第543話 会場へ向うバス その1 インフレする千射万射と、恋の指南
学校を出発して十分。
つい先ほどまでの、涙を誘う感動的な壮行会が嘘のように、光田高校弓道部を乗せた大型バスの中は、いつもの騒がしい熱気と笑い声で溢れていた。
マネージャー、そしてアナリストの一華は、タブレットを片手に、今日の団体戦における最終のコンディションチェック項目を二乃と細かく確認し、それをまゆとソフィア、そしてあかねに伝達している。
一年生の苺は、徹夜で書いてきたという「光田弓道部・団体戦必勝!」の巨大な習字の垂れ幕を披露し、葡萄と「会場のどこに貼れば一番目立つか」を真剣に相談している。
滴はちゃっかりと杏子の隣の席に陣取り、それに負けじと楓も反対側から杏子を挟み込むように張り合っている。
つばめは、まだ決まっていない予選順位と決勝トーナメント表の空欄を睨みながら、「決勝まで姉ちゃん(つぐみ)と会わない理想の組み合わせは……」と、千曳ヶ丘高校とのシミュレーションを組むのに忙しいようだ。
一方、男子部員たちが固まって座っている後部座席からは、対照的にどんよりとした暗雲が立ち込めていた。
「……なぁ、聞いたか? 出発の時、滝本顧問が笑いながら言ったセリフ」
松平が、震える声で切り出した。
「『今回のブロック大会、もし男子が女子の成績を下回ったら……すぐに始まる夏合宿では、毎日、四時起きで三百射、二週間ぶっ続けの地獄の合宿だ』って……」
松平はまわりを見渡した。
「女子が優勝候補なのは周知の事実やで。そんなん越えられる訳ないやん。それやのに、よ、四時……さんびゃく射……」
部長の山下と立川が、想像しただけで白目を剥く。滝本顧問の眼鏡の奥の「悪魔の微笑み」を思い出し、ガクリと膝を落とす男子たち。その中で、だけがバンッと立ち上がり、力強く宣言した。
「望むところよ。ここで優勝して実力を見せつける、そして、俺たちの最終目標は全国制覇っ。そのためなら、一日五百本でも、一向に構わんっ」
一人だけ無駄に熱く吠える海棠だった。それは、ソフィアにいいところを見せたい、という半ばハッタリという男子宿命の態度であった。それを聞いた二年生エースの鈴木遼介が、とばっちりはかなわんとばかりに、冷めた声でボソッと呟いた。。
「海棠さん、ソフィアさん、夏合宿には参加しないそうです。フィンランドに帰省するそうですよ」と、実は嘘八百なのだが、今大会でソフィアは公式戦出場が終了するのは事実だ。引退して合宿に不参加という事態は、十分あり得る話ではあった。そのため、ソフィアの状況を常に気にしてしっかり把握している海棠だけに、いともあっさりと騙され、膝から崩れ落ちて咽び泣き始めた。
「なっ……そ、そんな……! 俺の合宿のモチベーションが……!」と膝を落とした。
その無惨な男子たちの様子に、二年生の真映が苛ついたように噛みついた。
「ちょっと松平さん、海棠さん! 何を朝から弱気なこと言うてはりますのん? うちの親分(杏子)らが優勝するのは、地球が回るのと同じ決定事項なんですわ! 越えるのは無理ですねん。そもそも、うちの親分は毎日、一日1000射は引いてまっせ。それを抜かすんは無理にしても、悔しかったらせめて並んでみんかいっ!」
「こら、真映。一つ上の先輩になんちゅう口の利き方しとんねん。それにいくら宇宙人の杏子でも、物理的に一日1000も引けるかいっ」
栞代がたしなめるが、真映はちっとも悪いとは思っていないようで、ニヤリと不適に笑う。
「あ、こ、こりゃ若頭。すいません」
殊勝な言葉は、表情と完全に乖離している。
「ちょっと聞き捨てならん弱音やったもんで。そやけど、親分はきっと頭の中のイメージトレーニングでは、一日10000射ぐらいは引いてはりますよっ!」
「引けるかいっ。松平の弱気はボーズなだけや。冗談に決まっとるやん。なぁ、そやろ?」
栞代がフォローを入れるが、松平の顔は引き攣ったままだ。冗談で言ったつもりが、真映のド正論(?)にトドメを刺された形である。
「松平さん、女には少々のはったりもウソも必要でっせ。無駄に熱い海棠さんを見習わな。まゆ先輩は振り向いてくれませんよ!」
真映が、さらにエラソーに腕を組んで恋の指南までし始めた。もちろん、弓道バカの真映にそんな恋愛経験など一切ない。すべて少女マンガからの受け売りである。
「そういえばさあ」
一華からのコンディション連絡をチェックしていたあかねが、少し話題に乗り遅れたとばかりに、ニヤニヤしながらまゆの隣で身を乗り出した。
「さっき真映が『一つ上の先輩に口の利き方』って言われてたけどさ。……うちらの入部初日に、一つどころか、二つ上の当時はクラブの『絶対君主・王者・支配者・神様』やった三年生の先輩連中に喧嘩売った新入生がおったらしいなぁ」
「えっ」
栞代の顔色が変わる。




