第542話 『校門前の白刃、後輩たちのサプライズ』
杏子と栞代は、朝の清々しい空気を吸い込みながら、いつも通りの通学路を通って、いつも通りのペースで光田高校に向かっていた。
「ねえ、栞代。おじいちゃん、今日は朝の散歩、ちゃんとするかなあ」
「『会場で他校の偵察をする』って張り切って言ってたからな。もしかして、つぐみに会いたいんやないか?」
「あ、そうかも。つぐみのこと、ずっと気にかけてたし」
「じゃあ、つぐみにLINEして、『おじいちゃんを見かけたら全速力で逃げろ』って言っておくか。そしたら、おじいちゃんもムキになって追いかけるから、結果的に散歩の運動量が増えるだろ」
栞代の無茶苦茶な提案に、杏子は慌てて首を振った。
「だめだよ、栞代! おじいちゃん、もし調子悪い時にそれやられたら、本気で落ち込んじゃうよ」
「そこが、おじいちゃんのヤヤコシイところだよなあ。時々、元気がなくなってる時にいつもと同じ対応したら、さらに元気無くして拗ねる時あるもんなあ」
「ふふふ。気をつけないとね」
そこはやはり、幼い頃から祖父との濃密な時間を重ねてきた杏子だ。祖父のその日の機嫌や体調の波は、手に取るように分かるのだ。
光田高校の校門に辿り着くと、なにか様子が違う。
「親分! 若頭! 大変申し訳ありませんが、少々ここでお待ちください!」
真映がさささっと小走りでやって来て両手を広げ、杏子と栞代は揃って門の手前で足止めを食らった。
「あれ? 杏子、どうしたん?」
すぐ後ろから、あかねがまゆの車椅子を押しながらやって来た。
「いや、なんか、真映がここで待ってくれって通してくれないんだよ」
と栞代が苦笑いで応える。
杏子は、少し緊張気味のまゆに「まゆ、おはよう。昨日はよく眠れた?」と声をかけた。
「うん、おはよう。いつもより早く寝たんだけど、遠足の前の小学生みたいに、いつもよりもっと早く起きちゃった」
まゆがはにかむように笑う。
「なんか、どこも一緒だね」
杏子は、先ほどの自分の様子を思い出して少し笑った。
すぐに、ソフィアと紬も合流した。
通行止めにされている理由をソフィアに説明するが、相変わらず紬は「……それは、わたしの、課題では、ありません」と素っ気なく返し、本当に関係ないとばかりにズカズカと一歩門の中へ踏み込もうとした。
その瞬間。
門の脇から、弓道部の一・二年生の後輩たちが、一斉に飛び出してきた。
全員が真っ白なハチマキを頭に締め、手には真っ白な手袋をはめて、ビシッと二列に整列した。制服姿に白のハチマキと白手袋という組み合わせは、シンプルだが、応援団のようでかなり目立ってかっこいい。
真映が一歩前に出て、朝の空気を震わせるような大きな声を張り上げた。
「早朝にはギリギリの音量で失礼します!」
真映は、三年生たちを真っ直ぐに見据えた。
「まゆさん、ソフィアさん! 本日はお二人にとって高校生活最後の公式戦、最後の舞台です。
まゆさんはマネージャーとの兼務、さらには椅子に座っての姿勢の追求、想像を絶する努力……さらには私たちに勉強まで教えてくれる、光田のスーパーガールです!
「ソフィアさん! 遠いフィンランドから、親分に会いたい一心でやってきたその行動力。杏子親分の魔力に取りつかれた変人ぞろいの我々杏子一家の中でも、トップ・オブ・トップ変人。親分の変人ホイホイの最大の被害者、語学の壁、文化の壁を越えて、道場で誰よりも美しい姿で弓を引く姿は、まさにパーフェクトガールです!
今日のこの舞台でのお二人の射を、私たちは一瞬たりとも逃さず、この目にしっかり焼き付けます!」
真映の言葉に、まゆが思わず口元を押さえ、ソフィアの青い瞳が揺れた。
「正直……寂しくないって言ったら嘘になります。でも、泣くのは今じゃありません!
お二人がどんな想いで弓を引いてきたか。その背中を、私たちは誰よりも近くで見てきました。
今日の、一射一射、その魂が的に吸い込まれる瞬間を、私たちが一滴残らず、すべて受け止めさせてもらいます!」
真映は、次にあかねへと向き直った。
「あかねアネキ!
いつも明るく部を輝かせてくれたアネキは、私たちにとっていつも眩しい存在でしたっ。
アネキには、まだインターハイが残っています。でも、まずは今日! 誰よりも暴れて、誰よりも最高の弦音を響かせてきてください。
アネキが繋いでくれるバトンを、私たちが来年、いやその先まで、絶対に落とさず持っていきますから!」
あかねが、目頭を押さえて上を向いた。
「そして、親分、若頭、紬アネキ! 見事に光田魂を炸裂させてくださいっ。
……先輩方! 最高の笑顔で、ここに帰ってきましょう! そのために、私たちは全力で応援します!」
真映の口上が終わった途端。
今度は後方で待機していた、山下や松平たち男子部員による、野太く揃った『三・三・七拍子』が始まった。
パン、パン、パン! という力強い手拍子が、朝の校庭に響き渡る。
その拍手の中、真映が恭しく一礼し、「親分から、どうぞ」と、大型バスへと三年生を誘った。どうやら、弓や道具類はすべて後輩たちがすでに積み込み、準備を整えてくれているらしい。
杏子に続き、栞代、ソフィア、紬、あかねが乗り込む。まゆの車椅子は、一華と二乃が丁寧にサポートしてバスへと乗せた。
三年生たちがバスの座席に目をやると、それぞれのシートの上には、自分の名前が書かれた封筒が一つずつ置かれていた。
中を開けると、一・二年生の後輩たち、そして男子部員全員からの、手書きの熱いメッセージカードが束になって入っていた。
「あっ」
カードをめくっていたあかねが、短く声をあげる。
その紙片の中には、現役の部員たちだけでなく、杏子たちが入部した時の三年生であった国広花音部長や西門理子たち。そして去年の部長だった冴子を始め、沙月、瑠月といった先輩たちの名前と直筆のメッセージもあったのだ。
「おいおい、これ……どんだけ前もって用意したんや。めっちゃ感動するけど、試合が終わってから渡してくれた方が良かったんじゃね? プレッシャー半端ないぞ」
あかねが涙声をごまかすようにツッコミを入れると、栞代がカードを見つめながら静かに応えた。
「いや、あいつらなりの気遣いやろ。試合の『結果に左右されないうち』に、純粋な応援と感謝の気持ちを伝えたかったんやろな」
栞代の言葉に、三年生は全員、深く頷いた。勝っても負けても、自分たちが紡いできた絆は変わらない。それはどんな結果にも左右されるものじゃない。
そののち、外で応援を終えた一、二年生たちが、少し照れくさそうに、けれど誇らしげな顔でバスに乗り込んできた。
続いて、三・三・七拍子で手が赤くなった男子部員たちも、ぞろぞろと乗り込んでくる。
最後に、滝本顧問が相変わらずの底知れぬ「悪魔の笑顔」を浮かべながら、その後ろから拓哉コーチがクールを装いながらステップを上がってきた。
「じゃ、行くわよ」
滝本顧問が車内を見渡し、ニッコリと笑って言い放った。
「男子。今日の団体戦、もし結果が女子に及ばなかったら……明日からインターハイまで地獄の合宿メニューよ、分かってるわよね?」
その悪魔の笑顔に、松平や海棠たち男子部員が一斉にビクッと肩を震わせ、顔面を蒼白にさせた。
笑いと気合、そして温かい涙。
光田高校弓道部を乗せたバスは、それぞれの胸に「最高の頂き」への誓いを秘めて、決戦の地・南方武道館へと走り出した。




