第527話 遠足 その7 『龍のパンフレットと、騎士たちの不純な選択』
買い出しから松平が帰ってくると、四人の間には、どこかぎこちなくも心地よい空気が流れていた。
まゆに話しかけたい一心だったのか、松平は汗を拭いながらも、必死に会話を回す努力をしていた。
しかし、いかんせん残る二人が問題だった。一ノ瀬は極度の人見知りでほとんど口を開かず(「LINEでは別人のように饒舌だが)、杏子も弓道部というホームグラウンドを離れた途端に人見知りを発動させ、ただただ相槌を打つばかり。
どうしても、自然と『まゆと松平』、『杏子と一ノ瀬(沈黙組)』という無難なペアに分かれ、のんびりとした時間が過ぎ去っていった。
そんなとき、杏子とまゆのスマホに、同時にLINEの着信音が響いた。
『もうすぐ乗る!』という短いメッセージと共に、待ち列から送られてきた写真。そこには、テンション最高潮の女子弓道部四人(栞代、あかね、ソフィア、紬)と、合流した男子三人(海棠、山下部長、立川)が、ピースサインでポーズを決めていた
松平のスマホにも海棠からLINEが届いたのだろう。画面を見て苦笑いすると、ふと思いついたようにリュックをごそごそと漁り始めた。
「あ、そうだ。これ、せめて一緒に乗る気分だけでも味わえるかと思って、エントランスでパンフレット貰ってきました。どうぞ」
そう言って、松平は杏子とまゆに、一枚の立派なパンフレットを差し出した。
「あ、ありがとう松平くん。……どれどれ」
【WSWアトラクション・ガイド:SPECIAL EDITION】
『サミット・オブ・ドラゴン 〜蒼天の覚醒〜』
「その頂きで、君は自分自身の“魂の叫び”を聴くことになる。」
THE STORY:龍の目覚め
古より、この「サミット・マウンテン」には一頭の巨大な龍が眠っているという。
龍は静寂を愛し、勇気ある者の叫びによってのみ、その真の姿を現す。
君は今、単なる観客ではない。龍の背に乗り、天を衝く「頂き」を目指す、一人の表現者なのだ。
THREE STAGES OF EXPERIENCE:三つの覚醒
【第一段階:沈黙の登頂(The Void)】
地上145m、雲を突き抜ける垂直上昇。
特筆すべきは、そこに「音」が一切存在しないこと。
機械の駆動音さえ消し去る特殊静音設計が、君を極限の孤独へと誘う。聞こえるのは、風の音と、君自身の鼓動だけ。絶景の果てに、龍の心臓部へ。
【第二段階:ドラゴンの咆哮(The Variable Drop)】
頂上での3秒間の完全停止。
そこにあるのは、世界初「感情連動型・可変ドロップ」。
君の「叫び」と「心拍数」を座席のセンサーが感知した瞬間、レールの角度が0度から最大112度へと一気に変化する。
叫べば叫ぶほど龍は覚醒し、垂直を超えた「逆傾斜」へと君を叩き落とす。
【第三段階:龍の飛翔(The Triumph)】
112度の奈落を抜けた後、3連続のゼロGロール(無重力回転)が君を翻弄する。
最後の暗闇のトンネルを抜けたその瞬間――
沈黙を破り、初めて「凱旋のオーケストラ」が爆音で鳴り響く。
それは、恐怖を乗り越え、頂きを制した者だけが聴くことを許される、勝利のメロディ。
SPECIFICATIONS
・全長: 2,800m(世界最長級のロングジャーニー)
・最高到達点: 145m(地上145mの沈黙)
・最大傾斜: 112度(重力の常識を塗り替える逆傾斜)
・演出: 感情感知型レール制御システム搭載
MESSAGE from Director LEO
「素晴らしい映画に台本があるように、このコースターの結末を書くのは君自身だ。君が叫ばなければ、龍は眠ったまま。さあ、最高の叫びを聴かせてくれ!」
パンフレットを広げ、二人で身を乗り出して覗き込んでいたまゆと杏子。
二人の視線が、中央にデカデカと赤字で書かれた『最大傾斜:112度』という数字に止まり、ピタリと固まった。
「……ひゃく、じゅうにど?」
杏子の指先が、わずかに震える。
「垂直って、90度だよね、杏子。……112度ってことは、これ、内側にえぐれてない?」
「……うん。しかも見て、まゆ。『叫べば叫ぶほど角度が急になります』って書いてある。完全に意味がわかんない。普通、怖かったら叫ぶじゃない!」
二人は青ざめた顔を見合わせ、同時にゴクリと生唾を飲み込んだ。
ちょうどその時。
遠くそびえ立つサミット・マウンテンの頂上付近から、「ゴォォォォ……!」という地響きのような機械音と共に、それまでのパークの喧騒を切り裂くような、聞いたこともないような凄惨な絶叫が空から降ってきた。
「「………………」」
杏子とまゆは、沈黙した。
「……杏子さん、まゆさん。多分あれ、今、あの龍の背中の最前列に、うちの海棠が乗ってます。……あいつ、絶対ソフィアさんにいいところ見せようとして絶叫して、センサーが反応しすぎて、今頃間違いなく112度で真っ逆さまです」
松平が、友の無惨な姿を想像して、憐れむような目で山を見上げた。
「……まゆ」
「……なに? 杏子」
「あたしたち、パレードの場所取りを選択して……本当に良かったよね」
「……うん。わたし、今、人生で一番、自分の冷静な判断を誇りに思ってるよ」
二人は小刻みに震える手で、松平から受け取ったパンフレットをそっと落とし、手を握りあった。
目の前の平和なパレードルートが、今は楽園のように見えていた。
サミット・マウンテンの恐ろしさに震える杏子とまゆ。それを微笑ましく見守る松平と一ノ瀬。
「松平くんたち二人は、朝イチで一度乗ってるんだよね?」
まゆが恐る恐る聞く。
「ええ。スピードの速さだけとかなら、多分もっと怖いものは他にもあると思うんですけど、トータルの演出と恐怖感では、間違いなく世界一だと思いますね」
ネットの知識を多分に含んで判断しているようだが、それにしても、実際に体験した者の言葉は重みが違う。
「……どうして、そんな怖いのに乗りたいの?」
絶叫マシンが全く理解できないまゆが続ける。
「いえ、それが不思議なもので。むしろ、一度乗ったら、また絶対にもう一度乗りたくなりますよ。こう、極限の頂点を目指して、そしてその頂点に辿り着く。そういう達成感みたいなものが味わえるんです。弓道みたいに」
「そうなんだ……」
松平の熱弁に、なんとなく考え込むまゆ。
そして、杏子が「おじいちゃんは喜びそうだけど……絶対無理」とポツリと呟いた。
まゆが、ふと核心を突く質問を投げかけた。
「……でも、そんなに楽しいなら、松平くんは海棠くんたちと一緒にもう一回乗らなくてよかったの? 乗りたくなかったの?」
「えっ」
松平は、言葉に詰まり、答えに窮した。
『まゆさんの側にいたかったからです』などと言える度胸は、彼にはない。しどろもどろになっている松平をよそに、まゆのスマホがブルッと震えた。
一ノ瀬からの、三人だけのグループLINEだった。
【一ノ瀬】
『松平は、コースターよりも、まゆさんと一緒に居る方を選んですよ』
無口な巨漢からの、容赦のない暴露弾。
画面を見た瞬間、まゆの頰がポッと林檎のように赤く染まった。松平は一ノ瀬を横目で睨みつけているが、一ノ瀬は明後日の方向を見て口笛を吹くフリをしている。
気まずくも甘い空気が流れかけた、その瞬間。
絶叫組のグループから、出口で撮った記念写真が送られてきた。
男子たちは魂が抜けたようにフラフラしながらも嬉しそうにはしゃいでるし、あかねも栞代も会心のVサインを決めている。
だけど、その写真の中で一番目立っていたのは、激しい風を浴びたにもかかわらず、長い金髪を美しく靡かせたまま、涼しい顔で微笑むソフィアだった。
「うわぁ。ソフィア、風に吹かれても綺麗……」
まゆと杏子が、画面を見つめて思わず感嘆の声を揃えた。
その瞬間。
『……それは、わたしの、課題では、ありません』
写真の端に写り込んでいる、髪の毛が爆発して眼鏡がズレている紬。
その紬の声が、確かに聞こえた。
二人は顔を見合わせて、お腹を抱えて笑い出した。
松平と一ノ瀬は、急に笑い出した二人を、不思議そうな、けれどとても穏やかな顔で見つめていた。
夏の午後の日差しが、四人の特等席を暖かく包み込んでいた。




