第539話 『あかねのモノローグ:奇跡の五人で挑む舞台』
足元の砂利を踏む音が、いつもより静かな朝の空気に響く。
母の車で迎えに来た。
肩に食い込む弓ケースの重み。エナメルカバンに付けた『ヴィヴィ&トリー』のストラップが、歩くたびにチリンと小さな音を立てている。
(……いよいよ、来ちまったな)
空は、吸い込まれるような青だ。
つい先日のWSWの浮かれた余韻なんて、朝の冷たい空気が全部さらっていっちまった。
今日が、私の「最後」になるかもしれない舞台だ。
夏のインターハイの予備メンバーには入っているけど、ま、正直なところ、補欠のわたしが本戦に出る展開にはならない方がいいだろう。チームの誰かが欠けるってことだからな。
きっちりと温情と冷酷な勝負師の顔を使い分ける拓哉コーチが、戦術としてわたしを器用してくれるかどうか。それは、今日の私の成績に掛かっているのかもしれない。
だが、確実なことがある。
それは……「まゆ」と一緒に、同じ団体のメンバーとして弓を引く、最高で、特別で、そして最後の公式戦だということだ。
歩き慣れた住宅街を抜け、まゆの家の門が見えてくる。
思えば、私の弓道部での生活は、ここから始まったんだよな。
「まゆが弓道に興味あるって言ってるから、あかちゃん、ちょっと相談にのってやって」
ほとんどうまれた時から付き合いのあるおばちゃん。わたしが生れた時が可愛すぎたとか言って、いまだにあかちゃん呼びやからな。うちのかあちゃん、絶対あかねいう名前にしたん、あかちゃんの呼び方意識したで。
――まゆのお母さんにそう頼まれて、「しゃあないな! そんなら、ちょっと私が偵察しに入部して、様子見てくるわ!」なんて笑って、軽い気持ちで光田の道場に乗り込んだのが、もう二年前の話か。
ま、正直、あの頃のわたし自身には、弓道をやる気なんて全然無かったな。
当時の光田弓道部の噂は二分されてた。「サボれるお遊びのクラブ」っていうのと、「新任のコーチが本気で改革しようとしている厳しいクラブ」。
そんな両極端な話は、実は両方とも真実だったわけだけど。
早い話、私は「まゆがいじめられるような環境かどうか」を確かめに行ったんだ。
最初は、ただの付き添いのつもりだった。
歩くのもやっとで、声も小さくて、ちょっと突けば壊れそうなガラス細工のようななまゆ。だから、過保護すぎるくらいに守ってやらなきゃって思ってた。
そやけど、そこには、立場や才能は違うけど、まゆに少し似たところのある「杏子」が居たんや。
気が弱そうなくせに、いじめっ子みたいな先輩連中の前で笑われても「おばあちゃんに金メダルをプレゼントしたい」って、大真面目に宣言しよった。
それを鼻で笑う先輩連中を見た時、「こりゃこのクラブあかんわ。まゆには無理や」と思ったら……横から栞代が食ってかかったんやったな。
あいつ、強いし、真っ直ぐやった。
あとで知ったんやが、栞代と杏子が会ったんはあの日が初めて。つまり、まるで知らん奴の無謀な夢を護ろうと、いきなり上級生相手に声をあげたんや、あいつは。
たいしたやっちゃで。そして同時に、自分の情けなさに反省もした。
まゆがやりたいなら、側にいて楯になってやるんが、私の役目やった。それを栞代の姿を見て思い出させてもらったんや。
そして、杏子の弓が想像を超えた「本物」やと知って、まゆに声をかけたんやったな。
まず、あの杏子の姿をまゆに見せたい。そう思った。
そしたら、思った通りの展開になった。
早朝の道場で一人、朝日を浴びて弓を引く杏子の神々しい姿を見て、まゆの瞳に火が灯ったあの瞬間
「あ……あかね、私、やりたい」
震える声でそう言ったアイツの顔を見て、私は決めたんだ。
偵察なんておしまい。私は、まゆの「脚」になって、まゆの「盾」になって、こいつが夢を見るための「光」になってやろうって。
それからは、もう無我夢中だった。
杏子の「宇宙人」っぷりに振り回されたり、栞代と意気投合して「杏子親衛隊(護衛軍)」を結成したり。かと思ったら、真映みたいなうるさくて生意気だけどかわいい後輩にチョップを食らわせたり。
気づけば、光田の道場が私にとっても、かけがえのない「宝物」になっていた。
遠征先でまゆが熱を出した夜。
真っ白な顔で眠るアイツの横で、私は一晩中、氷嚢を替えて祈ってた。
(神様、代われるもんなら、私の丈夫すぎる体を半分アイツにやってくれよ)
なんて、ガラにもないこと考えたりして。
そやけど、あいつはただ守られるだけの弱い存在じゃなかった。
絶対王者・鳳城高校との練習試合で、まゆは極限のプレッシャーの中で的に当てて、あの麗霞さん率いるレギュラーチームに勝ったんや。あいつ、絶対に『鳳城キラー』やで。
杏子は杏子で、「おばあちゃんに金メダル」っていう、これまた泣かせる純粋な夢を追い続けてる。
その夢を叶えるために、まゆの分も杏子の力になりたい。そう思ったら、自分でも驚くくらい無我夢中で練習してた。
もうあと一歩、いや、あと数ミリ、足らんかった。もう少し早く本気になってたら、私もレギュラーになれたかもしれないのに。一瞬やったけど、実力でもぎ取った、地区予選のレギュラーチーム入りは、ほんまいい思い出や。
そやけど、そんな過去のこと考えるよりも、まず、今日のこと考えないと。
前だけを向く強さは、まゆを見てて教わったわ。
すでに出場権があるからこそ、三年生だけで組ませてもらったこのブロック大会の団体戦。
絶対に結果出したるで。
つばめ、あまつ。私の意地見とけよ。インターハイで私を超えた実力をみせるのが、レギュラーの義務やで。それがレギュラーいうもんや。
そして真映、楓、菓。一緒に勝ち取った地区予選のレギュラー組。お前らの大会に出られない悔しい思い、全部的にぶつけたるからな。
特に今日の予選。まゆと同じ舞台に立つ、最後の試合。
絶対に結果出したる。
「……ふぅ」
まゆの家の玄関の前で、一度大きく深呼吸をする。
少しだけ、視界が滲んだ。
あかん、あかん。朝っぱらから私が泣いてどうすんねん。真映が電柱の陰から見てないやろなあ。
まゆのお母さんは、いまだに私のことを「あかちゃん」なんて呼んで、赤ちゃん扱いしてくるけどさ。
今日は、最高に頼りになる「アネキ」の姿を見せるから、おばちゃんも、ちゃんと目に焼き付けてくれよな。
まゆと一緒に、戦うんや。おばちゃん、今日のメンバー見てや。
栞代、紬、杏子。こんな最高のメンバー、世界中探しても居らんで。ほんま、奇跡なんや。
もし今日、まゆが的に当てたら、私はまた世界で一番、派手にみっともなく泣いちまうかもしれないけど。
でも、別に全部外してもええんや。まゆは、一緒に居るだけでな。
私らだけで、絶対に予選は突破してやるからな。
「よしっ!」
両手で頬をパンッと叩いて気合を入れ、いつもの「秋鹿あかね」の満面の笑顔を作る。
私の役割は、光だ。
まゆが、杏子が、みんなが、迷わず頂点まで駆け上がれるように、私が一番眩しく笑ってやんなきゃ。
指先を伸ばして、インターホンを押す。
「おーい、まゆ! 起きてるかー? 朝だぞ、迎えに来たぜ!」
ガチャリと扉が開いたその瞬間に、私は最高の笑顔で言うんだ。
「行くぞ、相棒。……最高の舞台が、待ってるぜ」




