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ぱみゅ子だよ~っ 弓道部編  作者: takashi
高校3年生
531/582

第531話 遠足、その後のその2 帰るべき場所

「……ん、……ぁ……」

すっかり深い眠りに落ちていた杏子は、大型バスがインターチェンジを降りる時の微かな振動と、カーブの遠心力で、ぼんやりと目を覚ました。

窓の外はもうすっかり夜の(とばり)が下りており、見慣れた街灯の光が、オレンジ色の流星群のように窓ガラスを流れていく。


寝ぼけ眼のまま、杏子はブレザーのポケットからスマホを取り出し、祖父にLINEを送った。

『おじいちゃん、もうすぐ学校に着くよ』

送信して数秒もしないうちに、即座に既読がついた。

『楽しかったか、ぱみゅ子。気をつけて帰っておいで。今、迎えに行くところじゃからな』

画面越しの、少し過保護で温かい言葉に、杏子の口元が自然と緩む。


「杏子、おはよう。……よく寝てたな。よだれ垂らしてないか?」

隣の席で、ガサガサとお土産の整理を始めていた栞代が、からかうように声をかけてきた。

「……垂らしてないもん。……楽しかったね、栞代」

「ほんとにな。……お、これ、おばあちゃんへのクッキー缶、潰れてないか?」

「大丈夫。一番上に乗せておいたから」


バスが光田高校に近づくにつれ、車内には一人、また一人と目を覚ます級友たちの声が増えていく。


「あ、二乃からLINEだ。一華からも来てる」

杏子が通知に気づくと、栞代も自分のスマホを覗き込んだ。

「あいつら、本当に夕方から道場で練習したんだな。帰って体力余ってたらやれとは言ったけど……。一日遠足に行った後で道場に立つなんて、若いというか、弓道ジャンキーというか、気力も体力もありすぎだろ」


「若いって素晴らしいわねぇ」

後ろの席から、あかねが少し疲れた顔を座席の間からのぞかせて、けれど楽しそうに声を挟んできた。

「おい、あかね。オレらもまだ十分に若いだろ!」

「そうだよ、まだ花の十七歳だし!」


栞代がツッコミ、杏子も笑って応戦する。

「いやいや、栞代、あんた一人選挙権持ってるやろ?」

あかねもきっちりと言い返している。


そんな他愛ないやり取りが、終わろうとしている夢の遠足の寂しさを、少しだけ紛らわせてくれた。


やがてバスは、見慣れた光田高校の正門前に停車した。

大量の荷物を抱えて降りると、そこには引率の先生たちの「家に帰るまでは遠足だぞ。寄り道せずに帰れよ」という、お決まりの言葉が待っていた。


「……考えたらさ。このセリフ聞くの、今日が人生で最後なんだよね」

あかねが、夜の闇に浮かび上がる光り輝く校舎を振り返って、ポツリと呟いた。

その言葉に、杏子の胸が少し締め付けられる。

小学校から何度も聞いてきた、聞き飽きたはずのフレーズ。それが「最後」なのだと突きつけられた瞬間、高校生活の非日常的な行事が、本当に終わってしまうのだと実感した。


「……いや、お前が赤点取って留年したら、来年ももう一回聞けるぞ」

栞代が、感傷を断ち切るように、あえてぶっきらぼうに突き放した。

「それは絶対ヤだっ! あたしは意地でも現役合格してやる!」

あかねが即座に牙を剥き、三人の間にいつもの笑いが起きた。


バスを降りて解散となったところで、まゆからLINEが届いた。

『一ノ瀬くんが、杏子に話したいって言ってるんだ。珍しいけど、なんだか顔面蒼白だよ』

返信を書こうとしていると、ちょうどその時一ノ瀬が、一八五センチの巨体を限界まで小さく丸めて駆け寄ってきた。


栞代がいつもの若頭の習慣で、さりげなく杏子の前に立ち、物理的なガードを固める。

「あ、あの! 杏子部長! お詫びを……謝罪文を提出したいのですが!」

一ノ瀬は、今にも切腹でもしそうな悲壮な顔で、深々と九十度以上の角度で頭を下げた。


「いったい何の話だ? お前、なんか粗相でもしたか?」

栞代が眉をひそめて問いただすと、一ノ瀬は震える声で答えた。

「あ、いや、その……今日、パレードの場所取りの間、僕、杏子さんの『一メートル以内に五分以上』居てしまったので……! おじいさまのターゲットリストから除外していただきたく……!」


栞代は、昼間に自分が適当に吹き込んだ「おじいちゃんの鉄槌」という脅し文句を思い出し、たまらず噴き出しそうになった。

「おいおい、ありゃ冗談だ。……いや、半分は冗談でもないけどな」

どっちなんだよ、と一ノ瀬がさらに困惑して泣きそうな顔を見せる。


「いいか一ノ瀬。誰もおじいちゃんに報告したりしないから安心しろ。逆にそんなもの(紙の謝罪文)出したら、証拠が残って確実におじいちゃんのブラックリストに入るぞ。今日のことはすっかり忘れて、明日からの練習のことだけ考えろ」

「は、はあ……。失礼しました!」

一ノ瀬は、その大きな背中を丸め、逃げるように自分のクラスの男子の集団へ戻っていった。


「……でもさぁ」

栞代が、夜闇に消えていく一ノ瀬の背中を見ながら、杏子に真剣な顔で向き直った。

「いつか本当に、こういうことがあるんだろうなぁ。杏子が『彼氏』とか言って、誰かを家に連れてくる日が」


「えっ、私が?」

きょとんとする杏子に、栞代の目は本気だった。

「いいか、そういう時の相談は、絶対にまずおばあちゃんにするんだぞ。おじいちゃんには、もう、結婚式の前日まで絶対に隠しとけ。ショックで寝込むか、相手の男を弓で射殺すかの二択だからな。オレがずっと側にいてやれたらいいんだが……」


「う、うん……?」

恋愛という概念がすっぽりと抜け落ちている杏子には、まだ全くピンと来ていなかったが。栞代のその過保護すぎる「本気」の眼差しに、ただ小さく頷くしかなかった。



「おーい! ぱみゅ子〜〜っ!」

校門を出た途端、聞き慣れた、けれど誰よりも愛を感じる大きな声が響いた。

見ると、祖父が車の横で、ちぎれんばかりに大きく手を振って待っていた。


「おじいちゃん! 栞代、おじいちゃん来たよ!」

杏子の声が、一気にワントーン上がる。

「栞代〜、ぱみゅ子〜、無事に帰ってきたなぁ! おじいちゃんの祈りが通じたようじゃ!」

「おじいちゃんの念が強すぎて、道中背筋が寒くてヒヤヒヤしたぜ」

栞代と祖父の、いつもの気軽な軽口が始まる。周囲のクラスメイトたちからも、「杏子、栞代、また明日〜!」とあちこちから声がかかり、手を振り返す。


「明日は普通に学校かぁ。WSW、休日前に行きたかったけど、混むもんな。……ま、頑張ろか」

栞代の少し気怠(けだる)げな呟きに、杏子がニヤリと笑って返した。

「若いもんね、私たち!」


家に着くと、そこには祖母の穏やかな笑顔と、温かな夕食の匂いが待っていた。

楓やあまつ、(くるみ)が、わざわざ遠足のお土産を「卵焼きの御礼」として届けに来てくれたことを聞き、杏子の心はさらに温かくなる。


食卓に座った途端、杏子はまるで遠足帰りの小学生に戻ったかのように、今日一日の出来事を身を乗り出して話し始めた。

「おじいちゃん、あのね! 最初に入り口でレオ監督に会ったんだよ! 手がすっごく温かくて。それからね、紬とソフィアがアニメのボートで、何語か分からない言葉でずっと喋っててね……!」


杏子の口から、機関銃のように言葉が溢れ出す。

ランチで食べた時代劇アニメの再現メニューのこと。お土産売り場で楓たちのために選んだストラップのこと。まゆと一緒に食べたチュロスの味。


栞代は、一ノ瀬と松平が「杏子に一メートル以内に五分以上いた一件」を、祖父にバレないようヒヤヒヤしながら隣で食事を運んでいた。


しかし、杏子はそんな栞代の心配をよそに、男子の話など一ミリも出さず、パレードの黄金の紙吹雪の美しさをキラキラした瞳で伝えていた。


「……そっか。栞代がドラゴンに乗っとる時、ぱみゅ子は下で場所取りをしてたんじゃな。ぱみゅ子は本当におばあちゃんに似て、絶叫マシンが苦手なんじゃな」

祖父は、自慢の孫娘と一緒にドラゴンに乗るという、将来の夢が絶たれたことを残念そうに、しょんぼりと肩を落とした。


「でも、パレードは本当に一番前の特等席で見られたんだよ! すっごく綺麗だった!今度、一緒に見ようね」

祖母が淹れてくれた、温かいほうじ茶の湯気の向こうで、杏子の笑顔が弾ける。


弓道部の主将でも、全国でトップを伺う射手でもない。

大好きなおじいちゃんとおばあちゃんの横で、一生懸命に今日という日の宝物を披露する、ただの「ぱみゅ子」としての時間。


この温かい灯火(ともしび)のような日常があるからこそ。

明日、また道場で、凛とした究極の弦音を響かせることができるのだと、杏子は心の底から感じていた。

夏の夜が、静かに更けていく。

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