱を帯びた。


「この大会は、夏のインターハイの前哨戦だと思われているが、それだけじゃない。強豪がひしめくこのブロックで頂点に立つ今日の姿を、観客席にいる一・二年生の後輩たちにきちんと見せつけることが、これからの光田高校弓道部にとって、計り知れないほど大きな意味を持つ。君たちの取り組み方、努力、姿勢、すべてを知っているのが一・二年生の後輩たちだ。その取り組み方が、どのような結果に結びついているのか。……私は、それを表現する『最高の結果』に必要な編成を組んでいる」


コーチは一呼吸置き、サングラスを少し気にしながら、車椅子に座るまゆの方へと向いた。


「そして、まゆさん。君が今日、この予選に出場するのは、温情なんかじゃない。今までのマネージャーとしての裏方の努力や、クラブに対する貢献に対する慰労の報酬でもない。君の安定した射の力、そしてその弓に対する姿勢が、今日、光田が優勝するために『必要な戦力だから』ここに居る。それだけだ」


「……っ」

まゆが息を呑んだ。

「だから、予選が終わった後も、『今日はこれで私の役割は終わった』と決して気持ちを切らさないように。これから先のことは分からない。全員そうだ。我々は勝つために、常に最善の策をとる。そのための心身の備えを、決して怠らないでくれ」


「はい!」


六人の、短く、重く、そして誇り高い返事が重なる。

拓哉コーチの冷徹で論理的な言葉は、まゆの心の中に残っていた「私の思い出のために枠を一つ使ってしまって申し訳ない」という最後の(おり)を、綺麗に消し去ってくれた。

私は、温情ではなく、光田の戦力としてここにいる。その自覚が、彼女の背筋を凛と伸ばした


いよいよ、入場の時が近づいてくる。


「ま、まゆ。だ、大、大丈夫だから……! 栞代が前にいるから……! 栞代の背中見てたら、だ、大丈夫だから……!」

不意に背後から聞こえた、小刻みに震える声。

見れば、光田高校が誇る絶対的エースであり部長であるはずの杏子が、生まれたての小鹿のようにガタガタと震えながら、まゆの肩に手を置いていた。

本番前の、いつもの「緊張しすぎる幼稚園児」の発作だ。


「おいおい杏子。お前が震えてどうすんだよ。……そうだぞ、まゆ、あたしも後ろに付いてるからな」

あかねが呆れながらも、まゆの肩を叩く。

「う、うん」


珍しく、いつもは無口な紬がじっとまゆを見つめ、無言のまま静かに、そして強く握手を交わした。その少し冷たくて力強い手の温もりに、まゆは深く息を吐き、心を落ち着かせる。


「……心配なのは、だ」

あかねが、ニヤリと笑って、ガタガタ震えている杏子を見た。

「入退場の途中で、緊張しすぎた杏子が自分の袴の裾を踏んでコケることだけだ」

「んも〜っ、ちゃんと摺り足の練習してるから大丈夫だもん!」

「杏子は一番後ろだからな。もし倒れる時は、潔く前に倒れろよ」

「あかねの言う通りだ。もし何かに引っかかって前にコケそうになったら、紬、お前がしっかり支えてやってくれよ。ま、ソフィアでもいいが、ソフィアはまゆに付き添うからな」


栞代の茶化しに、紬は眼鏡の位置を直し、無表情のまま一言だけ放った。

「……勝手に、捕まってください」

「えっ、!?」

「紬がしゃべった!」


いつもの定番、アドラー心理学以外の意外な返答の言葉に、一瞬でガチガチだった空気が緩む。これが光田高校、いつもの心地よい温度だ。

介添えとして付き添っているソフィアが、まゆと目を合わせ、静かに頷いた。


「光田高校、入場してください」

係員の声。

射場へと足を踏み入れる。

まゆの車椅子の速度と、全員の歩幅が完璧に揃っていた。


お守り代わりの『ヴィヴィ&トリー』のストラップは、今、観客席で祈るように見守るまゆの両親の手の中にあった。まゆは車椅子から、ただ一点、二十八メートル先の的を。


光田高校の女子団体予選がもうすぐに始まる。

そのときに、湿り気を帯びた熱気が淀む南方武道館の入り口に、一台のタクシーが滑り込んだ。


後部座席から降り立ったのは、奈流芳瑠月だ。

彼女は、額に浮かぶ汗を拭うこともせず、武道館の重い扉へと急いだ。吹き抜ける風が彼女の髪を乱すが、その足取りに迷いはない。


「……間に合った」


小さく呟き、彼女は静かに扉を開けた。

一歩中に入れば、外の蝉時雨せみしぐれをかき消すような、張り詰めた静寂。そして、その静寂を鋭く引き裂く、幾筋もの弦音つるねと的中音。


瑠月は、派手な音を立てないよう、細心の注意を払って観客席の最上段、薄暗い隅の方へと滑り込んだ。そこは、射場全体を一望でき、かつ選手たちの視界には入りにくい。前方には、光田高校の見慣れたメンバーが陣取っている。

今は少しの空気の乱れも起こしたくない。


彼女の瞳は、光田高校のメンバーを捉えている。

そこには、車椅子のまゆの姿があり、介添えとして寄り添うソフィアがいた。そして、最後尾で誰よりも静かな宇宙を纏う、杏子。


瑠月は深く息を吐き、手すりにそっと手を置いた。

自分の存在を気づかせるつもりはない。ただ、彼女たちがこれまで積み上げてきたものを、この目で確かめたかった。


杏子が、最初の一射を放つ。

瑠月の耳に、懐かしくも、かつてより遥かに研ぎ澄まされた弦音が届いた。


「……うん。いい音」

安心したように、心の中で呟く。

瑠月は薄暗がりの中で、誰にも見えないほどの微かな微笑みを浮かべた。

杏子の姿はもちろんだが、まゆの姿は絶対に見ておきたい。

彼女は、今はただの一人の観客として、静かにその歴史を瞳に焼き付け始めたのである。

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