第526話 遠足、その6 『サミット・マウンテンの麓、二人の騎士と、LINE越しの弓道談義』
あかねは、松平を呼び出すべく、スマホで猛烈な勢いでメッセージを打ち込んでいた。
当初はパレードの場所取り組と、アトラクション組と分岐点で二手に分かれる予定だった。だが、結局は「弓を持たない無防備な杏子と、車椅子のまゆを二人きりにするのは不安すぎる」と心配性の栞代が言い出し、全員で場所取りのエリアまで付き添うことになった。
開始時間まではまだ暫くあるので、パレードルート周辺は特に混雑している様子は無かった。
もちろんパーク側も車椅子専用の鑑賞エリアを用意してくれているが、同伴者を含めて五人もの大所帯でそこを占拠するのはルール違反に近い。
それに、まゆ自身が「専用席は、本当にそこじゃないと見学できない人のために譲りたい」と遠慮したため、一般のゲストと同様にルート沿いで場所取りをすることになった。
レジャーシートや日傘など、用意は万全だ。
しかし、いざ杏子とまゆの二人を残して立ち去ろうとすると、やはり栞代の足がピタリと止まる。
「……大丈夫かなあ。やっぱりオレも残った方がいいんじゃないかな? 万が一、変な奴に絡まれたり、熱中症で倒れたりしたら、オレ、おばあちゃんとおじいちゃんに顔向け出来ないんやけどな」
栞代が本気で心配そうに呟くと、あかねが吹き出した。
「おいおい、小学生の初めてのおつかいじゃないんだからさ。どんだけ過保護やねん、栞代」
あかねは笑うが、栞代は真顔で言い返した。
「いや、弓を握ってない時の杏子は、警戒心ゼロの小学生やねん。隙だらけやぞ」
その時。
「お、お、お、お待………、し、しまし……!」
夏の陽射しの中、肩で息をしながら、猛ダッシュで駆けつけてきた男子生徒がいた。
「あれ? 松平くん、どうしたの?」
まゆが目を丸くして声をかける。
まゆの大ファンである松平清純は、膝に手をつき、ぜえぜえと息を乱していて、すぐには言葉を発することができない。
それを見たあかねが、あっけらかんと種明かしをした。
「いや、この前のカラオケでも随分と健気やったし、こいつにならボディガードを任せられると思ってさ。呼び出した」
あかねがドヤ顔で栞代を見つめる。
「じゃあ、松平。お姫様たちのあとは頼んだぞ」
まだ息が整わず話せない松平だったが、あかねの言葉に、顔を真っ赤にしながら首を縦に千切れるほど強く振っていた。
「よし、これで安心やろ? 行くぞ栞代」
「……松平。杏子とまゆに何かあったら、オレとおじいちゃんが許さんからな。頼むぞ」
栞代は念を押すように松平に言い残し、あかねと共に『サミット・オブ・ドラゴン』の入り口――通称『龍の顎』と呼ばれている絶叫エリアへ向かって歩きだした。
栞代たちが去って暫くすると、松平もようやくかなり息が整ってきた。
それを見計らったように、まゆが声をかける。
「松平くん、ありがとう。……杏子、そろそろ車椅子から降りたいな。シートに座るから、ちょっと手伝って」
「うん、もちろん」
杏子がまゆの腕を支えようとすると、松平も素早くその横に立ちその横に立ち、万が一バランスを崩した時のために、触れない程度の絶妙な距離感でカバーに入った。
まゆを丁寧にレジャーシートへ降ろした時、今度はもう一人の男子生徒がのっそりと顔を見せた。
「あれ、一ノ瀬くんも。どうしたの?」
無口で極度の小心者、しかし身長一八五センチを超え、立っているだけで岩山のような威圧感を放つ一ノ瀬が、これまた巨体を揺らして息を切らせて立っていた。
松平が爽やかに笑って説明する。
「いや、一ノ瀬も強力な用心棒として協力してくれるってことで。俺が呼びました」
「松平くんも一ノ瀬くんも、アトラクションはいいの? せっかく来たのに」
まゆが申し訳なそうに尋ねると、松平は首を振った。
「ええ、朝から男子連中で走り回りましたから、もう大満足です。『サミット・オブ・ドラゴン』も、朝イチで乗りました。海棠がこういう絶叫系が好きで、振り回されて正直ヘトヘトだったんですよ。ちょうど休憩したかったので、あかねさんからの呼び出しLINEは、もう超ラッキーでした」
「そうだったの。……お昼は何食べたの?」
「いや、お昼はまだなんです」
「えー、それじゃあ、二人で何か食べてきたら? まだパレードまで随分あるよ? ここは私と杏子で大丈夫だから。ね、杏子」
「う……うん」
杏子は、ずっと弓道場で見慣れている部員のはずなのに、なぜかこの状況に少し緊張して、借りてきた猫のようになっていた。
「いや、それはダメです。お二人を置いていったら、何もなくても、後であかねさんと栞代さんに文字通り殺されます。だから、自分が二人分の軽食も何か買ってきます。一ノ瀬をここに残していきますから安心してください。一ノ瀬は、ただそこに居るだけで最強の『物理的バリケード』ですから」
松平の冗談に、当の一ノ瀬は「……うす」とだけ呟きながら、顔を引きつらせて頷いた。
結局、松平はまゆと杏子に食べたいものや必要なものを聞き、足早に買い出しに向かった。
残された一ノ瀬を見ると、少し離れた場所で、レジャーシートの端をきっちりと揃えている。全員が戻れば十一人の大所帯になるが、あまり広げすぎても周囲の迷惑になる。車椅子と荷物を的確に配置し、自分は一番端の、通行人からの盾になるような位置に体育座りをした。
物理的には声が届かない微妙な距離。そして、一ノ瀬の極度な人見知りのせいで直接は話しにくかったが、現代の高校生には文明の利器がある。
まゆの提案で、三人の「一時的なグループLINE」がすぐに作られた。
青空の下、同じシートに座りながらスマホの画面を見つめて無言で打ち合うという、外から見ると奇妙な風景ではあったが、一ノ瀬にとっては、対面で話すよりも随分と気が楽だったようだし、それは杏子も同じだった。
一ノ瀬は、巨体に似合わずとても気が小さく、練習では凄まじい的中率を誇るのに、本番の試合になると極度の緊張で自滅するタイプだ。
そのことをよく知っていたまゆは、上手くLINEの話題を誘導し、そんな一ノ瀬の悩みを杏子に伝え、弓道談義へと花を咲かせた。
とはいえ、杏子の回答はいつもと変わらない、究極のシンプルさだった。
『中るかどうかは、ただの結果だから。私は、正しい姿勢で引くことだけ考えてます』
文字の羅列。
しかし、一ノ瀬にとっては、LINEとはいえ、そして指導者から言われるのと同じ言葉だとはいえ、同級生であり、日本トップレベルで戦う杏子から直接言われたことは、胸に深く刺さるものがあった。
一ノ瀬が感動に浸っていると、杏子から次のメッセージが届いた。
『でも、本番って怖いよね。滝本顧問のあの「悪魔の微笑み」、一ノ瀬くんもやっぱりコワイの?』
あまりに直球な質問に、一ノ瀬は思わず吹き出しそうになり、『……はい。夢に出ます』と返した。
シートの上に、小さな笑い声が漏れた。
そのとき、龍の顎へと着いたあかねと栞代から、それぞれまゆと杏子宛てにLINEが届いた。
二人とも、絶叫マシンの待ち列からの実況報告だった。
『最悪。海棠の奴らが、ソフィア目当てでもう一回並び直してきやがった。合流された』
『海棠の執念、キモい通り越して感心するわ。ソフィアの後ろの空間、死守してるし』
二人とも、全く同じ内容の愚痴を報告してきて、杏子とまゆは画面を見せ合ってクスクスと笑った。
やがて、両手に抱えきれないほどの荷物を持った松平が帰って来た。
「お待たせしました!」
レジャーシートの上に並べられたのは、ポップコーンのバケツ、巨大なターキーレッグ、甘い香りのプレッツェルにチュロス、そしてキャラクターを模した可愛いスナックなど、ワゴン系フーズの山だった。
ちょっとしたパーティーのような光景に、杏子の目も輝く。
「こんなにいっぱい、ありがとう松平くん!」
「いえ! 足りなかったらまた走りますんで!」
松平は気前よく、両隣で場所取りをしている見知らぬ家族連れの子供にも、キャラクターのお菓子をおすそ分けしていた。その気配りと優しさに、まゆは静かに微笑んだ。
遠くからかすかに聞こえてくる、ドラゴンの轟音と、絶叫マシンに乗る仲間たちの叫び声。
けれど、黄金色の夏の陽光が降り注ぐこの場所には、驚くほど穏やかで優しい時間が流れていた。
甘いチュロスをかじる杏子とまゆ。そして彼女たちを、少し離れた場所から真剣に見守る「騎士」の松平と、不器用な共感者の一ノ瀬。
四人で過ごす、パレード前の穏やかなひととき。
「……あ、見て。パレードのフロート、あそこから出てくるみたいだよ」
杏子が、食べかけのプレッツェルを持ったまま、ルートの奥にある巨大なゲートを指差した。
その先は、夢のパレードの出発点であり、彼女たちが今日最後に見る、光り輝く「勝利の道」へと続いていた。




